写真・政治・経済・国際

2009年12月15日 (火)

野尻湖畔の秋2

10月31日の長野県信濃町の小林一茶の一茶記念館と俳諧寺と、11月1日の朝焼けの野尻湖畔です。綺麗な朝焼けは最近ほとんど見られなかったのですが、久しぶりに見る事が出来ました。俳諧寺には小林一茶の墓があります。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mmです。

万葉集から大伴家持の歌。

      うつせみの

    世は常なしと

      知るものを

    秋風寒み

    偲ひつるかも

(意)現世が無常であるとは承知しているのに、秋風が寒いあまり、亡き人を恋い慕ったのだ。

詞書に「移朔(つきうつり)て後、秋風を悲しび嘆きて作る歌」とあります。空蝉(うつせみ)とは、「この世・この世の人」のことです。「現(うつ)し臣(おみ)」、つまりこの世の人ということから「うつそみ」となり、「うつせみ」と変化したという説があります。万葉集では、空蝉・虚蝉・打蝉と表記されます。この世の中は、蝉のぬけがらのように仮のもので、儚く虚しいものだという意味があったのでしょうね。大伴家持は空蝉を詠いこんだ長歌短歌が多いです。なにか意味があったのかもしれません。新興貴族の藤原氏に圧倒された古代から天皇の親衛隊として続いてきた大伴氏の没落を強く感じていたのかもしれません。大伴家持の死亡直後の藤原種継暗殺事件により大伴氏は中央政界から追われました。また源氏物語の第3帖に「空蝉」があります。これは光源氏に大きな影響を与えた人妻のお話です。

路上で販売されるお弁当が最近は200円を切ったのが現れたそうです。これって大丈夫なのでしょうか?春から夏は食中毒の恐れもありますね。そもそもこんな値段で売れるはずが無いので原材料を賞味期限切れを安く買ってくるのかもしれません。どんな環境でお弁当が作られたかも分からないですし、非常に危険な事だと思います。取り締まる法律があるのでしょうか?行商には保健所の鑑札が必要な筈ですし、いまのところ道路法でしか規制が出来ないようです。原則的に行商とは「動きながら販売する事」で、お金の受け渡しと品物の受け渡し以外は動いていないと違法となるようです。道路上に棚などを置いてお弁当を売る事は禁止されているようです。店舗を構える店は保健所の規制をクリアーしないといけませんので路上販売業者と競争するのは大変でしょうね。これは規制を強化すべきでしょう。安ければ良いと言うものではなく、製造責任を明確にして食中毒などから安全でなければいけないと思います!

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2009年12月13日 (日)

六義園のライトアップ

11月30日の文京区にある六義園(りくぎえん)のライトアップです。昼間の六義園とライトアップされた六義園とは全く別のように感じます。三脚は原則禁止ですが、この日は人出が少なかったので邪魔にならないようにとのことでした。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mmです。

今年の暮れも人身事故や車両点検で電車がよく止まります。飛び込み自殺は最近は首都圏では珍しくなく、よほどの事がなければ新聞記事にもなりません。先日も酔って0時過ぎに帰ってきたところ京浜東北線が人身事故で止まっていました。幸いにして上野から浦和まで列車の最終で帰ってきていたので少し遅れただけで家に帰りつけました。車両点検や信号機の故障も多いですね。何か大きな事故が起きなければ良いのですが、コンピュータに頼りすぎるのも危険だと思います。今週も電車が止まり続けるでしょうね。死にたい人は止めません。死ぬのならみんなに迷惑をかけないで静かに死んでもらいたいと思います。とにかく景気が悪すぎます。死にたくなる人の気持ちも分からないではありません。補正予算を組むのなら亀井大臣の言うようにド~ンと10兆円以上が必要でしょう。戦争も経済も小出し戦術は日本人の特性なのかも知れません。小出をしていてはすべて無駄死になってしまいます。出す時は多すぎるぐらい出さないといけないのです。亀井大臣は私の嫌いな政治家ですが、彼の言っている事は本質を突いていて正しいと思います。

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2009年12月 8日 (火)

