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2009年7月 7日 (火)

原市沼の古代蓮2

今夜は七夕ですね。幼いお子さんのいる家庭では今夜は七夕飾りでしょうか?我が家も昔は七夕をしていましたが、いつの間にか何もしなくなりました。

7月1日の埼玉県伊奈町と上尾市の境にある原市沼の古代蓮です。この古代蓮は埼玉県行田市で発掘された1300年前の古代蓮(行田蓮)を分けてもらった古代蓮です。綺麗ですね!大賀蓮と行田蓮の違いは私には分かりませんが、どちらかと言うと大賀蓮の方が少し白っぽく、花弁の先が少し赤みが強くなるように見えます。大賀蓮は毎日背丈が伸びて最後の方は脚立の上からでないと花を上手く撮れなくなります。行田蓮は大賀蓮より少し赤みが強いかと思います。背丈も大賀蓮ほど背が高くなりません。同じ種類だとも言われていますが少し違うのではと思っています。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mm&50mmマクロ&x2テレコンです。

関八州の天領(幕府直轄領)30万石の代官として原市沼の隣に1万石の陣屋を設けた伊奈忠次はこの沼を防衛拠点としました。領地は伊奈町と鴻巣市で合計1万石で大名の末席でした。伊奈氏は信濃伊那の出身で徳川家康の父である松平広忠の家臣となり譜代衆でした。しかし、父親の伊奈忠家が三河一向一揆に加わり家康と敵対し徳川家から離れましたが長篠の戦で陣借りして武功を立てて徳川家へ帰参しました。徳川家康の嫡男の松平信康の家臣として伊奈忠次は父親と一緒に付けられましたが、信康自刃後、再び徳川家を離れ戦国時代から東洋のヴェニスと呼ばれた堺に住んでいました。本能寺の変の直後、堺見物中だった徳川家康が明智光秀の追手を逃れ本国へ帰るための逃避行であった伊賀越えに小栗吉忠に協力して貢献し再び帰参が許されました。徳川家から離れ堺に住んでいたのは偶然なのでしょうか?後に駿・遠・三の奉行で代官頭だった小栗吉忠の同心として活躍し後に小栗吉忠の後を継ぎ代官頭となりました。徳川家康の関東入部後は関東代官頭として関東の治水や新田開発は彼が基礎を築いたと言われています。

北宋の蘇軾(そしょく)の詩。

 水光瀲灔晴方好 すいこう れんえんとして はれ まさによし
 山色空濛雨亦奇 さんしょく くうもうとして あめもまた きなり
 欲把西湖比西子 せいこをとって せいしに ひせんと ほっすれば
 淡粧濃沫總相宜 たんしょう のうまつ すべて あいよろし

(意)さざなみを浮かべて広がる湖水の光は、晴れた日こそ美しい。霧のように山をつつんだ雨の景色もまた格別の眺めである。この西湖をあの西施にたとえてみれば、薄化粧でも厚化粧でも似合うように、西湖は晴れても雨でも、趣があってよい。

西施とは王昭君・楊貴妃・貂蝉と並んで中国古代四大美人と言われています。紀元前5世紀ごろ越王勾践が呉王夫差へ復讐のために贈った美女軍団の一人で絶世の美女と言われ呉王夫差は彼女の魅力の虜になり呉国を弱体化させられ、ついに越王勾践が呉国を滅ぼしましたと言われています。会稽(かいけい)の恥あるいは臥薪嘗胆のことわざの語源になった物語で有名です。広辞苑によると『春秋時代、越王句践が呉王夫差に敗れ、会稽山に逃げ込み、屈辱的な講和をしたという故事による。呉王夫差はこの時、臣下の伍子胥(ごししょ)の強い反対を押し切り、越王の句践を許してしまう。こうして赦免された越王は「会稽の恥」を忘れるものかと、苦節十数年「臥薪嘗胆」の日々を送り、呉王夫差が中原への進出に食指を動かし始めたその隙をついて呉に攻め入り見事宿願を果たしたのである。呉王夫差は伍子胥に会わせる顔がないといって自害した。なお、その恨みを晴らすことを「会稽の恥を雪ぐ(すすぐ)」という』

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コメント

おや、珍しくイチコメでしょうか?
おはようございます(^o^)

古代蓮、美しいしロマンがありますね~。
イメージとしてもっと色が薄いかと思っていましたが、意外にも濃いピンクなのですね。

投稿: ぷく♪ | 2009年7月 7日 (火) 08時33分

ぷくさん、こんにちは。
古代蓮は綺麗な濃いピンクです。やはりレンコンを採る蓮とは違っています。レンコン畑の蓮の花は白や薄いピンクが多いようです。古代蓮とは種類が違うのだと思います。

投稿: シゲ | 2009年7月 7日 (火) 09時56分

古代蓮と大賀蓮、区別が難しいですねぇ。。。
感覚ですが、大賀蓮の方が条線が薄いので
それで区別をしております。

投稿: 凪々 | 2009年7月 7日 (火) 19時50分

古代蓮はほんとに色が綺麗ですね。

投稿: the-fuji | 2009年7月 7日 (火) 19時54分

凪々さん、こんばんは。
なるほど確かに大賀蓮の方が色が少し薄いように感じるのでしょうね!

投稿: シゲ | 2009年7月 7日 (火) 22時30分

the-fujiさん、こんばんは。
古代蓮の色は本当にきれいな色です。

投稿: シゲ | 2009年7月 7日 (火) 22時30分

なんとも鮮やかなピンク色ですね。
私、このような緑とピンクの配色が好きで
WEB素材を作るときにも定番として使っていますが、
本当に互いに引き立てあっていますね(^^)

投稿: yoshiko | 2009年7月 7日 (火) 22時57分

yoshikoさん、おはようございます。
蓮の花は綺麗ですね。緑の葉と良い組み合わせですね。

投稿: シゲ | 2009年7月 8日 (水) 07時21分

伊奈家小室陣屋跡・・・さして遠くないところ。行こうと思いながら実行してません。
伊奈熊蔵・・・信州伊那郡の熊蔵城の出自と言われますが伊那地方出身の私も場所を特定できません。

投稿: ヒキノ | 2009年7月 9日 (木) 19時47分

ヒキノさん、こんばんは。
ひょっとすると川口市安行の伊奈氏の菩提寺・源長寺に何かあるかも知れません。あるいは鴻巣市の勝願寺に伊奈忠次の墓があります。何か伊奈氏の出自について残っているかもしれませんね。

投稿: シゲ | 2009年7月 9日 (木) 22時47分

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