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2009年2月

2009年2月28日 (土)

花之江の郷の早春

2月14日に栃木県都賀町の花之江の郷に行ってきました。セツブンソウとバイカオウレンを狙いました。雪割草はまだほんの少し咲いているだけでした。1枚目の花がバイカオウレンです。早春に咲く花はみんな可愛いですね。カメラはオリンパスE-3とズイコー14-54mm&50-200mm&x2テレコンです。さすがに低い位置で撮れるE-3です。おかげで地面に這いつくばらなくても何とか撮れます。私はファインダーで見て撮らないと不安なのですが低い位置で撮るにはE-3の可動式の液晶は便利です。その他に人混みの中で頭の上に両手をあげて撮るにも最適です。

和漢朗詠集から藤原兼輔(かねすけ)の歌。

      青柳の

    まゆにこもれる

      糸なれば

    春の来るにぞ

    色増さりける

(意)芽吹き始めた柳の枝は細くて蚕の籠った繭の糸に似ている。春が来ると一段と色が美しくなる。

この歌は古今集には載っていませんが藤原公任の三十六人撰には撰ばれています。和漢朗詠集には和漢の漢詩や日本の和歌が載っています。当時の貴族の宴会では和漢朗詠集に載っている歌を皆で歌いまわす風習があったようです。和漢朗詠集は当時の貴族の必修科目だったのでしょうね。歌えないと恥をかくことになりました。

昨日の読売新聞インターネット版に気になる記事が・・・。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090226-OYT1T01251.htm

やはり、アメリカを完全に信用してはいけません。昨日もブログに書きましたが国家間の約束事は自分に都合がいい方を取ります。中国は日本を抜いてアメリカ国債所有世界第1位。紙切れになるかもしれませんがこれからオバマ大統領はアメリカ国債を大量発行しないとアメリカ国家がもちません。当然中国はアメリカに恩を着せてアメリカ国債を買い続けるでしょうが、日本は文句を言わないアメリカ追従の国。日本がアメリカの方針に従うのは常識だと思っているのでしょうね。ガツンと言わせる政治家は日本からは出ないのでしょうか。ガツンと言ったら言った本人のスキャンダル連発になるかもしれませんからね。これは日米安保条約の根幹にかかわる国家の自衛に関する重大問題なのです。しかし問題を避けて通る日本のマスコミですから新聞にはあまり書かれないでしょうね。国防費はアメリカはGNPの3%強です。日本は1%です。アメリカの大不況の中、世界中の国のGNPは下がります。アメリカは属国の日本に対して国防に関しての資金や基地への要求は必ず強くなります。さあて、どうする日本!

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2009年2月27日 (金)

大磯 吉田茂邸

2月21日にバスツアーで大磯にある元総理大臣吉田茂邸へ行ってきました。ここは現在西武鉄道の所有で大磯プリンスホテルが管理をしています。1万坪の敷地と300坪の屋敷の維持管理に問題があり、現在は国への売却を検討中だそうです。ここは原則非公開で事前に申請する必要があるそうです。建物は傷みが激しいようで到る所の天井に雨漏れの跡があります。吉田元総理大臣は建て増しや改築が大好きだったそうで、雨漏りの原因個所を探すのは不可能なのだそうです。建物は1階の一部だけ公開されていますが撮影禁止でした。最初の4枚は大磯プリンスホテルです。

吉田茂は外交官出身の政治家で戦前戦中と反戦・反軍の立場を貫き通しました。彼は外交官としてはエリートコースではなく、中国や発展途上国への駐在期間が長い外交官で欧米での任期は割合短かったのです。駐イギリス大使時代は日独防共協定阻止と日英同盟復活に奔走し、軍部に睨まれました。この時期に後に吉田茂の右腕となった白洲次郎と深く交わりを持つようになったようです。またアメリカのグノー駐日大使等と深い親交を結びました。終戦時にはグノーはアメリカ国務省の次官で、日本に吉田茂ありと占領軍が考えていたのもこのような経緯があったのです。吉田茂は日米開戦の2年ほど前に外務省を退官し、自由に活動ができるようになりましたが、戦争末期に反戦活動により一時憲兵隊に拘束されました。総理大臣退任後は吉田茂は毎朝の散歩で太平洋に面した高台で海を見ることが日課だったそうで、その位置に銅像が立っています。銅像の面している方向はサンフランシスコだそうです。サンフランシスコは吉田茂が総理大臣兼外務大臣として、そして首席全権として講和条約を締結した地です。講和条約により日本は占領時代が終わり、再び独立国となることができたのです。しかしこの講和条約により竹島・尖閣諸島・北方4島などの領土の問題が解決しないまに現在にまで至っています。サンフランシスコ講和条約は昭和26年9月8日調印され昭和27年4月28日発効しました。したがって昭和27年4月28日に日本は戦争状態が終わり独立できたこととなりました。しかし、この講和条約は一括締結ではなく個別締結でしたので昭和26年9月8日に調印しなかったソ連・ポーランド・チェコスロバキアなどの国もあり、また講和会議に参加しなかった国々も、後に徐々に個別締結することとなりました。ソ連はサンフランシスコで調印をしませんでしたが、昭和31年10月にモスクワで鳩山総理大臣とブルガーニン首相との間で平和条約を結ぶことに努力をしましたが、結局は不調に終わり代わって日ソ共同宣言により戦争状態にはピリオドをうちました。しかし、いまだに平和条約は両国間では締結されていません。条約などは国際法上の拘束力はありますが、国際法を守る気がなければ効力などは失われてしまいます。それは歴史が証明しています。近い例が第2次世界大戦最末期の昭和20年8月8日のソ連軍の侵攻です。その時は昭和16年に日ソ間で相互不可侵・中立条約(有効期間は5年と明記されていました)が締結されていました。ナチスもソ連も条約は自国に有利な時には守りますが、自国に不利な時は一方的に破棄します。日本陸軍も満洲からソ連領への侵攻を真剣に考えていました。国際関係の中で条約など神社のお守り程度の力しかないものなのです。一応、オランダのハーグにある国際司法裁判所がありますが、ここで取り扱うのは関係両国で国際司法の場に出す事を了解しなければ取り扱いません。自国に不利な事を国際司法裁判所に提出する事を了解する国はありません。しかし国際法で国家を裁く場はこの裁判所しかありません。

最後に、吉田茂は白金の旧朝香宮邸(現在は東京都庭園美術館)を幣原内閣の外務大臣として外務省公邸(目黒公邸)として借り上げ、その後も第4次吉田内閣で外務大臣兼務を解きましたが旧朝香宮邸に住み続けました。吉田茂は非常にこの屋敷を気に入ったようで総理大臣になっても外務大臣兼務でしたので旧朝香宮邸に住み続け総理大臣としての公務もこの外務大臣公邸でとりました。冗談で「この屋敷に住みたかったので外務大臣兼務をしたのだ」と言っていたそうです。この旧朝香宮邸を外務省が借り入れたのは皇籍離脱した朝香宮家の暮らし向きを心配した昭和天皇の意向により外務大臣の吉田茂が公邸として借り上げたと言われています。その後西武鉄道に払い下げられましたが吉田総理大臣はここに住み続けました。昭和29年吉田総理大臣が退任した後に西武鉄道の管理で赤坂迎賓館が完成する昭和49年まで国の迎賓館としても機能しました。昭和56年に東京都に買い取られ昭和58年から東京都庭園美術館として公開されました。

詞花集から西行法師の歌。

      身を捨つる

    人はまことに

      捨つるかは

    捨てぬ人こそ

    捨つるなりけれ

(意)身を捨てて修行する人は、本当に自分の身を棄てるのだろうか。いや、捨てずにいる人こそが、我が身を棄てることになるのである。

この歌は西行の歌が初めて勅撰に選ばれた記念すべき歌で、この頃は西行の名前は世間一般に知られていなくて読み人知らずとされた歌です。詞花集の撰者は藤原顕輔(あきすけ)です。

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2009年2月26日 (木)

今年の最後の上野東照宮冬牡丹2

2月11日の上野東照宮ぼたん苑です。冬牡丹としては最盛期を過ぎていますが、やはり綺麗ですね。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mm&50mmF1.4です。50mmF1.4は開放より1~2段絞ったほうが綺麗に写ります。

古今集から凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌。 

      けふのみと

    春を思はぬ

      時だにも

    立つことやすき

    花のかげかは

(意)今日で春は終りと思わない時でさえ、この美しい花のかげから、たやすく立ち去るなどできようか。

この歌は古今集の春歌下巻の最後を飾る歌です。凡河内躬恒は下級官吏でしたが、和歌の世界では有名だったようです。古今集は正式には古今和歌集と呼び日本で最初の勅撰和歌集です。醍醐天皇の勅命により編纂された万葉集以降140年余りの間に読まれた歌が集められています。撰者は紀貫之・紀友則(途中で死去)・壬生忠岑・凡河内躬恒の4名でした。真名序は紀淑望(よしもち)が仮名序は紀貫之が執筆しました。特に仮名序は現代の平仮名の基となったと言われていて、後世に大きな影響を残した歌論でした。凡河内躬恒の祖先は河内国造でした。紀貫之との固い友情は有名で古今集に紀貫之の九十九首に次ぐ六十首が入集しています。