旧古河庭園の秋バラ

11月10日の東京都文京区の旧古河庭園の秋バラです。もともとこの庭園は明治時代の外務大臣だった陸奥宗光の本邸でした。陸奥宗光は紀州藩士で仙台の伊達家の分家の出身でした。幕末に軍艦奉行だった勝海舟の建策で作られた幕府海軍の士官養成所である神戸海軍操練所に入り塾頭の坂本竜馬の引立てにより副長格になり坂本竜馬の秘書的な役割を務めました。明治維新後、西南戦争の時には政府転覆を計画した土佐立志社と連絡を取り合っていた事が発覚して除族の上、禁固5年の刑を受け山形刑務所に収監されました。伊藤博文の尽力により特赦を受けて後、ヨーロッパへ渡りヨーロッパの政体を研究して帰国後、伊藤博文の勧めで外務省に入りアメリカ公使兼メキシコ公使として赴任して、日墨(メキシコ)間で日本としては初めての不平等条約を改定し平等条約である日墨修好通商条約を締結することに成功しました。この条約が幕末に江戸幕府と諸外国との間で締結された不平等条約を対等な平等条約に変えていく始まりとなった重要な最初の条約締結でした。その後、山県有朋内閣の農商務大臣となりました。この時の農商務大臣秘書が後の総理大臣で大正10年に東京駅で暗殺された原敬です。

明治24年(1891)帝国議会で農商務大臣陸奥宗光は衆議院議員の田中正造から足尾銅山鉱毒事件について質問主意書を出されましたが、質問の意味が分からないと回答しませんでした。この時、陸奥宗光の次男潤吉が足尾銅山の経営者である古河市兵衛の養子となっていました。第2次伊藤博文内閣で外務大臣として迎えられ任期中に不平等条約締結国15カ国全部と平等条約を結ぶ事が出来ました。日清戦争ではイギリスと協調を維持して川上操六参謀次長と協力し対清強硬路線により戦争をより有利に導きました。戦後は全権大使として下関条約を清国との間で締結しました。その後、肺結核を悪化させ退官し西ヶ原の本邸(現旧古河庭園)で亡くなりました。陸奥宗光の本邸は宗光の次男潤吉(古河市兵衛の養子)が相続し古河家の所有となりました。古河財閥を作った古河市兵衛が亡くなると古河潤吉は古河財閥の2代目となりましたがほどなく病で亡くなり3代目は初代古河市兵衛の実子の古河虎之助が就任しました。なにかオカシナ感じがしますね。古河市兵衛は足尾銅山の鉱毒事件の対策として政府の要職だった陸奥宗光の子供を養子にする必要があったのでしょう。鉱毒事件の尻を政府に被せたのかもしれません。政商だった古河市兵衛なら十分に考えられます。

群馬県足尾を流れる渡良瀬川の下流域は足尾鉱毒事件により騒乱状態となり騒乱は利根川下流から霞ヶ浦周辺まで及びました。足尾銅山の近隣の村々は鉱毒の為に廃村となりました。政府は言論統制に乗り出し鉱毒を扱う新聞などを発禁とし、足尾鉱毒事件の処理に政府の主導で谷中村を立ち退かせ渡良瀬遊水地を作り鉱毒を沈殿濾過させました。まさに利益は会社に後始末は国家にの図式です。足尾鉱毒事件は佐野市出身の国会議員だった田中正造によって告発され、田中正造なくしては反対運動はどうなったか分からなかったと思います。

旧古河庭園は古河財閥が戦後物納したため国の所有となり東京都が管理をしている庭園です。ここの春のバラは洋館とマッチして素晴らしい美しさです。秋バラも素晴らしいです。日本庭園もなかなか風情のある和風庭園です。この日は植木屋が入っていて梯子などが邪魔でした。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mm&タムロン90mmマクロです。ソフトはカメラ内のデジタルフィールターです。

今日は太平洋戦争の始まった日ですね。310万人もの多くの日本人が亡くなりました。東南アジアや連合国も多くの人が亡くなりました。武力での戦争はこの日に始まりましたが、その前に世界大恐慌からの経済戦争がありました。日本は経済戦争に負けて孤立化の道を歩んだため枢軸国側に立ち武力による戦争へ突き進んで行きました。愚かしい事です。昨夜のNHKTVの「日米開戦を語る なぜ海軍は過ったのか」を見てつくづく愚かな戦争を始めたのに、誰も途中で止められなかったのか疑問だけが残りました。

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2009年12月 4日 (金)

平林寺の秋2

11月24日の埼玉県新座市の平林寺の紅葉です。平林寺の境内の雑木林の中に野火止用水の跡が残されています。今は水は流れていませんが私が高校生時代には志木市の学校の敷地には野火止用水が江戸時代からズッと流れ続けていました。高校へ入学したころは小川のように流れていましたが2年目の夏休みが終わった時には学校の周辺は乱開発で今まで見えていた雑木林や畑は完全に姿を消していました。そこには消防自動車も入れない迷路のような新しい街が突然出現していました。それにつれて、流れていた野火止用水は白濁して泡を出して流れが完全に止まっていました。酷いものでした。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ500mmです。

