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2008年12月14日 (日)

京都 東福寺の紅葉

11月18日に東福寺へ行って来ました。東福寺は摂政・九条(藤原)道家が嘉禎2年(1236)から、19年もの年月をかけて、聖一国師を開山として造営したものです。また、京都五山のひとつで、臨済宗東福寺派の大本山です。奈良の大寺のように大きく、興寺のように盛大を極めた寺に…とそれぞれ一字ずつとって「東福寺」と命名されました。本堂と開山堂を結ぶ 「通天橋」の一帯は、洗玉澗と呼ばれる渓谷で、紅葉の名所となっていて紅葉の季節は芋の子を洗うような混み方です。ここのモミジは宋からの伝来したモミジと言われている「通天モミジ」と呼ばれている三つ葉楓です。昔はここには桜が植えられていたそうですが「後世に遊興の場になる」と伐採され三つ葉楓が植えられたと言われています。境内の25の塔頭も名寺が多く、虹の苔寺という愛称をもつ光明院や、重要文化財の不動明王を安置する同聚院、雪舟の築造と伝える鶴亀の庭がある芬陀院(ぶんだいん)、九山鉢海の名園をもつ霊雲院など見どころがいっぱいのお寺です。今回は時間がありませんでしたのでモミジだけ見てきました。来年はゆっくりと東福寺の塔頭を回ってみたいと思います。

続後撰集から東福寺を作った九条道家の歌。

      よのつねの

    人より君を

      たのめとや

    契かなしき

    身とむまれけん

(意)誰しも頼みに思う貴方ですが、誰よりもまして貴方に一身を託せざるを得ない宿命に生まれついた我が身。そんな私をいとおしくさえ思います。

この歌は承久の変の5年前に詠われた歌です。この歌の「君」は後鳥羽院を指しています。九条道家は摂関家の嫡男で仲恭天皇の時に摂政になります。承久の変後に道家は鎌倉幕府に対し遠島された後鳥羽院と順徳院の還京を働きかけていましたが、不調に終わりました。なお、鎌倉幕府第四代将軍は九条道家の三男の藤原頼経(よりつね)です。三代将軍の実朝が暗殺されて執権北条義時は朝廷に皇族の将軍としての下向を願いますが、後鳥羽院に拒否をされたため摂政だった九条道家の3男で当時2歳の後の頼経を鎌倉へ迎え入れました。頼経は源頼朝の妹の曾孫にあたります。頼経は8歳で元服し15歳年上の二代将軍だった頼家の娘「竹御所」と結婚し翌年第四代将軍として宣下を受けました。この間7年間は鎌倉の将軍は不在でした。この後、都の九条道家と鎌倉将軍頼経親子は鎌倉幕府内の反北条勢力と手を結び北条一族の名越光時を中心に北条家得宗家(北条家嫡流)への反乱の動きを強めましたが、事前に漏れたため未遂に終わりました。この騒ぎを「宮騒動」とも「寛元の乱」とも呼ばれています。この騒動の寸前に将軍頼経は執権北条経時により将軍の座を降ろされ6歳の子供の頼嗣が第五代将軍となりました。その2年後に執権北条経時は亡くなり弟の時頼が執権職を継ぎました。この時を好機と見た反北条派は動き出したのですが得宗家に機先を制せられ反乱は未遂に終わりました。この翌年に宝治合戦が起こり鎌倉を囲うように三浦半島に拠点を持つ巨大氏族三浦一族は滅ぼされてしまいました。三浦氏は寛元の乱にも加担していたと言われています。三浦氏は頼朝の旗揚げ以来の御家人で北条氏とも協調関係にありましたが徐々に敵対するようになりました。三代将軍源実朝の暗殺は実際は執権の北条義時も同時に暗殺しようとした事件で義時は事前に察知して仮病で逃れ、将軍実朝が殺されることを想定して三浦氏を討つ準備をしていたとも言われています。この暗殺事件の黒幕は三浦泰村と言われ、実朝を暗殺した公暁は三浦泰村の門前まで逃れてきましたが、その場で三浦の家人に討ち取られてしまいました。口封じだったと言われています。鎌倉時代は何となく暗い時代でいろいろと複雑な事件が連続して起こりました。鎌倉の御家人たちは疑心暗鬼で何時何処から攻められるか分かりませんでした。鎌倉は狭いのでどの御家人も兵は少数しか置けず、万一の時には自分の所領から呼び寄せなければいけません。お互いに不安だったと思います。鎌倉は三浦半島にあり、周りを三浦氏一族で固められていて、たぶん北条氏としては伊豆半島から兵を呼び寄せても途中で三浦氏に遮られる不安が常にあったのだと思います。当時、攻め滅ぼされた御家人の所領は攻めた皆で掴み取りが原則でした。色々な不安が鎌倉時代を通して御家人や地下人達が救いを求めて宗教への傾斜となり仏教の色々な宗派が生まれてきたのだと思います。