今日は2.26事件の起きた日です。戦前の歴史の中で重要な転換点でした。私の父は大学へ行っていたために徴兵猶予とされていましたが事件の数か月前に召集され麻布3連隊安藤中隊で新兵教育期間中でした。父は下士官たちから決起が近い事をある程度は聞いていたそうです。父は決起部隊として野中大尉の指揮下で重機関銃士として警視庁襲撃に参加して正面玄関前に重機関銃を据えて玄関に狙いを定めていたそうです。当然銃口は少し上を向けていたそうです。その後国会議事堂に立て籠もりました。父は学生時代から左翼活動家でしたので思想的には反対の立場だったのですが、亡くなるまで安藤・野中大尉は立派な人間だったと言っていました。父は生前、昭和天皇と雑談中に突然お「前は反乱兵だな」と怖い顔をされてたことがあり、思わず椅子から立ち上がって直立不動をしてしまったそうです。本当に怖い顔だったそうで、翌朝父は私に陛下は股肱の臣を殺された事を忘れていないんだなと言っていました。その場は入江侍従長が「こいつは二等兵で連れて行かれただけですよ」と助け船を出してくれたそうです。父の同級生達も数人が近衛連隊で新兵教育をされていたそうで、反乱軍鎮圧の出動準備をしていたそうです。もし反乱軍と戦う事になったらどうしましたかと聞いた事がありました。全員が空に向けて鉄砲を打つつもりだったと言っていました。そうでしょうね。

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2009年2月25日 (水)

武相荘(ぶあいそう)

2月21日に大磯の吉田邸~島崎藤村邸~武相荘と観光バスで回ってきました。今日は白洲次郎と正子が住んだ東京都町田市にある武相荘(ぶあいそう)です。武は武蔵で相とは相模です。実際は無愛想だと思います。ここは戦後吉田茂総理大臣の右腕として占領軍(GHQ)との交渉役を務め、日本国憲法の作成に関わり、占領軍最高司令官マッカーサー元帥を怒鳴りつけた唯一の男、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれた男として有名になった白洲次郎の隠棲の地です。後に貿易庁初代長官として商工省の改革に取り組み後の通商産業省の基礎を作りました。退官後は東北電力の会長を務めました。白洲次郎は今いろいろな出版物で有名になりましたが、一般的にはあまり名前を知られていませんでした。脚光を浴びたのは最近です。昔から妻の白洲正子の方が世間では有名でした。正子は随筆家で新古今集に関係する本等で有名でした。特に西行の研究は素晴らしいと思います。父方の祖父は海軍大将伯爵の樺山資紀で母方の祖父は海軍大将伯爵の川村純義です。川村純義は昭和天皇の養育係となり沼津御用邸では正子本人と昭和天皇は遊び相手でした。白洲次郎は戦争前に一時は近衛文麿の側近として和平工作に参画していましたが、開戦前に日本の行く末を考えてこの地に隠棲し、カントリー・ジェントルマンを自称していました。白洲次郎はこの地に隠棲していながら吉田茂を中心とする「ヨハンセン・グループ」(宮中反戦グループ)に加わり、終戦工作に奔走しました。

今週の土曜日から白洲次郎を主人公にしたNHKドラマが始まるそうです。NHKでも力を入れた、あまり世間では知られていない白洲次郎像が現れると思います。

 さくら花 ちりぬる風の なごりには

   水なき空に 波ぞたちける  紀貫之(古今集)

(意)風が吹き、桜の花が散ってしまった。その風が去って行ったあとのなごりには、水のない空に波が立つのだった。

 はかなくて すぎにし方を かぞふれば

   花にもの思ふ 春ぞへにける 式子内親王(新古今集)

(意)とりとめもなく過ぎてしまった年月を数えれば、花を眺めながら物思いに耽る春ばかりを送ってしまった。

白洲正子は彼女の著書「花にもの思う春」の中でこの2つの歌を比較して「貫之と式子内親王の歌を比べてみるがいい。同じ桜の花を歌っても、貫之のそれには、散った桜が風に舞い上って、大空に白波の立つ様が目に浮ぶが、式子内親王の花には実体が無い。昔は花といえば、必ず桜の花をさしたが、この場合は何の花でもよかったような気がする。別言すれば、抽象的な花だということもできよう」と言っています。まったく同感です!彼女の「花にもの思う春」は名著だと思います。この本の題名は式子内親王の上記の歌から採ったものだと思います。和歌に興味のある方は是非お読みください。

白洲次郎の言葉に・・・

「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」。いまこそこの言葉を噛みしめてアメリカと向かい合うべきですね。

ローキード事件が起こると、各新聞は「容疑者の田中は…」と書きたてた。次郎は新聞社の社長に向かって「田中角栄さんを叩くのはいいですが、あなたの新聞は4年前彼を今様太閤として「戦後日本が生んだ英雄」とおだてていました。今、容疑者田中と書くならなぜその前に『本誌はかつて彼を英雄扱い致しました、これは読者を誤らしめる不正確な報道でした』とお詫びと訂正を載せてからにしないのですか」と主張しました。今まさに日本中のマスコミもそうすべきですね。小泉構造改悪を誉め讃え日本を不幸にした最大の戦犯は誰?いつも反省しないマスコミですね!時の権力者に媚て、弱くなると叩き自分達だけが正義の味方の格好をするのがマスコミの本質なのでしょうか?

「今の日本の若い人に一番足りないのは勇気だ。『そういう事を言ったら損する』って事ばかり考えている」いまも同じことが言えますね。最近の若い者は・・・!そう言うのは年のせいでしょうか?

カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

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2009年2月24日 (火)

熱海ハーブ&ローズガーデン2

2月7日の熱海市の熱海ハーブ&ローズガーデンです。バラは四季咲きの薔薇です。ここの春のバラの季節は素晴らしいです。アカオリゾートの中にあるガーデンです。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&70-300mmGです。

後拾遺集から清原元輔の歌。

      うつり香の

    うすくなりゆく

      たき物の

    くゆる思ひに

    きえぬべきかな

(意)あなたの移り香が薄くなってゆく、その微かな薫物(たきもの)の匂いのように、あなたを恋い焦がれる思いに今にも消え入ってしまいそうです。

この歌は良い歌です。私の好きな歌の一つです。大辞泉によればうつり香とは「ある物に伝わって残っている、他のものの香り。残り香。」とあります。多分、恋人の着物に炊き込められた香りが自分の衣服に移って残っていたのでしょう。昔は香木等を調合して人それぞれの個性を表す香りを衣類に炊き込んでいました。昔の人は香りに敏感だったのでしょう。現代の香水の様に体臭を消す強烈な香りではなかったのだと思います。そこはかとなく薫る個性的な香りだったのでしょうね。その香りがしてくると暗闇の中で相手を見分けられたのだと思います。昔は夜は暗くて月明かりの中で恋人の元へ忍んで行ったのでしょうから香りで相手を見分けたのかも知れません。

一昨日のテレ朝の番組に出ていた与謝野大臣の話を聞いていて彼は本物だと思いました。健康に問題さえなければ良いのですが・・・!半月程前までの彼の考え方はおかしかったですが、現在の与謝野大臣は経済危機を何とかして切り抜けようとする意欲に十分溢れていました。民主党の小沢党首が与謝野大臣を悪く言わない意味が良く分かります。今度の危機は与党も野党もありません。日本のために能力のある政治家だけがまとまるべきでしょう。TVによく出てくる与党の馬鹿な政治家は要りません、邪魔になるだけです。そのためには早く解散総選挙をして新体制を作り、ガラガラポンとしないと時間切れとなります。まだ時間はあると思います。

麻生総理は今回オバマ大統領からどのくらいアメリカ国債を買わされる約束をさせられるのでしょうか。先の見えてしまった総理大臣が変な書類にサインをしてこないといいのですが。政権の最後に日本を売ることだけはやめて欲しいです。もう既にクリントン国務長官に金額を提示しているでしょうがね。

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2009年2月23日 (月)

新宿御苑の早春3

2月12日の新宿御苑です。この場所で水仙の上で咲いている桜は河津桜です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

鎌倉幕府第3代将軍源実朝の家集「金槐和歌集」から。

      咲きしより

    かねてぞ惜しき

      梅の花

    散りのわかれは

    我が身と思へば

(意)咲いた時から予め愛惜される、梅の花よ。散って別れるのは、私の命が先だと思えば。

源実朝の歌は何か悲しい歌が多いです。自分がいずれ殺される運命を子供のころから分かっていたのでしょうか。実の兄の2代将軍頼家が修善寺に幽閉されて母の北条政子の一族である北条氏に殺されたのを見て来たのですから、いずれ自分も母達に殺されるだろうとの予感がしていたのでしょうね。この歌は実朝の和歌の師だった藤原定家の持っていた定家所伝本には載っていない歌なので、暗殺される少し前に詠われた歌だと思われます。

いったい小泉元総理は何のためにモスクワへ行ったのでしょうね?北方4島の話でもあったのでしょうかね?シンクタンクの講演だと言っていますが??そもそも小泉元総理のシンクタンクとは??日本をダメにした小泉元総理には黙って退場して欲しいですね。北方4島問題も鈴木宗男代議士の主張していた2島先行返還を外務省が4島一括返還にこだわって鈴木代議士を検察に売ったのでしょう。外務省の言っている4島一括返還なんて絵に描いた餅です。それを見ても外務官僚の頭のほどが知れます。またそれに乗せられているマスコミにも呆れます。2004年に中国とロシアの国境問題はほぼ解決しました。結論から言うと足して2で割りました。(ウスリー川の中洲である珍宝島を巡る領土争いで何度かに渡り限定的な軍事衝突が起こり両軍合わせて1000人以上が戦死しています)同じことができるのか疑問ではありますが試して見るだけの価値はあります。麻生総理は中ロの国境紛争の解決方式、つまりフィフティー・フィフティー(半分こ)方式でやろうとしているのでしょう。私は間違いではないと思いますが、政権基盤のない麻生総理では無理ですね。北方4島一括返還では永遠に帰って来ません。実効支配している方が強いのです。竹島や尖閣諸島の問題も同じです。過去の歴史を見ても領土問題は話し合いではほとんど解決しないものです。血で購うものです。実効支配している方が強いのです。イスラエルの問題も広い意味で領土問題とも言えます。平和な生活をしていたパレスチナ人の土地にユダヤ人が神話の時代に神に与えられたと称する土地を取り返しに入って、欧米がそれを後押ししたと言うことです。お互いに殺しあって、殺し合うことに疲れなければ話し合いにはなりません。旧ユーゴスラヴィアも内乱となってお互いに民族浄化として、殺し合って、殺すことに飽きてやっと話し合いました。日本は平和です。それだけに平和ボケしているのでしょう。この経済危機の大事な時期に国会議員が国会で遊んでいるとしか見えません。