野火止用水は立川市の玉川上水から分水して新座市を通って埼玉県志木市の新河岸川へ落ちていました。別名「伊豆殿掘(いずどのぼり)」と呼ばれています。野火止用水は川越藩主だった老中松平伊豆守信綱が部下に命じて掘削させた用水路で、もともとこの周辺は水が不足して生活に必要な飲料水の入手にも苦労する土地でした。野火止用水は飲料水としても農業用水としても当時の水不足の土地を新田開発などで豊かに変えてくれました。古代は武蔵国は行けども行けども無人の野でした。ここへ大和朝廷は朝鮮からの亡命皇族の一族などを移住させました。彼らは当時の高等技術であった土木建設に巧みでした。彼らでなくては水不足の武蔵の大地に数十メートルの深い井戸や湧き水を上手に使った灌漑施設は作れませんでした。古代の大和朝廷は古代官道沿いにほぼ一定間隔に寺院を建て駅舎を整備しその周辺に帰化した人々を住まわせました。それらが荘園を作り後に武蔵七党と呼ばれる在地武装集団を構成して行ったのです。彼らは中央から送り込まれた大氏族の源・平・藤原氏の国の守の一族などの大族とは、ある時は協力してまたある時は争いながら武蔵野に荘園を増やして行きました。武蔵七党は関東各地に分散し、都から天下ってきた大氏族系豪族と婚姻関係を結びながら、ともに鎌倉幕府の御家人等となり全国へ守護地頭として分散して行きました。

新古今集から大江匡房(おおえのまさふさ)の歌。

      妻恋ふる

    鹿のたちどを

      尋ぬれば

    さ山がすそに

    秋風ぞふく

(意)妻を恋しがって鹿が鳴く。その声をたよりに、鹿のいる場所を求めて野を行くと、狭山の山裾には秋風が吹いていた。

この歌は武蔵野を詠ったとも言われています。昔は武蔵国の狭山(埼玉県狭山市)あたりに狩場があったようです。

沖縄の普天間基地の問題は来年に持ち越すようです。この際、思い切って旧建設省や旧運輸省の行った天下の無駄使いの標本である関西空港をアメリカ軍に呉れてやったら良いのだと思います。関西には伊丹・神戸空港があれば十分だと思います。関空を米軍が使えば良いのだと思います。不確かなのですが、橋下大阪府知事が言っているようなのですが、正論ですね。無駄使いが有効利用出来ます。専門家によると航空管制上は問題が無いようです。アメリカ軍は嫌がるでしょうが、贅沢は言わせなければいいのです。困るのは銭勘定を済ませてしまっている日本の建設土木業者と政治家それと基地で働く日本人の雇用問題でしょう。沖縄基地の問題はアメリカを隠れ蓑に使った日本の業者と政治家事情なのでしょうね。せっかく政権交代したのです、この際、ズバッと切ってしまえば良いのです。

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2009年12月 3日 (木)

六義園(りくぎえん)の紅葉1

11月29日の東京都文京区の六義園の紅葉です。ここの紅葉は都内では有名です。夜はライトアップされます。第5代将軍徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保の下屋敷でした。徳川綱吉は3代将軍徳川家光の四男で、上野国館林藩の藩主で将軍になる前は松平綱吉でした。兄の4代将軍徳川家綱が亡くなると5代将軍として江戸城へ入りました。柳沢吉保は館林藩主だった綱吉の小姓として仕え、徳川綱吉の江戸城入りに従い将軍の小姓となりました。綱吉の寵愛を受けて小納戸役から側用人となり大名になりました。後に老中格となりました。後に関東の守りの要で徳川一門だけが藩主になれる甲府藩15万石の藩主となり大老格となりました。老中格の時代は川越藩の藩主として三富新田(所沢市三芳町)の開発を進め、今でも当時の面影を残す武蔵野の田園風景が残されています。この辺りの古い農家には先祖の位牌と柳沢吉保の位牌が並べられているそうです。

六義園は柳沢吉保の下屋敷に作られた庭園で水戸光圀の作った小石川後楽園と並んで江戸二大大名庭園と呼ばれていました。代々の柳沢家の下屋敷とされましたが次第に荒廃し明治維新後は三菱財閥の総帥の岩崎弥太郎の所有となり戦前に東京市に寄贈されました。六義園の名前の由来は古今和歌集の紀貫之が書いた仮名序にある六義(むくさ)にあり、六義園(むくさのその)と呼ばれていました。ここは春の桜に続きツツジでも有名です。秋のモミジは池に写りこむモミジが素晴らしいです。また赤い色、黄色い色、緑色のモミジのコラボは素晴らしいの一言です。今年は特に黄色いモミジの黄葉が綺麗でした。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mm&ペンタックス55-300mmです。

