古知谷阿弥陀寺の紅葉
11月17日の寂光院の後で比叡山への途中で古知谷の阿弥陀寺へ行ってきました。かなり険しい山道ですが車で一気に登りました。古知谷にはカエデが多く,紅葉の名所の一つだそうです。なかでもここのカエデの木は,幹に多数の支根がからみつく異様な形状をしていて、樹高19.2m、胸高幹周3.70mもあり古知谷でも最大で最古のカエデだそうです。慶長14年(1609)の阿弥陀寺の創建時にはすでに大木であったと伝えられていて、白蛇が棲んでいるとの伝承もあるそうです。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mmです。
風雅集から後伏見院と永福門院の贈答歌です。
秋をまたで 思ひたちにし 苔衣
今よりつゆを いかでほさまし 後伏見院
(意)秋(自分の意志で出家する時期)を待たないで思い立って着てしまった出家者の粗末な衣に、これから秋の露(涙)をどのようにして乾かしたらいいのでしょうか。
思ひやる 苔のころもの 露かけて
もとの涙の 袖やくちなむ 永福門院
(意)さぞかし濡れておいででしょうと思っています。貴方の衣に置く露が、私の袖にまでかかるような気がして、もともと涙もろい私の袖はますます濡れて朽ちてしまうでしょう。
元弘3年(1333)五月の後醍醐天皇の京都回復の時に、後伏見院・花園院・光厳天皇は敗走する六波羅探題北方の北条仲時ら六波羅の軍勢とともに東国に向かって逃れましたが、近江国番場で後醍醐天皇方の軍勢に追いつかれて捕らえられました。北条仲時ら六波羅軍の生き残りは番場宿で腹を切って果てました。北条仲時に従っって腹を切った北条方の武士は432人と言われています。都から落ちる時は2千騎と言われていますが途中で野伏に襲われ六波羅探題南方の北条時益は流れ矢にあたり戦死します。また光厳天皇にも流れ矢が当たり腕に軽い怪我を負いました。番場から都へ返された光厳天皇は廃され、後伏見院は出家させられました。永福門院は伏見天皇の中宮でしたが子供に恵まれず伏見天皇と典侍藤原経子の間に生まれた子供を養子として手元に引き取り養育しました。この子供が後の後伏見院です。この歌は後伏見院が都に連れ戻されて出家した直後に贈答された歌です。
| 固定リンク
「写真」カテゴリの記事
- 宇都宮中央公園(2009.01.04)
- 伊豆高原 一碧湖(2009.07.10)
- 原市沼の古代蓮2(2009.07.07)
- コテージガーデン・ステファニーの初夏2(2009.07.06)
- 鎌倉 海蔵寺(2009.07.05)



























コメント
おはようございます。
古知谷阿弥陀寺の紅葉も素敵ですね。
ここでいつも紅葉を見るだけでしたが、
僕も紅葉を撮ることができました。
場所は、故郷高田公園でした。
ちょっと嬉しい想定外でした。
投稿: howdygoto2 | 2008年12月 2日 (火) 10時37分
howdygoto2さん、こんにちは。
高田公園の紅葉も綺麗ですね。野尻湖畔は11月初めに終わっています。
投稿: シゲ | 2008年12月 2日 (火) 15時40分
こんにちは~~♪
いいところをよくご存知です。
綺麗な紅葉を堪能されましたね。
投稿: tanuki_oyaji | 2008年12月 2日 (火) 16時52分
今回は相当広範囲に移動されたのですね。
大分ハードスケジュールだったのでは!
お若いですね。
穴場を良くご存知ですね。
↓彦根城、かねがね行ってみたいと思っている所です。
投稿: 紅@山 | 2008年12月 2日 (火) 17時14分
tanuki_oyajiさん、こんばんは。
ここの紅葉は見事でした。大原から比叡山までの途中にあります。
投稿: シゲ | 2008年12月 2日 (火) 22時04分
紅@山さん、こんばんは。
おやおや、名前を変えましたか?!
彦根城も良いですが琵琶湖の周辺に非常に興味がわきます。じっくりと時間をかけて行ってみたいところです。
投稿: シゲ | 2008年12月 2日 (火) 22時06分