先日発表された日本のGDP12.7%マイナスと言っても10-12月を年率換算したのであって、実際は3か月で4.2%下がっただけです。年率換算と言う数字のマジックに弄ばれているのではないでしょうか。大変なことではありますが大きなマイナスとは考えるべきではないと思います。これからも年率換算すればもっと大きく下がると思います。すぐに経済政策などで対処すれば心配する事ではないのですが、いまの政府与党にはそれだけの知恵も知識も度胸もないのでしょう。以前、私のブログで日銀の金利を上げるべきと書いたことがあります。あの時上げておけば、まだ日銀の経済政策が少しは効く可能性があったのですが!日銀の金利を上げる事は財界こぞって反対でした。いまの経営者は目先の利益を追求するあまり、先の事が見えていません。与党は基盤が財界によって成り立っている政党なので財界のYesしか言いません。日銀は日本政府の旧大蔵省と財界・国会とは独立して機能すべきなのですが、政府と何も分からない国会議員達が国会同意人事なので政治マターにしてしまっているのです。やはり原則は日銀総裁の人事は政府関係者を据えるべきではないのでしょうね。政界も財界も官界も小物ばかりになってきていますね!

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2009年2月22日 (日)

修善寺梅林

2月8日に伊豆高原からの帰り道に伊豆市の修善寺の修善寺梅林へ行ってきました。修善寺の梅林は年々梅の木が大きくなり綺麗になっています。修善寺は土地の名前で、有名な修善寺にある修禅寺物語の寺院は修禅寺です。鎌倉幕府第二代将軍源頼家も、頼朝の弟で平家討伐の大将軍だった源範頼もこの地で修禅寺に押し込められ北条氏の陰謀で殺されました。源範頼は埼玉県北本市と吉見町に館があり、北本市や吉見町に領地を持っていたようです。その北本市の館跡に咲く蒲(かば)桜は江戸時代から有名で大正時代には日本五大桜の一つとして天然記念物に指定されましたが、現在は非常に小さくなっていて昔の面影はありません。源範頼は父源義朝の6男で遠江国蒲御厨で生まれましたので、通称蒲殿(かばどの)と呼ばれました。範頼は平家討伐の主力部隊を率いて戦い九州まで遠征しました。弟の源義経は別動隊を率い兄弟で助け合いながら平家討伐を成し遂げました。後に恩賞として三河守となり三河国を支配しました。一方、義経はほとんど恩賞を与えられず鎌倉への反乱に追い込まれてしまいました。一説には範頼は義経誅殺を命じられましたが断ったのが源頼朝や北条政子・北条時政親子の疑いを呼んだとも言われています。現在では義経の活躍に目が行きますが義経は戦術家であって戦略家ではありませんでした。しかし、多数の荒武者の坂東武者を率いて平家討伐に活躍した大将軍の範頼の戦略家としての実力に北条氏には戦術家の義経と同じように危険な武将に見えたのでしょうね。平家討伐後は鎌倉の留守を預かる程度の仕事しか与えられませんでした。多くの坂東武者を率いさせるのは、嫉妬深い源頼朝にとっても、一族の繁栄を願う北条氏にとっても非常に危険な武将になると思われたのでしょう。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&70-300mmGです。

拾遺和歌集から凡河内躬恒の歌。

      香を求(と)めて

    誰(たれ)折らざらむ

      梅の花

    あやなし霞(かすみ)

    立ちな隠しそ

(意)芳香を尋ねて誰が手折らずにおこうか。霞が梅の花を隠しても無駄ですよ。

この歌は三十六人撰に選ばれた歌です。平安中期の藤原公任が三十六人撰という私撰集に載せた歌人たちを、世間が三十六歌仙と呼ぶようになりました。三十六人撰は、10首6人(柿本人麿・紀貫之・凡河内躬恒・伊勢・平兼盛・中務)と3首30人の計150首36人の名歌を選んだ歌集です。藤原公任は彼の選んだ36人のランクを付けています。昔は左右の左が上席でした。また番号が若い方が上席でした。したがって左一番が最上席となります。藤原公任は柿本人麿を最上席、紀貫之をその次としました。平兼盛と中務は末席です。歌の数は関係ないのです。この順番は藤原俊成の選んだ「俊成三十六人歌合」も同じ順番で藤原公任のランク付けを継承しています。

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2009年2月21日 (土)

新宿御苑の早春2

2月12日の新宿御苑です。紅白の梅が綺麗です。ここは今頃の梅と3月末頃からの桜は素晴らしいの一言です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mm&ソフトフィールターです。

新古今集から西行法師の歌。

      尋(と)め来(こ)かし

    梅盛りなる

      わが宿を

    うときも人は

    折にこそよれ

(意)梅の花が満開の私の家に尋ねて来て下さい。疎遠にしているのも時節によりけりですよ。

かんぽの宿の件で鳩山総務大臣が頑張っていますが、政治の世界を知っている人にはピンときます。かなりの証拠を握っているのでしょうね。それで小泉も真っ青になって吠えているのでしょうか?15日のTBS時事放談で鳩山大臣と野中元衆議院議員が面白く意味深なことを言っています。 http://www.youtube.com/watch?v=ilytA_-1Bko やはり何かアメリカが絡みの大きな事が隠されているのでしょうかね。

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2009年2月20日 (金)

北鎌倉 円覚寺の早春3

1月29日の北鎌倉の円覚寺です。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

円覚寺は鎌倉幕府第8代執権だった北条時宗が元寇(文永・弘安の役)で戦死した日本と蒙古の戦死者を弔うために創建した鎌倉五山第2位の寺院です。モンゴルから降伏を勧める国書が届く中、時宗は8代執権に就任し、7代執権だった北条政村、義兄弟の安達泰盛、北条得宗家の執事の平頼綱の補佐で「二月騒動」により異母兄で六波羅探題南方の北条時輔や一族の中の不満分子を誅殺し北条得宗家(北条氏の嫡流)の権力を強化し元寇の戦いに臨みました。しかし元寇の2度の戦への恩賞問題では戦で領土が増えたわけではなく蒙古の軍と直接戦った御家人たちに大きな不満が残りました。また3度目の来襲に備えて防衛拠点の整備など問題が山積した中で34歳で亡くなり円覚寺に葬られました。

玉葉集から宗尊親王の歌。

      梅が枝の

    しぼめる花に

      露おちて

    匂ひ残れる

    春雨の頃

(意)花は萎んでしまった梅の枝から露が落ちて、匂いはいまだに残っている。春雨の降る頃よ。

宗尊(むねたか)親王は後嵯峨天皇の皇子で鎌倉幕府第6代将軍として初めて皇族将軍として鎌倉に下りましたが、鎌倉幕府に対して謀反の疑いがあるとして第7代執権北条政村や連署(執権の補佐役)だった北条時宗(後に第8代執権となる)によって将軍を廃位され京都へ送還されました。鎌倉幕府第7代将軍には宗尊親王の嫡男惟康(これやす)親王が就きましたが皇族将軍の長期在任を嫌う北条氏のため将軍職を解かれ京都に送り返されました。都へ返される惟康親王は輿に都の方角へ背中を向けさせられて送り返されたそうです。屈辱的でしたね。

最後に昨日の読売新聞のインターネット版の記事です。取材された所長も取材した記者も偉いと思います。最近、年のせいか涙もろくなってしまって!

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090219-OYT1T00691.htm

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2009年2月19日 (木)

東御苑の早春2

2月3日の皇居の東御苑です。桜は本丸休憩所前のケヤキの芝生に咲く寒桜です。カメラはペンタックスK20Dとシグマ18-200mmです。

新古今集から藤原俊成女の歌。

      梅の花

    あかぬ色香も

      むかしにて

    おなじかたみの

    春の夜の月

(意)見れば見るほど美しく、色も香も昔のままに、春の夜の月と共に、同じ昔を思い出す形見である。

藤原俊成女とは俊成卿女とも呼ばれ俊成の孫ですが養女となりました。母は八条院三条と呼ばれた俊成の娘でしたが、父は尾張守左近少将藤原盛頼でした。鹿ヶ谷の変に連座して官を解かれました。俊成女とはその歌才から付けられた名前で父(祖父)の名前が付きました。俊成女は宮内卿と並んでこの時代を代表する女流歌人でした。百人一首を選んだ藤原定家は兄になります。

昨日モスクワで小泉元総理が定額給付金の入った補正予算案の衆議院の2/3ルールの投票に欠席宣言をしました。私もこんな馬鹿げた定額給付金は廃棄すべきだとは思いますが、小泉元総理にはこれ以上の発言は止めてもらいたい。麻生は本当に馬鹿ですが、小泉より数段正直な男だと思います。少なくとも麻生は日本国を売ってはいませんよ。ただ単純なだけです。自民党はこの際下野し反省すべきです。民主党だって長続きしないのは明らかです。まだまだこれから日本の政界は大波乱・大混乱の連続でしょう。こんな日本に絶望はしますが、考えようによっては産みの苦しみかも知れません。戦後の自民党の政権担当能力が実際は官僚が支えていた事が国民の前に明らかにされてしまったのです。ここで私のブログで今度の大不況からの回復には10年かかると言いましたが、ここで訂正させていただきます。今度の大不況からの回復は15年以上かかると思います。その間、景気は上がったり下がったりするでしょうが、今回の大不況は簡単には終わる事はありません。政治も行政(官僚)に隷属してきた国会議員も目を覚ますでしょう。官僚の暴走はいま止めないと大変な事になります。いまのままの自民党政権が続けば、まさに国滅びて官僚残るとなってしまいます。