オバマ大統領がアフガンへの増派を決めました。撤退するための増派とは共和党などのキリスト教原理主義者への配慮でまたアメリカ人兵士の血が流されるのでしょうか。この戦いはイラクに続いてアメリカの完敗です。これでタリバンはどんな戦略・戦術でも出来るようになりました。戦ってアメリカを泥沼に引きずり込む事も出来ますし、アメリカが撤退するまでジッと待つ事も出来ます。国民の支持のない腐敗したカルザイ政権は簡単に転覆させられるでしょう。まさにベトナム戦争の再来です。同じ経過をたどっています。アメリカの西部開拓史時代から続く、教え助けてやると言う押しつけお節介の理論の敗北でしょう。アメリカインデアンを圧殺したようには行きません。アフガンのカルザイ大統領の弟がヘロインの密造の黒幕でその資金がアメリカが戦っているイスラム原理主義のタリバンの資金になっているなんてお笑いです。毎日のように罪もないアフガン市民がアメリカやタリバンの自爆テロで殺されています。殺された人の家族は当然反米になりタリバンの兵士の数を増やしていくのです。そんな馬鹿をしているアメリカに日本は協力する必要はないと思います。ブッシュ・ブレア・小泉はお馬鹿さんの見本です!彼等は人道への犯罪者として国際司法裁判にかけるべきです。

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2009年12月 1日 (火)

日光田母沢御用邸記念公園の紅葉2

11月2日の日光市の田母沢御用邸記念公園へ行ってきました。生憎の大雨で日光東照宮から帰ろうと思ったのですが、思い切って御用邸へ行ってきました。御用邸の紅葉は綺麗だと聞いていましたが、これほど素晴らしいとは思いませんでした。やはり芸術家肌だった大正天皇が皇太子時代から避暑地として、また天皇に即位してからも静養のために御座所を設けただけの事があります。今はほとんどの土地を東京大学大学院の日光植物園へ管理を移していますが明治・大正時代の田母沢御用邸は日光の自然に囲まれた素晴らしい御用邸だったのでしょう。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&シグマ50mmF1.4です。

大正天皇の漢詩

 歳晩

 北風凛洌透人肌
 正是今年欲暮時
 愛日己臨南殿外
 寒梅早有著花枝

(意)北風が凛として人の肌を刺す
   今まさに今年も暮れんとする時
   冬の光はすでに紫宸殿の外にまで届き
   寒梅には早くも花をつけた枝が見える

素晴らしい漢詩ですね。やはり大正天皇は素晴らしい文化人だったと思います。大正天皇の漢詩と和歌は万葉時代からの歴代の天皇の中でもトップクラスだと思います。歳晩とは年の暮れの事です。少し早いかもしれませんが今日から師走です。

ドバイ恐慌が始まってしまいましたね。これは世界大恐慌の前触れかもしれません。むかし日本にもニューヨークから1929年秋に始まった世界大恐慌は翌年の1930年(昭和5年)日本にも飛び火をしてきました。これを昭和恐慌と呼び、1927年(昭和2年)から始まった昭和金融恐慌とは区別をされています。この昭和恐慌により日本政府は円安を利用して輸出を急増させる政策に変更しました。これにより植民地を多く持っていた欧米各国は通貨防衛のためにそれぞれの通貨のブロック経済を構築する事で対抗しました。日本は欧米の経済ブロック化への防衛の目的で日本・満州・中国の経済ブロックを構築するために中国各地へ軍事進出しました。言い方によっては日本は追い込まれたのです。日本と同じ後発資本主義国であった。ドイツ・イタリアもそれぞれの国の通貨の勢力拡大に努めました。それが枢軸国対連合国の対立だった第2次世界大戦の始まりの始まりでした。昭和恐慌の前に予兆として昭和金融恐慌があったと見れば、数年前にあったミニバブルの破綻が昭和金融恐慌と同じように見えます。状況は両方とも非常に似ています。第2次世界大戦は昭和16年に始まったのではなく昭和2年の昭和金融恐慌から始まっていたのです。戦争は軍事力だけで始まるものではなく、経済が先行し、経済で処理できなくなったときに武力の行使で決着をつけるのです。それを考えると昭和の時代に先立つ大正時代の天皇の心痛は大変なモノがあったのだと思います。平和主義者の天皇の存在は国家主義者や国粋主義者にとっては厄介者でしかなかったのだと思います。

