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2008年10月23日 (木)

伊奈町町制施行記念公園の薔薇園の秋バラ1

10月18日に埼玉県伊奈町のバラ園へ行って来ました。伊奈町は名前から分かりますが江戸時代の始めに関東郡代だった伊奈忠次が伊奈町の小室で1万3千石の譜代大名として立藩しました。関東郡代(関東代官頭)として徳川将軍家の直轄領のうち関東の100万石の統治を任されました。伊奈氏は3代で後継ぎが無く廃絶となりましたが、後に3代目の弟が後を継ぎ旗本として再び復活し川口市の赤山に陣屋を構え代々関東郡代として活躍をしましたが、何度か幕府内の勢力争いに巻き込まれ職を失うことがありました。伊奈氏は代々代官として農民を守ると言う護民の発想で関東を治めたため幕府の中枢と衝突する事が多かったようです。護民思想とは侍や官僚と庶民(農民)とは身分が違うので為政者(権力者)は庶民を護らなければならないと言う思想です。特に7代目の伊奈忠順は宝永の富士山大爆発の後始末で幕府の了解を得ないで駿府の幕府の米蔵を開き1万3千石の米を亡所(滅びた土地)とされた旧小田原藩の59ヵ村の被災民に配ったために責任を取って切腹をしたと伝えられています。なお富士山大噴火の時の駿府代官能勢権兵衛も駿府代官所の管理下の米蔵を幕府に無断で開いた伊奈忠順の行動を黙認したとして切腹しました。幕府の政策は伊奈忠順が亡くなってから亡所の方針が変わり幕府として救済方針に変わりました。この方針転換により亡所とされた何万人の農民の命が救われました。その徳を偲び被災民たちが後に須走りに伊奈神社を祭りました。伊奈町の蓮の花の名所の原市沼は伊奈氏の小室陣屋跡に隣接しています。たぶん陣屋の外側を湿地帯で守っていたのだと思います。

カメラはE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mmです。

古今集から紀貫之の歌。

      我はけ

    うひにぞ見つる

      花の色を

    あだなるものと

    いふべかりけり

(意)私は今朝初めて薔薇を見たけれど、この花の色を見ての感想は、移ろいやすく、はかないものと言うべきものだった。

この歌は「さうひ」つまり薔薇を詠んだ歌です。「うひ」とは初めてとの意味です。初めて見たのは移ろいやすい女の本性かとも思えます。日本の原種とする野バラは昔からあったようです。当時の遣唐使等は唐の国から書物や工芸品等を持ち帰りましたが植物も沢山持ち帰って来ました。その中に中国の鑑賞用のバラも入っていたようで、庚申バラ等も多分その時に到来したのだと思います。

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コメント

まことに綺麗なバラたちですね。
バラが浮き出るような写真で、今にもいい香りがしそうです。

投稿: 亀さん | 2008年10月23日 (木) 14時48分

こんばんは~~♪
伊奈の薔薇も随分咲いたようですね。
私が行った時はまだ早かったせいか花が少なかったです。
どれも綺麗で見事です。
いい時にいかれたようですね。

投稿: tanuki_oyaji | 2008年10月23日 (木) 20時55分

こんばんは~
そうですか、伊奈のお殿様はりっぱな方だったんですね(@。@”
そういう家系に由来した土地に咲く薔薇となると、また
感慨深いものを感じます。

投稿: Angel | 2008年10月23日 (木) 20時57分

関東郡代伊奈一族、イイ話しです。
武士にして百姓に崇められた男、伊奈一族、平田靱負、鈴木重成・・・ですね。
TBさせていただきました。

投稿: ヒキノムラビト | 2008年10月23日 (木) 22時19分

亀さん、おはようございます。
秋の薔薇も香りが良いです。特にオールドローズは良い香りがします。

投稿: シゲ | 2008年10月24日 (金) 07時26分

tanuki_oyajiさん、おはようございます。
私の行った18日も少し早かったです。花は少し早い方が花弁の傷みが少なくて綺麗ですね。

投稿: シゲ | 2008年10月24日 (金) 07時28分

Angelさん、おはようございます。
伊奈氏は大名としては3代でなくなりました。旗本になってから伊奈から川口の赤山へ陣屋を移しました。

投稿: シゲ | 2008年10月24日 (金) 07時30分

ヒキノムラビトさん、おはようございます。
TBありがとうございました。本当に伊奈氏は悪く言われていませんね。江戸幕府の代官衆は実績の多い人物が多いです。不正をするとすぐに密告をされ切腹となります。代官衆の考えの基本が農民を大事にして税収を増やす事だったのでしょう。江戸期を通じて幕府の直轄領(天領)は諸藩より税金が安かったです。

投稿: シゲ | 2008年10月24日 (金) 07時37分

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