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2009年2月18日 (水)

星野の里の節分草

2月14日栃木県栃木市の星野の里へ行ってきました。年々ここの節分草は花の数を減らしているようです。梅も蝋梅も花の数が少なくなっています。カメラはオリンパスE-3とズイコー14-54mm&50-200mm&50mmマクロ&x2テレコンです。

千載集から道因法師の歌。

      花ゆゑに

    しらぬ山路は

      なけれども

    まどふは春の

    心なりけり

(意)何時咲くだろうかと毎年花を尋ねて歩き回ったおかげで、知らない山路なんて無いけれども、やはり春が来ると心はあれこれと迷ってしまうのだった。

道因法師は俗名藤原敦頼(あつより)です。鎌倉時代の鴨長明の書き著した「無名抄」に道因法師が亡くなってから、当初は千載集に18首の歌が載ったのですが、編者だった藤原俊成の夢枕に道因法師が立ち涙を流して喜んだそうです。俊成はその後に2首を追加して千載集に20首を載せたそうです。

麻生政権は完全に終わったのですが、終わりにさせられないのは与党の勝手です。日本のとっての不幸ですね。日本の恥ですね。完全に麻生政権は統治能力が失われています。中川前大臣の飲酒に同席していた読売新聞の記者がいたそうです。読売新聞は中川前大臣を擁護していたのでしょうね。

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2009年2月17日 (火)

今年の最後の上野東照宮冬牡丹1

2月11日に上野東照宮ぼたん苑の冬牡丹を撮りに行って来ました。夜に芝の豆腐屋うかいで家族の誕生会をする事になっていたので誕生会の前に上野で東照宮ぼたん苑と湯島天神へ行って来ました。天気も悪く雨が降りそうでした。夕方近くで暗かったですが流石ペンタックスK20Dです。手振れ補正が良く効きます。ISOも200-800Autoでなかなか信頼できます。

牡丹はかなり終末期に近づいているようで花の大きさもだんだん小さくなってきています。春牡丹に置き換わっている場所も結構ありました。

千載集から崇徳院(すとくいん)のうた。 

      朝夕に

    花待つころは

      思ひ寝の

    夢のうちにぞ

    咲きはじめける

(意)朝夕に桜の開花を待ち焦がれる頃は、花を思いつつ寝入って見た夢のうちに桜が咲き始めるのだった。

夢の中で桜に逢うということでしょうね。花とは普通は桜の花を指しますが、花とは桜の花に限らず花全体を指すとの解釈もあります。「思ひ寝」は人を思って寝る事で昔の恋人を思って寝る事なのかもしれません。

崇徳院は後白河天皇との間で皇位継承問題で諍いを起こし保元の乱により後白河天皇側の源義朝や平清盛などの奇襲により敗れ讃岐国に流されてその地で亡くなりました。乱後の処理は平氏・源氏とも同族で敗れた親兄弟叔父甥を斬首することとなりました。死罪の復活は薬子の変以来200年ぶりでした。保元の乱は3年後の平治の乱の前兆で保元の乱が「武者ノ世」の始まりだったと鎌倉時代初期の慈円の書いた歴史書「愚管抄」に書かれています。

現在の日本の政治はどうなって行くのでしょう。どうしようもないですね。酔っぱらいの中川財務大臣を辞めさせると麻生政権の終わりでしょうし、麻生総理は日本国家の事より自分の名誉のためにサミットへ行くまで頑張るつもりでしょう。国辱大臣の中川を辞めさせることが出来ない日本の政治状況です。世界の笑いものですよ。日本人として恥ずかしいですね!いまの日本には一日一日が大事な時で内容よりもスピードで経済対策を取るべきなのです。麻生政権が続く限り日本は沈むだけでしょう。お笑いですが、この際、憲法違反ですが自衛隊にお願いしてクーデターを起こしてもらい、解散総選挙をして1ヶ月以内に本格的な新政権をつくるか、天皇陛下に麻生辞めろと言ってもらうしかないですね。もっとも自衛隊がクーデターを起こさないようにアメリカの指示で各自衛隊基地は弾薬を手持ちではほとんど持っていません。お笑いで基地を守る弾もないと言われています。当事者能力を失った麻生政権とそれを支え少しでも利権の恩恵をと思う与党。日本はどうしようもない事態になりました。まさに今の日本に求められるのは保元・平治の乱なのかも知れません。毎日、自殺者で電車が止まります。これからもっと自殺者が増えるでしょう。治安も悪くなるのは当然です。いまやこれは永田町・国会議員による人災です。これこそ本当の危機です。日本は沈み続けるしかないのでしょうか?悲しい話です!いますぐに何とかしないと大変な事になります。

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2009年2月16日 (月)

新宿御苑の早春1

2月12日に新宿御苑へ行って来ました。水仙・梅・福寿草・クリスマスローズ・ミツマタ・寒桜・10月桜など色々と咲き出しています。カラスやムクドリが水浴びを楽しんでいました。夕方から打ち合わせと飲み会でしたのでカメラのセットは軽さを優先で、ペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

古今集から凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)の歌。 

      月夜には

    それとも見えず

      梅の花

    香をたづねてぞ

    知るべかりける

(意)月夜の梅は光にまぎれてその場所がわかりづらい。そうだ、香りを頼リにすればたどり着けるのだ。

昨日鳩山総務大臣がかんぽの宿の売却中止の可能性を言い出しました。その前には小泉元総理の騒ぎが起きて、鳩山総務大臣が郵政公社の西川社長の辞任問題で辞任の必要はないと言いだしました。鳩山総務大臣は何処からか旧郵政省の国有地払い下げのカラクリを間違いのない筋から入手していての今回の騒動でしょう。あまりにも自信に満ち溢れた言動でした。当然、西川社長の辞任を求めてもいいはずです。この辺りに何か麻生政権を揺さぶる小泉元総理の発言と関係があるのではと考えるのは考え過ぎでしょうか?あまり暴かないでほしいとのサインがどこからか飛んで来たのかも知れませんね。かんぽの宿の売却中止でいったんは幕引きでしょう。高度な政治決着かも知れません。何か臭いますね!この際、過去数年の国有財産を入札して手に入れた企業の氏名と、どのくらい儲けたかの数字を公開して欲しいですね。とんでもない数字が出て来るかも知れませんよ!太るのは官僚と政治家と政商だけで、痩せるのは納税者でしょうか?

昨日のローマで行われたG7の後の中川財務相の記者会見は酷いものでした。テレビのニュースを見て私はビックリ仰天でした。大臣は酩酊状態で記者会見に臨み呂律が回らず、言っている事が支離滅裂で下を向いて居眠り状態でした。先日の国会での財政演説も滅茶苦茶でした。今回のG7後の記者会見で中川財務相の酩酊状態は世界中に配信されたそうです。これは国辱ものですね!世界中でお酒の上での不始末を許す国は日本だけです。昔から永田町ではアルコール依存患者として有名でしたが、最近ますます症状が酷くなっているようです。一昨日NNNの支持率がついに10%を割った麻生総理も大変ですね。世界的財政危機の中で日本の担当大臣がこの状態では麻生総理の首を飛ばすより先に中川大臣の首を切らないと大変の事になりますね。中川大臣をこのままにしておけるのでしょうか。自民党も人材が底を払ったようですね。日本国民にとって解散総選挙が出来ないのは不幸ですね!それにつけても昨日の日本の中央紙インターネット版では中川大臣のローマでの会見内容を淡々と伝えただけでしたが・・・?もっとしっかり目を開けて事実を国民に伝えろ日本のマスコミよ!

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2009年2月15日 (日)

伊豆 河津の桜2

2月8日の伊豆の河津の河津桜です。最後から6~11枚は河津桜の原木です。樹齢50年ほどで河津桜の発見者である故飯田勝美さん個人の家の庭に咲いてます。この時期は町を挙げて河津桜の観光イベントです。途中でコスモスが咲き残っているのに出逢いました。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ100mmマクロです。

千載集から西行法師の歌。

      仏には

    桜の花を

      たてまつれ

    我がのちの世を

    人とぶらはば

(意)仏には桜の花をお供えせよ。私が成仏した後の冥福を、人が祈ってくれるならば。

西行の帰依した真言宗は即身成仏を修行の目的とます。即身成仏とは人間が生きた身のままで悟りを開き仏になることです。凡人の私には良く分かりません。

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2009年2月14日 (土)

東御苑の早春1

2月3日に東御苑へ行ってきました。東京駅を降りて和田蔵門親水公園から東御苑です。和田蔵門の公園では噴水に虹が懸っていました。東御苑は梅が咲きだしたところで4分咲きぐらいでしょうか!東御苑で梅の綺麗なところは諏訪の茶屋と梅林坂です。今頃は満開過ぎかもしれません。カメラはペンタックスK20Dとシグマ18-200mmです。