恐慌が始まる時は経済評論家や経済専門家には対策は立てられません。聞いても概念的な事しか答えられないのです。やはりここは政治家が判断して舵を切って行かないといけないのでしょう。私は専門家ではないのでよく分かりませんが、歴史を見ると恐慌はいままで何度かあるようです。戦争で解決すると回復までの時間が割合短いですが、戦争でも解決しないと非常に長く時間がかかります。場合によっては百年単位の話でもあります。いまとりあえず言える事は現金を握ってじっと動かないのが一番です。ローンは親や兄弟の力を借りてでも、いま返せるだけ返済することでしょう。もともとローンとは現金の裏打ちなしで何十年先に返済しますと小切手にサインするようなものです。住宅ローンは国家の詐欺の一つです。むかしの世界は鉄は国家なりでした。いまは日本に限らす世界中が住宅産業を育成する事で産業を興してきたのです。そこまでは間違いではなかったのです。国家は国民に持ち家は財産になると嘘を教えたのです。マンションは35年後はスラム化している可能性が高いと思います。それでも国民は買い進めています。つまりそれは財産を持ちたいと言う国民の欲求を利用しただけなのかも知れません。人口が明らかに減って行くのに土地は財産なのでしょうか?もう遅いかもしれませんが、今こそ立ち止まって冷静に考えるべきでしょう。いま考えると大正時代は15年と短かったですが良い時代だったのかも知れません。

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2009年11月27日 (金)

野尻湖畔の秋1

10月31日の野尻湖畔です。今回は野尻湖畔の国際村です。野尻湖は秋が始まりました。例年より少し遅れ気味な始まり方でした。野尻湖畔の北側には国際村があります。軽井沢に次いで日本で2番目に古い別荘地でカナダ人宣教師達が軽井沢の俗化を嫌って野尻湖畔へ移って来たのです。昔は交通手段やコミュニケーションの手段が無かったので1年に一度の夏休みに日本中から外国人が野尻湖畔に集まって情報交換の場としていたそうです。野尻湖はいまはバス釣りで有名ですが、人のあまりいない俗化されていない静かな湖です。国際村は湖畔から野尻湖畔の別荘は北斜面に建てられていて、それぞれ出身国の独特な形をしています。日本人と外国人は余暇に対する考え方が全く違います。国際村は夏には非常に賑わいます。外国人は長期休暇を取れるのでしょうね。日本人の別荘地帯は対岸の南斜面に建っています。夏は日が当って北斜面の国際村より暑いです。野尻湖畔の南側の日本人別荘地の下に野尻湖畔で唯一美味しいピザを食べさせてくれる店があります。店の名前は「甲比丹(カピタン)」(Tel026-258-2347)です。この店のピザは本当に美味しいです。この店に国際村の住民が夜に懐中電灯で道を照らしながら歩いて食べに来ます。3キロ以上あるでしょうか。ほぼ1時間近くかけて家族連れで食べに来ます。往復ですから大変ですが彼らは絶対車は使いません。この辺の考え方も日本人とは違うと思います。私も野尻湖畔へ行くと必ず1回はこの店で食べます。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mm&ペンタックス55-300mmです。

昨日、北鎌倉と横浜の三渓園へ行ってきました。北鎌倉はホームから前の列車の人が出ないうちに次の列車が着いてしまい大混雑でした。特にお歳の方が多いのでホームを下りるのに時間がかかります。三渓園は学生時代に日吉の授業が休講になり時間が余ったので友人の車で三渓園へ行った時以来でした。40年以上前の話です。北鎌倉は紅葉の盛りに近かったです。三渓園は今月中でしょう。しかし、三渓園は素晴らしいですね!

厚生省の元事務次官夫婦の殺害犯の裁判が始まりました。これは裁判員裁判ではないようですね。殺された夫人は私の小中学校の同級生でした。犯人はキチガイですね!これからこの様な事件が増えるでしょうね。景気が悪くなると犯罪が増えます。精神科の医者はあまりにも簡単に抗鬱剤(覚せい剤と同じようなもの)を出しすぎます。自分で自分を守るのも限界があります。警察官の増員が必要ですね。公安部門は減員して刑事や生活安全部門を増強して交番や駐在所を増設して警察官などを必ず24時間配備する必要があると思います。この際、補助警察官組織を作る必要もあるのではないかと思います。首都圏では人身事故での電車の遅れが目立ちます。今年の12月はもっと増えるでしょうね。