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コメント

おはようございます。
雨に休日は残念でもありますが、ゆっくりできます。

素晴らしい東福寺の紅葉とともに歴史のお話興味深かったです。
昨年の初夏、東福寺を歩いたばかり
その折は、モミジの色づきをイメージしてみましたが、これほどとは・・・・!
桜だったとは・・!誠にいいお話を伺いました。
次回は桜を思って歩きましょう。

それにしてもすごい人でしたね。

投稿: shibata | 2008年12月14日 (日) 09時28分

shibataさん、こんにちは。
しかし桜を一気に切った決意は凄いですね。通勤ラッシュ並みの混雑で、おまけに杖をついてやっと歩いている人達が多いので危ないですね。

投稿: シゲ | 2008年12月14日 (日) 10時04分

こんばんは。
東福寺、通天橋を渡られたのですね。
私も訪れたのですが、あまりの混雑に断念です。ものすごい人でした。

投稿: さんぽみち | 2008年12月14日 (日) 18時58分

東福寺の紅葉ですか、最盛期だったんですね。
それにしても京都ってどうしてこんなに素晴らしいんでしょう。昼夜の寒暖の差が激しいからなんでしょうか。

投稿: the-fuji | 2008年12月14日 (日) 20時12分

さんぽみちさん、こんばんは。
私も後ろから押されて写真を撮るのが大変でした。携帯やデジカメで写真を撮る時は液晶で見るので時間がかかります。後ろからどんどん人が押し掛けてきますので危ないですね。

投稿: シゲ | 2008年12月14日 (日) 21時48分

the-fujiさん、こんばんは。
本当に京都の紅葉は素晴らしいですね。寺院と紅葉の組み合わせは素晴らしいです。寒暖の差が紅葉を綺麗にするのでしょうね。

投稿: シゲ | 2008年12月14日 (日) 21時49分

こんばんは。

東福寺の紅葉、綺麗ですね。
いつもながら書かれている記事に感心しています。
シゲさん、博学ですね。
とても為になります♪

投稿: ZEISS | 2008年12月14日 (日) 22時19分

燃えるようなとは正にこんな事を言うのでしょうね。
素晴らしいです~~!
写真の整理だけでも大変なのに
何時も歴史の解説、資料纏めだけでも時間がかかりますね。

投稿: 紅@山 | 2008年12月14日 (日) 23時12分

ZEISSさん、こんにちは。
東福寺の紅葉は京都でも屈指でしょうね。
昔、中国人の上司に歴史を学べ、未来が見えてくると言われたことがあります。

投稿: シゲ | 2008年12月15日 (月) 09時42分

紅さん、こんにちは。
本当に大変です・・・!この間に仕事をしています。
むかし覚えた知識が最近湧いてきます。不思議です。

投稿: シゲ | 2008年12月15日 (月) 09時44分

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