後撰集から素性法師の歌。

      梅の花

    折ればこぼれぬ

      我が袖に

    にほひ香うつせ

    家づとにせむ

(意)梅の花は、折り取ろうとすれば、散ってしまう。だから私の袖に匂いを移してくれ。その香を家へのみやげにするから。

麻生総理も大馬鹿ですが、小泉発言で自民党は大混乱ですね。だけどそう簡単には分裂はしません。党利党略よりも私利私欲で駆け回るのが今の国会議員です。小泉元総理もいまの日本経済大停滞の戦犯です。今日から1週間ロシアへ行くタイミングでの発言でしょう。回りの様子を見ての発言でしょう。彼なんか信用できません。いい加減な男ですからね。俗に言う最後っ屁でしょう。そんな詐欺師みたいな政治家を信用している日本人が多くいる事が私にはショックです。オレオレ詐欺が跋扈する日本ですから騙されやすい人が多いのでしょうかね。かんぽの宿を見てごらんなさい。どんなにいい加減な事を小泉元総理がやって来たのでしょうか。リーマンにどれだけ日本政府は吸われたのでしょうか?消えた年金はどうなったのでしょうか?小泉元総理は何回厚生大臣をやったのでしょうか?グリンピアはどのように処理されたのでしょうか?小泉改革とは一部の政商やアメリカを儲けさせただけでしょう。郵便貯金や年金のお金は何処へ行っているのでしょうか?官僚の渡りは?みんなハッキリさせてもらいたいですね。そのために政権交代が必要なのです。政権交代があればスキャンダルが続出するでしょう。いままで税金から甘い汁を吸ってきた政治家や官僚そして政商等の悪い奴を許してはいけないのです。官僚をつけ上がらせたのは自民党の無能な政治家たちです。官僚のお陰で政権を維持してきました。官僚に舐められるのは当然でしょう。もうそんな時代ではないのです。そんな時代ではない事を一番分かっていないのが官僚と自民党の国会議員でしょう。

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2009年2月13日 (金)

熱海ハーブ&ローズガーデン1

2月7日に伊豆の熱海市にあるアカオリゾートへ行って来ました。アカオリゾートは熱海の錦ヶ浦に25万坪のリゾート地を所有しています。その中のハーブ&ローズガーデンです。いまは菜の花と梅です。熱海桜(寒緋桜と山桜の交配種とも言われています)を植えてありますがまだ幼い苗木ですので、数年経つと菜の花の黄色と白梅の白と熱海桜のピンクが混ざって綺麗になると思います。熱海桜の方が河津桜より少し早く咲き出します。日本で一番早く咲く梅として有名な熱海梅園のそばの熱海桜は7分咲きでした。沖縄の桜の寒緋桜と並んで日本で一番早く咲く桜だと言われています。カメラはソニーα900とVaria-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGとソフトフィールターです。

新古今集から紀貫之の歌。

      花の香に

    ころもはふかく

      なりにけり

    木(こ)の下かげの

    風のまにまに

(意)花の香に衣は深く染みとおりました。木の下陰を風が吹くにつれて。

花の香とは一般的に梅でしょうが、この歌は新古今集の桜の歌の中に入っています。香りとは臭覚的ななものではなく感覚的な意味の香りなのでしょうね。

いよいよ政界が大混乱になって来ました。麻生総理はある意味で正直過ぎたのかも知れません。しかし今が経済や内政の一番大事な時に当事者能力を失った総理大臣が居座る事は日本国にとって大損害ですね。新潟県の知事も政府に対して反乱を起こしそうです。これから日本は最低2回は総選挙をしないと安定しないでしょう。安定するまで国民生活は大変でしょうが、いままでどうしようもない国会議員を選んできた国民が悪いのですから反省して耐え忍ぶしかないのでしょう。

衆議院議員は代議士と呼びます。参議院議員は代議士とは呼びません。代議士とは国民の代わりに国政を担う人との意味で昔から代議士と呼ばれています。これが特権階級化している世襲議員が幅を利かせている国会では、国民の代理であるはずの代議士が機能しません。馬鹿な事を言う総理大臣に昔の総理大臣がマスコミの前で批判するのもいかがなものかとも思いますが、それほどにも日本の政界が腐ってきているのでしょう。麻生総理もうすら笑いを浮かべるしか出来ませんね。麻生総理もやっと年貢の納め時が来たのでしょう。それでも頑張るかも知れません。

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2009年2月12日 (木)

小石川植物園の早春2

2月1日の文京区の東京大学大学院付属の小石川植物園へ行ってきました。カメラはオリンパスE-3とズイコー14-54mm&50-200mm&ソフトフィールターです。

小石川植物園は正式名称は東京大学大学院理学系研究科附属植物園です。もとは徳川5代将軍となった徳川綱吉が舘林藩藩主時代に下屋敷としていた土地で白山御殿と言われていました。3代将軍徳川家光の時代に麻布と大塚に薬草園が設置されましたが後に大塚薬草園は廃止され、麻布の薬草園が小石川の白山御殿に移設され小石川御薬園となりました。後に8代将軍吉宗が設けた目安箱に町医師小川笙船が投書で、江戸の貧病人のための「施薬院」設置が請願されると直ちに吉宗は名奉行と言われた江戸町奉行の大岡越前守忠相に命じ調査させた結果、小石川御薬園内に診療所を設けさせました。これが「赤ひげ」で有名な小石川養生所です。組織は江戸町奉行所支配となり町奉行所の与力1名、同心2名が詰めていていました。南北両奉行所で1カ月交代でしたので与力2名同心4名と言う事になります。江戸下層民対策の一つで、原則施療は無料で身寄りのない貧人だけでなく看病人があっても貧民であれば収容され、後には寺社奉行支配地の貧民も収容し幕末まで機能していました。明治10年東京帝国大学が開設されると東京帝国大学の理科大学(理学部)の付属施設となり現在に至っています。園内には養生所時代に使われていた井戸が残されています。

小石川植物園は春から秋まで非常に綺麗な自然が残った植物園です。今は梅ですがこれから桜が素晴らしいです。また可愛い花も沢山咲きます。最後の5枚は養生所時代の井戸の傍らに咲く寒桜の巨木です。桜の木の枝の半分は咲いていましたが半分は蕾でした。

古今集から読み人知らずの歌。

      梅が香を

    袖にうつして

      とどめてば

    春はすぐとも

    形見ならまし

(意)梅の花の香りを袖に移して留めておけたら、春が過ぎても、その香りが春を思い出す形見になるだろう。

古今集の読み人知らずの歌は良い歌が多いです。何かの事情で読み人知らずとされたのでしょうね。

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2009年2月11日 (水)

武蔵丘陵森林公園の早春1

2月5日に埼玉県滑川町にある国営武蔵丘陵森林公園へ行って来ました。この日は生憎の曇りで時々かすかに日が射してきました。梅林の梅は全体として4分咲き程度でしょうか。白梅がもう少し咲いてくれれば良い写真になったと思いますが、少し残念です。福寿草が梅の木の下に沢山咲いていました。春近しですね!カメラはオリンパスE-3とズイコー14-54mm&50-200mm&x2テレコンとソフトフィールターです。福寿草を手撮りでローアングルから撮るにはE-3は最適なデジタル一眼です。

拾遺集から有名な菅原道真の歌。

      こちふかば

    匂ひおこせよ

      梅の花

    あるじなしとて

    春をわするな

(意)東風(こち)が吹いたら、匂いを私のもとまで寄越してくれ。梅の花よ、主人がいないからといって、春であることを忘れるなよ。

詞書に「流され侍りける時、家の梅の花を見侍りて」とあります。菅原道真は昌泰四年(901)、大宰権帥に左遷され、太宰府への赴任のため家を発つ時の歌として伝えられています。拾遺集や「大鏡」藤原時平伝を始め多くの史書・説話集等に引かれて名高い歌です。菅原道真は寛平六年八月、遣唐大使に任命されましたが、唐の疲弊などを理由に遣唐使停止の議を上奏、結果遣唐使は廃止されるに至りました。宇多上皇が醍醐天皇に譲位する時に、奏請・宣行はすべて藤原時平と菅原道真の二人に諮るようにと命じました。藤原時平が左大臣に登ると藤原道長は右大臣となりました。日本では左が上位でした。その後菅原氏の台頭を案ずる藤原氏の謀で突然に太宰権帥(太宰府の次官)へ左遷され、2年後大宰府で亡くなりました。亡くなった後で都で天変地異が続発し菅原道真の祟りと思われ、死後に太政大臣を追贈されましたがそれでも天変地異は収まらず一条天皇より北野天満宮天神の神号が贈られました。これが学問の神様である天神さまの始まりです。菅原道真が左遷された理由は道真の娘が醍醐天皇の弟宮である斉世親王に嫁いでたので斉世親王を次期天皇にしようとしたとの無実の罪でした。実際は学者で菅原道真の和魂漢才の才能に藤原氏の誰もが太刀打ちできなかったためだと言われています。

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2009年2月10日 (火)

伊豆 河津の桜1

2月8日に伊豆の河津町の河津桜を撮りに行って来ました。河津の桜は河津川の東縁に河口から数キロに渡って河津桜の並木があります。桜の木の下は菜の花です。まだ咲き始めで3分咲きでしょうか。河口と上流は4~5分咲の河津桜ですが真ん中辺は1分咲き程度でした。盛りは来週だと思います。まだ咲き始めでしたので割合空いていました。今回の伊豆行きはワンちゃん達を連れて行かなかったのでゆっくり回れました。河津桜は大島桜と彼岸桜の自然交配種と言われています。赤が割合強い早咲きの桜でです。昭和30年頃の冬に河津川で発見され、昭和43年頃から増され始めました。昭和49年に河津桜と命名されました。花の咲く期間は桜としては長く、1ヶ月ほど咲き続けます。毎年非常に多くの観光客が河津を訪れます。土日曜日は自動車は交通渋滞で大変な事になります。伊豆急行の各駅のそばの駐車場に車を入れて電車で伊豆急の河津駅まで行くのが一番早いです。伊豆高原駅は駅前の駐車場が1日500円で電車料金はほぼ半額となります。車の場合は9時過ぎには現地での交通渋滞と駐車場探しで大変です。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ100mmマクロとソフトフィールターです。

続古今集から平兼盛の歌。

      山桜

    あくまで色を

      見つるかな

    花ちるべくも

    風ふかぬよに

(意)山桜の美しさを心ゆくまで堪能しました。花が散りそうには見えない、風のない穏やかな世にあって。

詞書に「清慎公、月輪寺の花見侍りける時、よみ侍りける」とあります。清慎公とは関白太政大臣だった藤原実頼の事で死後に清慎公の諡を賜わりました。藤原実頼が左大臣の時に月輪寺(月林寺)で花見を催したことが「日本紀略」に載っています。「風ふかぬよ」とは大臣の実頼の治世が平穏で盤石だと褒め称えています。