日本の円が高くなっています。円が高いのではなくてドルが安すぎるのでしょう。アメリカの政策的な景気浮揚策の一つでしょう。日本はますます円高でデフレに拍車がかかるでしょうね。最悪です!菅大臣もデフレ宣言するのなら同時にデフレ対策を発表すべきです。国民誰もがデフレは認識しているのです。政府にデフレ対策が無いのなら日銀のようにデフレとは言い切れないと言い続けたほうがまだマシです。輸出企業は大変でしょうね。私の大学の同級生で一番仲の良かった男が某大手製造輸出会社のCFO兼副社長です。アメリカから帰ってきてCFOになってからTVに度々出てくるのですが、いつも謝ってばかりで気の毒です。これからも謝り続けるのでしょうね。まあ、年収数億円以上ですから当然とも言えますね。これからの日本経済は大変でしょうね。私は半分引退していてボケ防止で働いているので気が楽です。

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2009年11月18日 (水)

11/8の桐生川の紅葉1

11月8日の群馬県桐生市の桐生川の紅葉です。全体的に少し早すぎたようです。桐生の郊外から少し上流に入ったところの紅葉が綺麗でした。もっと上流は紅葉の始まりでした。紅葉の到来が逆転しているようです。11月15日にも再び行っていますが15日には桐生川の下流は盛を過ぎていました。紅葉は難しいですね。高低差のある渓流は何処かでベストな紅葉に出逢えるのが良いですが下流の方が上流より早く紅葉するのは初めて見ました。今回、桐生川へは初めて行きましたが道が狭いのですれ違いが大変でした。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mmとペンタックス55-300mmです。スローシャッターは三脚を渋々と持ち出しました。1/30秒までは手撮りです。

一気に冷え込んできましたね!昨日、タイヤをノーマルからスタッドレスに替えてきました。ノーマルタイヤは2輪にスリップマークが出てきたので来春には新しいタイヤを履かないといけないようです。デフレですからタイヤも安くなっているようです。車は来年の1月で3年目に入るので来年3月に乗り換えるか、来春に新しいノーマルタイヤを買って2年ほど走るかが問題です。その場合は来年11月にスタッドレスも買い替えないといけません。2年間で5万キロ以上走るので4年間だと10万キロを超えてしまいます。これでも最近は昔に比べて走らなくなっているのです。スタッドレスに替えると高速道路でスピードを出せなくなります。それだけ安全運転になりますが、何となく不満!です。もうそろそろ年の事を考えないといけないですね。

千載集から藤原清輔(きよすけ)の歌。

      更(ふ)けにける

    我が世の秋ぞ

      あはれなる

    かたぶく月は

    またも出でなむ

(意)老けてしまった私の人生の秋は悲しいものだ。西へ傾く月は、再び東から昇るだろうけれど。

藤原清輔は藤原氏の六条家の出で六条藤家とも呼ばれています。和歌の家系で歌道家としては藤原俊成(藤原定家の父)の御子左家を凌ぎました。

昨日のニュースによると、社民連代表を務めた前参院議員の田英夫氏が13日に亡くなりました。若い人たちは聞きなれない名前かも知れませんが、TBSの報道番組ニュースコープのニュースキャスターから社会党の参議院議員となり2007年に引退しました。彼の反戦・反権力の思想は多くの人に影響を残しました。反権力だったため自民党などから多くの圧力を受けながら自分の思想信条を貫きとおした人です。ベトナム戦争当時、アメリカが勝っているとの一般マスコミの報道に対し直接ハノイを訪れアメリカが負けていると真実を報道したため当時の佐藤政権から圧力を受けました。惜しい人が亡くなったと思います。自民党政権時代は多くの反戦・反権力のマスコミ人が圧力を受けました。今のマスコミには真実を報道する勇気のあるマスコミ人が果たして何人いるでしょうか?むかし私は小さなテレビ局の総務課長をしていた事がありました。当時、郵政省からテレビ局へ天下ってきた元官僚の役員から私の言う事を聞かないと放送免許を取り上げると言われた事があります。大喧嘩になって放送免許を取り上げられるものなら取り上げてみろ。恥をかくのは郵政省だと言いきってやりました。郵政省の局長に言いつけてやると言ってましたがその後音沙汰なしでした。免許事業には必ず官僚が免許に付属して天下ってきます。どの大手報道機関も天下りを受け入れているはずです。また政府関連の広告宣伝費もマスコミの営業的には大きいのです。ここにマスコミは免許とお金で圧力を受けやすい体質があるのです。その間をかいくぐって真実を報道するのは大変な勇気が必要とされるのです。

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2009年11月16日 (月)