上の平兼盛の和歌とは全く違う次元ですが、かんぽの宿は入札ではなくコンペで簡単に言うと随意契約だった事が数日前にはっきりしましたが、昨日は国会での答弁から2社残った入札でオリックス不動産からは金額が提示されましたが、もう一社の側からは金額が提示されなかったとの答弁でした。ますますオカシナ話で裏に物凄くキワドイ物が隠されている事が見えてきましたね。これは間違いなくきな臭い話ですね。西松建設も民主党の小沢党首に職務権限が無いのでウヤムヤになるのでしょうか?かんぽの宿は関係者に職務権限があるでしょうから何かがあれば一発ですね。検察・警察にやる気があればの話ですが!民主党が政権を握れば間違いなく国策捜査が始まるでしょうね。国の入札には「一般競争入札」「指名競争入札」「随意契約」の3種類しかないはずです。随意契約については国や地方公共団体が随意契約を結ぶことができる例としては、
1少額の契約をするとき
2特定の者でなければ納入することができない製品を購入するとき
3それに代わるものがない土地などを購入するとき
4緊急のとき
などがあります。かんぽの宿の場合は売却ですが同じ事です。国の契約については、2005年度(平成17年度)に発覚した談合事件等をきっかけとして、随意契約の見直しがありました。それによると一般競争入札が困難な時にコンペあるいはプロポーザル方式(会計法上の特命随契の一種です)による入札が認められています。しかしこのケースは困難な時ではありませんね!これと同じ事が旧年金福祉事業団(年金資金運用基金)のグリーンピアの売却ですでに行われています。まだ時効にはなっていないはずですからこれにも検察・警察の手が入れば良いのですが。悪い奴は捕まえろです。

昨夜は大分キャノンの工場の建設にまつわる脱税事件で関係者5名が東京地検特捜部に逮捕され鹿島建設にガサが入ったそうです。以前から財界の総理大臣と言われる経団連御手洗会長(キャノン会長)の関与が噂されていましたが、直接関係はないと思います。どちらにどの様に発展するのでしょうか?見ものですね。

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2009年2月 9日 (月)

北鎌倉 明月院の早春

1月29日の北鎌倉の明月院です。蝋梅とマンサクと水仙が綺麗でした。梅はこれからですね。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ100mmソフトです。この寺院は紫陽花の季節は大混雑して入場制限で1時間以上待たされるほど混みます。

明月院は鎌倉幕府第5代執権北条時頼が別邸に持仏堂を建て最明寺と名付けましたが、廃寺となった後に嫡男の第8代執権北条時宗が南宋からの渡来僧の蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)を招聘して開山して禅興寺と名付けました。この禅興寺の塔頭の一つが明月院です。明月院は山ノ内上杉家の祖である関東管領上杉憲方が密室守厳を開山として、明月院を開創しました。

この時代多くの南宋の臨済宗の僧侶が元を嫌って日本に亡命してきました。当時は日本と南宋・高麗の三国間貿易が盛んでした。遣唐使が廃止されてから平安時代末期は平清盛らによる日宋貿易が盛んに行われました。平清盛は博多に日本で最初の人工港を築き瀬戸内海貿易路を掌握しました。それまで宋船は博多止まりでしたが大輪田泊(現在の神戸港の一部)を整備して宋船が直接瀬戸内海を抜けて大輪田泊まで入るようにしました。厳島神社は瀬戸内海航路の安全を守る拠点として平家により繁栄しました。日宋貿易は平家を経済的に支え京都の藤原氏を凌ぐほどの力を持つようになりました。鎌倉時代になり北条氏は博多に大宰府に代わり鎮西奉行を置き日宋(南宋)貿易の拠点としました。南宋からは宋銭・絵画・文具・陶磁器・絹織物・書籍・経典等が輸入され、日本からは砂金・硫黄・銅・日本刀等が輸出されました。特に宋銭は日本の貨幣経済にとって重要な輸入品でした。また高麗からは朝鮮人参などが輸入されました。宋船は航海に割合安全な朝鮮半島を経由して日本へ来たのだと思います。当然日本船も行き来していたと思います。また宋船は若狭国や越前国にも沢山来航してきていました。当初は博多へ回送するように指示をしていましたが、結局ウヤムヤになったようです。

夢窓疎石(むそうそせき)の禅宗の道歌。

      まろくても

    まろかるべきは

      心かな

    角のあるには

    物のかかるに

(意)円い上にも円いのが良いのは、心である。角があるとなると、物がひっかかるから。

夢窓疎石は宇多源氏の出身で夢窓国師とも呼ばれ、天皇や上皇達から7つの国師号を送られ七朝帝師とも呼ばれています。京都の南禅寺や鎌倉の建長寺・円覚寺・浄智寺・瑞泉寺等に住み禅宗様庭園の発達に大きな足跡を残しました。

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2009年2月 8日 (日)

北鎌倉 浄智寺の早春

1月29日の北鎌倉の浄智寺です。この寺院は鎌倉五山第4位の寺院です。第5代執権北条時頼の三男宗政(むねまさ)とその子師時(もろとき)が建立。最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭(たっちゅう)も11寺院に達したといわれています。境内入り口にある湧き水は鎌倉十井のひとつ「甘露の井」です。この寺院はシーズンは割合混みますがシーズンオフはあまり人が訪れない静かな寺院です。私は静かなこの寺院が好きです。この寺院の裏から葛原ヶ岡(くずはらがおか)・源氏山ハイキングコースへの入口があります。急峻な山道ですのであまりお勧めはできません。昔、このコースで銭洗弁天まで行った事がありましたが酷い目に遭いました!カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&70-300mmGです。

風雅集から夢窓疎石(夢窓国師)の歌。

      我が宿を

    とふとはなしに

      春のきて

    庭にあとある

    雪のむらぎえ

(意)我が家を訪れた覚えはないが、春がやって来て、庭に足跡を残していったかのような、雪のむら消えだよ。

夢窓疎石は那須の雲巌寺で仏国国師の弟子となり、その後諸国を回り京都の南禅寺に住し後に鎌倉に移り浄智寺・円覚寺の住職となり、花の寺として有名な瑞泉寺を開きました。後に京都の南禅寺の住職として戻り南朝と北朝の講和に大きな力をふるいました。京都や鎌倉で禅宗様庭園の発達に大きな足跡を残しました。残念ながら鎌倉では夢窓疎石の作庭した庭はほとんど残されていませんが作庭跡は円覚寺の妙香池にあります。没後もたびたび国師の号を勅諡され、七朝帝師と称せられました。

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2009年2月 7日 (土)

小石川後楽園の早春

2月1日に小石川後楽園へ行ってきました。小石川後楽園は水戸徳川家の上屋敷に作られた築山泉水回遊式の東京屈指の大名庭園です。水戸藩初代藩主徳川頼房が築いた庭園を黄門さまで有名な二代目藩主の水戸(徳川)光圀が改修したものです。「天下の楽しみの後に楽しむ」ことから後楽園と名付けられました。日本三大名園(金沢の兼六園、水戸の偕楽園、岡山の後楽園)の後楽園と区別するために小石川後楽園と呼ばれます。今の時期は梅が素晴らしいです。カメラはオリンパスE-3とズイコー14-54mm&50-200mmとソフトフィールターです。

水戸光圀公の諸国漫遊は作り話ですが助さん格さんは実在の人物で、助さんは佐々木助三郎で格さんは渥美格之進と言う水戸藩士で両名とも光圀公の側近で大日本史の編纂に関係していました。大日本史の編纂は光圀公が始めた日本歴史書で完成は明治時代になってでした。水戸藩はこの編纂に巨額の資金を投じ藩の財政を傾けるほどでした。明治になり南朝が正統と言われるようになり、また歴代天皇が大日本史によって確定しました。大日本史の編纂の基本は朱子学に基づいた水戸学(大義名分論)による尊王を中心とした歴史史観で貫れています。幕末の尊王攘夷論も水戸学から出てきた理論です。この考え方は第二次世界大戦で日本が敗れるまで日本の皇国史観の中心理論でした。

徳川尋子(ひろこ)の家集「香玉詠藻」から辞世の句。

      何をこれと

    思ふことだに

      あらなくて

    ひとよの夢は

    はやさめにけり

(意)この我が人生は何だったのか。何をこれと判断することさえないままに、一夜の夢はもう覚めてしまったのだ。

徳川尋子は関白左大臣近衛信尋の二女で徳川光圀に17歳で嫁ぎました。亡くなったのは21歳と短い一生でしたが、夫婦仲は非常によかったようで子供は出来ませんでしたが、光圀はその後正妻は娶りませんでした。光圀は尋子の命日に剃髪しました。

さて、企業の決算予想数字が次々と下方修正されています。何か割りきれません。確かに昨年10月頃からは企業業績は悪化してきていますが、まだ内部留保が沢山あるはずで、まだこんなに企業業績は悪化していないはずです。本格的に悪くなるのは来期からのはずなのですが、何かオカシイですね。いままでの垢をこの際とばかりに出しているのではないでしょうか。つまり過去の粉飾決算を整理しているのかと勘ぐってしまうのは私の考え過ぎでしょうか?

麻生総理大臣の郵政見直しの発言は彼の本心でしょう。賛成でなかったのは、まともな政治家なら当然でしょう。しかし総理大臣がいま言ってはいけない事だと思います。彼が政治的な深い読みをするほどの悪人ではないと思います。かんぽの宿のオリックスグループへの一括払い下げは大きなスキャンダルになると思います。あまりにも不自然です。昨日のTVニュースで300-500億で応札しようと上場企業と組んだ不動産会社の社長が事前審査ではねられたことを放送していましたが、その時社長が持っていたTVに映った事前審査の資料にはっきりとリーマンの名前がありました。なんで日本郵政の資産売却にリーマンが出てくるのでしょうか?やはりかんぽの宿の売却話にあのリーマンが絡んでいたのですね。以前にもブログに書きましたが、海部総理の時にアメリカ政府から要望が来るようになり、歴代総理は巧妙に逃げて来たのです。しかし小泉・竹中がアメリカ政府の要求を全部受け入れてしまったのです。おまけにリーマンです。何か臭いますね!倒産したアメリカのリーマンから、いずれとんでもない資料が出て来るかも知れません。昔のロッキード事件の時のように極秘資料が郵便配達の間違いでアメリカ捜査当局に誤配されたらお笑いですね!だけどアメリカならやりかねませんね。

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2009年2月 6日 (金)

北鎌倉 円覚寺の早春2

1月29日の北鎌倉の円覚寺です。円覚寺は正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号するそうです。「えんかくじ」ではなく「えんがくじ」と発音するのが正式な呼び方だそうです。鎌倉五山の第二位に位置します。高い場所からの写真は19の現存している塔頭の一つ龍隠庵からの写真です。昔は入れなかったのですが最近は中に入れるようになったようです。梅や水仙、椿が綺麗でした。来週あたりから梅も本格的に咲き出すでしょう。カメラはソニーα900とVario-Sonnar14-70mm&70-300mmGです。

この寺院は鎌倉幕府第8代執権北条時宗の発願で南宋の無学祖元が創建した寺院で、元寇あるいは蒙古襲来と言われた文永・弘安の役で戦死した日本とモンゴル両軍の霊を慰めるためと、臨済宗を広めるために時宗が建長寺(鎌倉五山第1位)の住職だった無学祖元を開祖として建立しました。円覚寺の名前の由来は建立の際、大乗経典の「円覚経」が出土したことからと言われています。ちょっと信じられない話ですが、北条氏が鎌倉幕府の覇権を握るまで山に囲まれた非常に狭い鎌倉の地を舞台にした激しい内部闘争が起こり戦乱に次ぐ戦乱の殺し合いが相次ぎました。戦乱に敗れた誰かが円覚経を埋めたのかも知れません。青鷺のいる妙香池は夢窓国師の作庭と言われていますが昔とはだいぶ違っているとも言われています。

玉葉集から北条貞時の歌。

      窓ちかき

    竹の葉風も

      春めきて

    ちよの声ある

    やどの鶯

(意)窓の近く生える竹の葉を吹く風も春らしくのどかで、「ちよ(千代)ちよ(千代)」と千代の春を言祝(ことほぐ)かのような声で鳴く我が家の鶯よ。

北条貞時は北条時宗の嫡男で第9代の執権でした。彼の執権時代に北条得宗家(本家)の内管領(御内頭人)だった平頼綱と有力御家人の安達泰盛の対立から霜月騒動が起こり安達泰盛が攻め滅ばされて平頼綱が実権を掌握しました。内管領とは御家人とは違い北条得宗家(北条氏の嫡流)の家政を取り仕切る執事で得宗家の家人(家の子あるいは郎党)です。鎌倉時代は御家人の家人は御家人には成れないしきたりがありました。霜月騒動から有力御家人の合議制から北条得宗家を頂点とした専制体制になり必然的に得宗家の家人達が力を持つようになりました。その平頼綱を1293年の鎌倉大地震(永仁の関東地震)の混乱に乗じて北条得宗家の貞時は平頼綱を攻め滅ぼし実権を回復しました。その後も鎌倉には争乱が絶えませんでした。訳の分からない時代だっただけに人々は宗教に頼ったのでしょうね。北条貞時の墓は円覚寺の塔頭仏日庵にあります。

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2009年2月 5日 (木)

小石川植物園の早春1

2月1日に強風の中、文京区の東京大学大学院付属小石川植物園へ行ってきました。梅が綺麗でした。あまりの強風で梅が少し散っていました。風が強くてシャッタースピードに気を遣いました。普段はS優先で125-200ぐらいで撮っているのですがこの日は320ぐらいで撮りました。それでも少し被写体ブレが出ました。ここの梅林は綺麗ですね。まだ蕾の梅の木を多くこれから中旬までは綺麗に咲き続くと思います。カメラはオリンパスE-3とズイコー14-54mm&50-200mmとソフトフィールターです。やはりE-3でも綺麗にブルーが出ますね。E-1のほうがもっと透明感が出るのかもしれません。

万葉集から大伴旅人の歌。

      わが園に

    梅の花散る

      ひさかたの

    天(あめ)より雪の

    流れ来るかも

(意)わが家の庭に梅の花が散る。天空の果てから、雪が流れてくるよ。

天平2年の太宰府で太宰帥だった大伴旅人の屋敷で行われた観梅の宴で詠まれたものです。

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2009年2月 4日 (水)

北鎌倉 東慶寺の早春

今日は二十四節気の立春ですね。これは中国の戦国時代に太陰歴による季節のズレを直すために考えられた方法で1年を春夏秋冬の四季に分け、それぞれを6つに区分して24にしたものです。それから何度も訂正されて現在に至っています。現在の二十四節気は中国では清朝の時憲暦から日本では江戸時代の天保暦からです。

1月29日の北鎌倉の東慶寺です。東慶寺は臨済宗の寺院で鎌倉幕府第9代執権だった北条貞時が開基(創立)し開山(初代住職)は第8代執権北条時宗の妻であった覚山尼でした。貞時が母親のために作った尼寺だったのでしょう。後醍醐天皇の皇女用堂尼が5世住持として入寺してから当寺は地名をとって「松ヶ岡御所」と称せられました。20世住持は豊臣秀頼の唯一残された一人娘が命を救われて入山しました。明治36年まで代々尼寺でしたが現在は男性の住職の寺院となりました。東慶寺は江戸時代初期から縁切り寺として有名で、江戸時代は女性に離婚権はありませんでした。夫が紙に三行半(みくだりはん)の字・印あるいは線を書いて女性に渡せば離婚が成立しました。夫が離婚に同意しない時は妻は東慶寺に逃げ込んで離婚の申請をして3年(後に2年)間東慶寺で修業すれば離婚が成立しました。江戸時代の離婚率は4%と言われています。武士階級は10%とも言われています。やはり後継ぎをもうけないといけなかったため「嫁して三年・・・」の理屈だったのでしょうね。現代は2%の離婚率だそうです。しかし、再婚率は江戸時代は50%だったそうです。現代はどのくらいでしょうか?

群馬県太田市にあった満徳寺(現在は廃寺)は東慶寺と並ぶ縁切り寺でした。太田市は新田源氏の拠点の一つで徳川家(松平家)の発祥の地と言われています。ここには独特の三行半の文例が現在でも残されているそうです。女性が東慶寺あるいは満徳寺に駆け込むと寺院の役人から夫の元へ召喚状が出されます。江戸時代の町役人の職務手引書には「縁切寺から召喚状が送達された場合は開封しないで速やかに夫に離縁状を書かせ召喚状とともに返送すること」と記されていたそうです。実際は離婚騒ぎになると長屋の家主・大家等の差配人達の町役人が間に入って調停するのが普通でした。農村では本家分家が寄り合って調停しました。

カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

万葉集から大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の歌。

      恋ひ恋ひて

    逢へる時だに

      うるはしき

    言(こと)尽(つく)してよ

    長くと思はば

(意)恋して恋してやっと逢えた時だけでも、優しい言葉をありったけかけてやってください、これから二人の仲を長く続けようとお思いなら。

この歌は万葉集の代表的な歌の一つだと言われています。大伴坂上郎女は大伴旅人の妹で大伴家持の叔母です。大伴家持の妻は大伴坂上郎女の長女の大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)です。この歌は長女と次女二嬢(おといらつめ)の婿の二人に詠いかけたものです。この歌のようにすれば離婚なんかしなくて済むはずなのですが、そこが難しいところなのですね。今の時代は無理して我慢する事はないのかも知れません。家の中に冷たい風が吹いてくると居たたまれなくなりますね。しかし離婚すると子供が一番の被害者です。もともと夫婦と言っても赤の他人です。許せる範囲で譲り合うしか上手く行く方法はありません。

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2009年2月 3日 (火)

横浜港大桟橋の夜景

今日は節分です。豆まきにピーナツを撒く地方もかなりあるようです。我が家の地方は豆を撒きます。鬼だらけの世の中になって来ました。今夜は「鬼は外」と派手に撒きましょう!