日光東照宮の秋3

11月2日の雨と風の中の日光東照宮です。日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康を御祭神におまつりした神社です。徳川家康は、元和2年4月17日に駿府城(静岡県静岡市)で75歳で亡くなり直ちに久能山に神葬されました。そして遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。久能山には久能城がありましたが、廃城とされその地に久能山東照宮が創建されました。日光に移された家康の遺骸は日光に葬られ最初は東照社と呼ばれていましたが、のちに朝廷より宮号を賜り、東照宮となりました。日光東照宮の地はもともと二荒山(ふたらさん)神社が鎮座し日光を神域とされていました。二荒山神社はもともと下野国一宮で由緒正しい神社でした。神域は伊勢神宮に次いで日本で2番目に広い神域です。宇都宮にも二荒山神社があり、これは宇都宮二荒山神社と呼ばれています。宇都宮二荒山神社は名門の豪族宇都宮氏から宮司が出ていて日光の二荒山神社とは別な動きをしていたようです。しかし延喜式神名帳(927年)には宇都宮二荒山神社が大社とされていたようです。日光東照宮が日光の二荒山神社の中に久能山から移ってくるについては必ず何かの大きな問題が起きていたはずなのですが!多分、日光二荒山神社は徳川幕府の強圧的なそして金銭的な懐柔策により場所を東照宮に譲ったのだと思います。日光二荒山神社は後北条氏に加担したため豊臣秀吉より領地を没収され非常に困窮していたそうです。その後を継いだ徳川政権は当然社領を復活させ厚く遇したに違いがありません。

宇都宮景綱の家集「沙弥蓮愉集」から。

      秋の色も

    まだふかからぬ

      もみぢ葉の

    うすくれなゐに

    ふる時雨かな

(意)秋めいた色もまだ深くない紅葉の薄紅。時雨がそこに降り注いで薄紅に添えようとするかのようだ。

詞書に「宇都宮社の九月九日まつりの時よみ侍る」とあります。宇都宮二荒山神社のお祭りを詠ったものでしょう。祖父の宇都宮頼綱は藤原定家と親交がありました。宇都宮頼綱は畠山重忠の変に北条氏に従い畠山重忠を討つのに功をあげましたが、畠山重忠に同心したとの疑いと舅にあたる北条時政と牧氏の陰謀に加担したとして誅伐を命ぜられました。宇都宮頼綱は直ちに出家して実信房蓮生(じっしんぼうれんじょう)と名乗り鎌倉へ出頭し無実を訴えました。訴えが認められると京都の小倉山の山荘に隠棲をしました。引退しても下野国の大豪族の宇都宮氏の棟梁だったので隠棲資金は潤沢で京都の大寺院の修復などの資金元になったり、歌会を催したりして風雅な生活を送っていました。また伊予守護職になったりして隠棲してから楽しく過ごしたようです。藤原定家の選んだ小倉百人一首は宇都宮頼綱(蓮生)が京の別荘小倉山荘に隠棲していた時に、定家に古今の歌人の代表作の色紙染筆の制作を依頼し、その作品の和歌98首をその襖絵として飾ったことに始まると言われ、その事から小倉山荘の名前から小倉百人一首と呼ばれるのです。当時、藤原定家は和歌の家としてだけではなく広く芸術のプロデュースもしていたようです。宇都宮頼綱は宇都宮歌壇を京都歌壇・鎌倉歌壇と並び日本三大歌壇と呼ばれる礎を築きました。

11/14のZakuZaku(産経新聞)のWeb版に田中角栄元総理と鳩山総理の気になる記事が載っていました。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20091114/plt0911141350002-n2.htm
可能性は高いのです。日本の少し古い政治家は田中角栄事件以来アメリカが怖くなっているのです。アメリカに逆らうとローキード事件の時のように秘密文書が偶然に郵便局の配達ミスを誘うと言われているのです。属国日本が勝手な事をするのを許さないのでしょうね。アメリカは国益のためには反アメリカと判断すると潰しにかかります。それが国際紛争が絶えない根本原因の一つなのです。その事をアメリカ自体が理解していないので、世界中から嫌われるのです。9.11テロのアルカイダも元々はCIAの下部機関でした。北朝鮮やイランの核はアメリカへの恐怖から作られたものです。中国の核は台湾海峡から本土の中国共産党が台湾を侵攻するのを防ぐためにアメリカが核を使って中国共産党を牽制した事から中国共産党はすべてに優先して核開発をしたのです。最近の研究では中国は核開発の為に6千万人が餓死したとも言われているのです。当時の中国の人口は6億人でした。信じられますか!国民の10人に1人が餓死しても国(?)を守るために核開発をしたのです。北朝鮮も同じです。平和ボケしてきた日本人には理解不能でしょう。また自己中心のアメリカにも理解は不能でしょう。これから日本をどのようにして守るかは非常に難しい問題です。アメリカ抜きには考えられないでしょう。いかに上手にアメリカと付き合うかがこれからの日本の政治家にとって頭の痛い問題となります。安っぽい愛国主義やいい加減な御都合主義では日本を維持出来なくなるでしょう。自己主張が出来ない国家は世界中から馬鹿にされます。日本は世界に向けて堂々と主張できる平和憲法を持っていて、過剰すぎるほどの屈指の防衛力を持っています。これからの日本は軸足をアメリカから他に移す事を真剣に考えないといけないでしょう。アメリカからは裏切りと見られるかも知れませんが。