1月29日の横浜港大桟橋の夜景を撮りに北鎌倉の帰りに寄りました。大桟橋は正式には「横浜港大桟橋埠頭」及び「横浜港大桟橋国際客船ターミナル」と呼ばれるのだそうです。昔は「メリケン波止場」とも呼ばれていていました。神戸港のメリケン波止場の方がアメリカ(メリケン)領事館前にあったので神戸の方が本筋のようです。メリケン波止場は淡谷のり子さんの唄った「別れのブルース」に出てきますね。このモデルは神戸港か横浜港か分かりません。この歌のレコードは昭和12年(1937年)に発売されました。少し古すぎかもしれませんが良い歌です!作詞:藤浦洸、作曲:服部良一です。カメラはソニーα900とVario-Sonnar14-70mm&ソニー70-300mmGです。今回は三脚を使いました。

別れのブルース

 窓をあければ 港が見える
  メリケン波止場の 灯が見える
  夜風汐風 恋風乗せて
  今日の出船は 何処(どこ)へ行く
  むせぶ心よ はかない恋よ
  踊るブルースの 切なさよ

 腕に錨(いかり)の 刺青(いれずみ)ほって
  やくざに強い マドロスの
  お国言葉は 違っていても
  恋には弱い すすり泣き
  二度と逢えない 心と心
  踊るブルースの 切なさよ

淡谷のり子さんが生前にこの歌の事について思い出を語ったことがありました。

太平洋戦争末期。淡谷のり子さんは各戦地を慰問に訪れていました。ある航空基地でのこと。集まった兵士たちの前で別れのブルースを歌っていると、後ろで立って聴いていた若い兵士たちが途中で淡谷さんに敬礼しながら、次々に去っていくのです。事前に「特攻隊員たちが出撃のため、中座するかもしれませんので」と上官に説明を受けておりましたから『あヽ、飛び立っていくのね』と思いながら、歌い続けました。しかし「よく見ると、まだあどけなさの残る、私の弟のような年頃じゃありませんか」。そんな彼らが、屈託のない天真爛漫な笑顔で淡谷さんに敬礼しながら、死地に赴いて行くのです。「途端に涙があふれて、声がつまって続きを歌えませんでしたよ」…。「二度と逢えない 心と心」

究極の「別れのブルース」ですね。淡谷のり子さんは舞台上では決して泣かない歌手だったそうです。彼女が泣いたのはこの時一度だけだったそうです。

アイスランドが社会民主同盟(SDA)と野党第1党の左派・緑の党が連立し、SDAに所属する女性のシグルザルドッティル社会問題相(66)を新首相とする政権を発足しました。アイスランド経済はアメリカに完全に隷属したために想像を絶する大不況に直面してしまいました。経済状況から見て短命内閣でしょうが、シグルザルドッティル首相はレズです。私はレズでもホモでもどのような宗教を信じていようと差別はしませんが、レズの首相とは歴史的な出来事だと思います。頑張ってもらいたいですね!

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2009年2月 2日 (月)

星野の里

1月24日に栃木県栃木市の星野の里へ行ってきました。朝の天気予報と違って生憎の雨が雪になってしまいました。蝋梅は綺麗ですね。紅梅が少し咲きだしていました。あと10日程で蝋梅の黄色・紅梅の赤・白梅の白が入り混じってきれいな風景を見せてくれます。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ100mmソフトです。

古今集から素性法師の歌。

      春たてば

    花とや見らむ

      白雪の

    かかれる枝に

    うぐひすぞなく

(意)もう立春になったので、花であると見ているのだろうか。白雪が降りかかった枝に、鶯が鳴いていることよ。

詞記に「雪の木にふりかかれるをよめる」とあります。この日は残念ながら鶯は来て泣きませんでした。積るほどではありませんでしたが、かなり激しく雪が降ってきました。今年も立春は2月4日です。

ソマリア海賊対策に海上自衛隊が送られるそうですが、本当に大丈夫なのでしょうか。そもそも日本憲法に抵触するのではないかと思います。シーレーン防衛は重要ですが第2次世界大戦の時のように護送船団方式で貨物船集団に自衛隊の艦船を護衛に常に付けて行くわけにはいきません。その前に日本政府がやるべき事があると思います。まず、シーレーンの関係諸国との緊密な関係を作っているのでしょうか?戦時ではないのですから軍艦を出すより海上保安庁の巡視船の方が無難だと思います。つまり軍艦が出るとそれは軍事行動です。日本は平和憲法がある事を世界に十分に説明しているのでしょうか?その点、小泉大馬鹿総理大臣がイラクへ派兵した事は大間違いだったと思います。平和憲法を守るためにも軍事組織より警察組織の方が良いと思います。そもそもソマリアの紛争は滅茶苦茶の状態でほとんど無政府状態で危険地域なのです。アメリカ映画「ブラックホークダウン」で描かれたように、アメリカ軍も大きな犠牲を出して撤収したほどの地域なのです。とにかく国連軍もパキスタン軍を中心に130名も戦死するほどのところです。イラクやアフガンと同じです。もともとこの地はソマリランドと呼ばれた地勢学上ではインド洋と紅海を結ぶ要所として非常に重要な地域で1960年に独立するまで、イタリア、イギリス、フランス、ケニア、エチオピアの分割統治を受けていました。現在は隣国等それぞれ関係していた国々が自分勝手に手を入れていてほとんど無政府状態なのです。そんなところへ海賊対策としても軍艦を派遣する事は危険極まりのない事です。戦争はこちらが介入したくなくても引っ張り込まれる可能性があるのです。

昔の話になりますが日本がベトナム戦争に派兵しなくて済んだのは日本の平和憲法があったからです。昔の政治家は今の政治家より頭も腹も出来ていました。当時アメリカから自衛隊のベトナムへの派兵の打診があったそうですが日本は憲法で禁じられているとの主張によってアメリカは引き下がったそうです。小泉や麻生総理のように単細胞ではなく何が一番日本にとって有利かを常に考えていたと思います。世間で憲法9条はアメリカに押しつけられた憲法だと間違った事を言っている政治家が多いです。それは大間違いで日本側から憲法9条の趣旨を占領軍に提出したもので、決して押しつけられたものではありません。いま憲法9条を骨抜きにしたら日本のいまの政治家の能力からして自衛隊は戦争の大好きなアメリカの盾となって戦場に送り出されてしまいます。お金も血も流してアメリカの利益のために日本は働かなければいけないのでしょうか?思いやり予算も昔これを考え出した金丸信さんが逮捕される寸前に金丸さんから直接聞いたことがあります。彼は「番犬にも飯を食わしてやらなけりゃならない」と言っていました。今年度は2000億円以上を米軍のために出しています。一番多い年は2001年度の2573億円でした。もうそんな時代ではないのでは?アメリカはアメリカ軍のグァム移転費用として総額100億ドル(約1兆700億円)の75%の負担を求めて来ました。2006年に額田防衛長官は59パーセント約7000億円でアメリカと話し合いがつきました。為替変動で円の金額が大きく違いますがフザケタ話です。おまけにアメリカの専門家によるとこの値段が異常に高いのだそうです。と言う事は日本にキックバックがあったのかと勘繰りたくなります。アメリカはチェイニー副大統領達の持っている会社がイラク復興の時と同じように一括受注したでしょうから、お金がどのように流れたかはある程度想像はつきます。いまのアメリカ軍は日本なくして軍を維持できないのです。もっと日本は自信を持って強く出るべきだと思います。出過ぎると田中角栄の様にアメリカにやられますが、田中角栄はアメリカに日本の主張を堂々と述べ独自外交をしようとしました。立派な政治家だったと思います。田中角栄以降はまともな政治家が日本に出てこないのが残念です。すべてアメリカの真似をしているところなんか世界の人からは軽蔑されていると思います。だから国連で常任理事国になれないのです。堂々と日本は平和憲法なので戦争はしないし戦争をなくすことに全力を尽くすと言い続けた方が国際的な信頼は得られると思います。そのためには外交が一番大切なのですが、それが一番日本の弱みでしょうね。

日本の国防費は世界の4~5位ぐらいでしょうか?防衛だけなら十分すぎるほどです。アメリカの軍需産業を守るための自衛隊ですか?専守防衛ならそんなにいらないはずです。軍備の削減と思いやり予算の見直しで浮いた予算を生活保護費や年金の増額をした方が頭の良いやり方だと思います。効率的に自衛隊を再配備すればいいのだと思います。国の重要施設の警備、たとえば原発の周辺警備等は絶対必要だと思います。

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2009年2月 1日 (日)

北鎌倉 円覚寺の早春1

1月29日北鎌倉へ行って来ました。今日は円覚寺です。この日は与野駅から1回の乗り換えで北鎌倉へ行けるはずでしたが、乗り換え駅の赤羽で湘南ラインのホームに上がると乗る予定をしていた列車がホームの電光掲示板に載っていませんでした。人員合理化でホーム上に駅員がいないので改札口まで戻り駅員に聞いたところ蓮田駅で人身事故のため列車が止まっていて復旧時間が分からないとの事でした。慌てて列車で上野駅まで出て京浜東北線で東京駅へ。東京駅から東海道線で大船駅へ。大船駅から横須賀線で北鎌倉までやっと到着でした。久しぶりにリュック型のカメラバックでしたので列車内は背負わないで手持ちでしたが移動はスムースに出来ました。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmです。

円覚寺は鎌倉幕府執権北条時宗の発願で中国明州慶元府の出身の南宋の臨済宗の僧侶で日本に渡ってきた当時建長寺の住職だった無学祖元禅師を招いて創建されました。この寺院は蒙古襲来で戦死した両軍の兵士の菩提を弔うために発願されました

無学祖元禅師の「示虜(えびすに示す)」と題された漢詩。

 乾坤無地卓孤筇
 喜得人空法亦空
 珍重大元三尺劍
 電光影裡斬春風

(読み)
乾坤(けんこん) 地の 孤筇(こきょう)を卓(た)つる 無し、
喜び得たり 人 空
(くう)にして 法も亦(ま)た 空なるを。
珍重す  大元 三尺の劍、
電光 影裡  春風を 斬る。

(意)天地は広いようで、実は一本の杖を立てる余地も無い(大元国などとゆうて見ても、その一角に過ぎぬ)。その上喜ばしいことに、人も法もすべて本来空である(現実は仮の姿なのじゃよ)。元の兵達よ、腰の剣を大切にせられよ。(こんな処で振り回して、無力な拙僧の皺首を斬ったとて)稻妻が春風を斬るようなものではないか。

この詩は元軍の兵士が、無学祖元の居た南宋温州の能仁寺に攻め寄せた時、独り無学祖元は逃げることなく、泰然自若としていたそうです。元軍の兵士は刀を突きつけた時、無学祖元はこの偈を倡えました。すると元の兵士は懼れ畏まって拝礼して去ったと言われています。この当時元軍の主力は蒙古人ではなく実態は降伏した北宋・南宋の兵でした。言葉が通じて無学祖元は命が助かったのでしょうね。

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