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2009年11月14日 (土)

古峯神社の秋

11月24日の栃木県鹿沼市の古峯神社です。古峰ではなく古峯が正しいようです。この神社は1300年前からこの地、栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原(こぶがはら)に鎮座しているそうです。日本武尊をお祭りしている神社です。古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人の修行の場となり、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し日光開山をしました。この神社は別名「天狗の社」と呼ばれています。天狗は神のお使いとして、崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難を取り除いてくれる(災厄消除・開運)偉大なる威力の持主として広く根深い民間信仰を集めています。この神社の中に古峯園と言う25,000坪の回遊式日本庭園がありモミジが有名なところです。最後の写真は石造りの天狗の面です。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

オバマ大統領と鳩山首相の首脳会議では細部については公開されていませんが沖縄の基地の問題はかなり突っ込んで話し合われたはずです。沖縄の基地の問題に限らず、日本にあるアメリカ軍基地はの問題は政権が変わったのですから時間をかけて見直すべきでしょうね。しかし国際的なルールから時間は日本の時間ではなくアメリカの時間も見ないといけないでしょうね。原則はお互いに前政権の取り決めは尊守するものだと思います。そもそも沖縄からアメリカ軍の基地が無くなると一番困るのは沖縄県民でしょう。日本政府のアメリカへの思いやり予算が逆流して一部が沖縄県に流れてきているのです。沖縄の不動産価格が日本の過疎の県より大幅に高いのにはその様な裏の理由があるのです。公務員より基地で働く方が高待遇で賃金も高いのです。また飛行場の移設も沖縄県内の建設土木業業者を救済する意味もあるのです。そのために沖縄のジュゴンは見捨てられるのです。沖縄経済はアメリカ軍基地なくしては成り立ちません。長期に渡り自民党政権が続き、見直す事が出来なかったのがすべての原因です。やはり政権交代は必要だったのです。日本のマスコミは今まで沖縄の現実を報道してきたのでしょうか?非常に疑問です。沖縄の問題は根底に太平洋戦争で唯一陸上戦が行われアメリカ軍により軍事的に占領された歴史があります。歴代の日本政府もアメリカに遠慮し、また沖縄県民に対し後ろめたい感情を持っていたのです。

思いやり予算とは1978年に金丸信防衛庁長官(当時)が日米地位協定さえも無視してふみきったもので、米軍基地整備費に加え、1987年から5年ごとの思いやり協定で基地従業員の基本給や光熱水料などへも対象を広げ、いまや米軍給与以外のほぼすべての経費を日本が負担し、負担額も当初は62億円だったものが今年度は2,000億円以上に膨れ上がっています。アメリカと軍事同盟を結んでいる国は沢山ありますが、思いやり予算などと言うものをアメリカに出しているのは日本だけです。そもそも日米地位協定24条は、「合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費は合衆国が負担する」と明記しています。この思いやり予算について、私は金丸氏が逮捕される数日前に金丸氏にパレロワイヤルビルの部屋で直接二人だけで会って1時間半ほど色々と話した事があります。私が一番最後に金丸氏に逢った一般人だったそうです。その時に新党構想などの話の中で思いやり予算の事が話題になりました。金丸氏は「番犬にも餌をやらなきゃならん」と日本を守るコストだと言っていました。金丸氏もこれほど金額が膨れ上がるとは想像していなかったと思います。5年ごとに見直すと言う事は当時の日本政府にも無理した法解釈だったのでしょう。日米地位協定の本旨に戻す事は日本政府の強固な決断があれば可能です。国際法上も問題はありません!はっきりと結論を言えば日本の政治家達がアメリカにはめられた田中角栄元総理の二の舞になる事を恐れなければ出来る話です。その点が私の言っている日本にはプロの政治家は要らないの一つの根拠です。プロの政治家は利権と結び付く可能性が高くなり官僚に取り込まれる可能性が高いのです。これからは右翼の安っぽいナショナリズムではなく、新しいナショナリズムが生まれてくるのでしょう。

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