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2008年10月

2008年10月31日 (金)

静かな平林寺2

9月13日に埼玉県新座市の平林寺へ行って来ました。やはりこの頃はほとんど人がいませんでした。静かな平林寺も良いですね。平林寺は11月下旬になると平日でも紅葉を狙ったカメラマンが沢山押し寄せます。寺院の周りの紅葉も素晴らしいですが境内の雑木林の紅葉も素晴らしいです。昔の武蔵野の面影がそのまま残っています。2枚目は国歌に歌われている「さざれ石」です。簡単に言えば沢山の小石がコンクリート(炭酸カルシューム)状に凝固したものです。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

建礼門院右京大夫の歌を家集から。

      なべて世の

    はかなきことを

      かなしとは

    かかる夢見ぬ

    人やいひけむ

(意)どんな死であろうと、総じて人の死は悲しいだなんて、こんな酷い夢を見たことのない人が言ったのではないだろうか。

詞書に『翌年(元暦二年西暦1185年)の春、本当にこの世の人でなくなったと、とうとう聞いてしまった。その頃のことは、これ以上なんと言うことができよう。すべて予期していたことであったけれども、ただ呆然とするばかりだった。止めようもなく堰を切って流れる涙も、人目が憚られるので、他人はどうしたのかと思うだろうが「気分が悪いので」と言って、衣を引き被って寝て暮らしてばかりいて、心のままに泣いて過ごした。「何とかして忘れよう」と思うけれど、心に反してあの人の面影はいつも離れず、人の言葉を聞けばあの人の声を聞くような心地がして、我が身を責めさいなむ。そんなふうで、悲しいことといったら言い尽くすすべもない。寿命が尽きて亡くなったと聞いた時だって、世間では悲しいことに言ったり思ったりするものなのに、このような人の死は、何を前例として心を納得させればよいのか。そんなことを繰り返し思って。』とあります。この歌に詠われている亡くなった人とは建礼門院右京大夫の恋人だった平資盛(平清盛の孫)です。資盛は平家の都落ちにより西国まで逃れ最後は壇ノ浦の戦いで敗れ入水自殺をしました。それまで何度か文の便りはあったようですが、ついに恋人の最後を知り大きな衝撃を受けた様子を思い出して歌ったのでしょう。資盛は都落ちの前に、建礼門院右京大夫と最後の逢瀬に、自分の死後の回向を頼み建礼門院右京大夫が自殺することも髪を下ろすことも禁じました。建礼門院右京大夫は清盛の娘で高倉天皇の中宮となった平徳子(建礼門院)に仕え、この時に資盛と知り合ったのだと思います。建礼門院が壇ノ浦の戦いで入水しましたが救い出され、後に大原の寂光院に住むことになったのも建礼門院右京大夫の助言だと言われています。

建礼門院右京大夫の歌は本当に心から溢れ出て来るようで、私は好きです。和泉式部の歌のように感情を激しく表に出す歌とはまた違います。

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2008年10月30日 (木)

日光中禅寺湖 中禅寺金谷ホテルの紅葉1

10月25日の日光中禅寺湖畔の中禅寺金谷ホテルの前庭と後ろの庭です。ここの紅葉は本当に見事です。中禅寺湖畔でも屈指のポイントだと思います。このホテルの温泉は庭に面していて今の季節は本当に素晴らしいですが、最近はホテルの庭を歩く人が多くて少しヤバいかも知れません。昔は人がいなくて紅葉を見ながら入れました。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mmです。

続後撰集から素性法師の歌。

      もみぢ葉に

    道はむもれて

      あともなし

    いづくよりかは

    秋のゆくらむ

(意)山道はもみじの葉に埋め尽され、痕跡もとどめない。いったいどこを通って秋は去ってゆくのだろうか。

古代の道は人が通るだけでなく、神々の通り道と思われていたようです。この道は秋の神が去って行く道でしょうね。モミジの落ち葉に埋め尽くされてその道が見えないのでしょう。

素性法師は桓武天皇の曾孫で、歌人として名高い遍昭(へんじょう)の子供です。古今集には入集歌数第4位の歌詠みです。

画像はクリックすると大きな画像になります!

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2008年10月29日 (水)

戸隠高原の秋

10月12日の戸隠の紅葉です。スキー場は冬の準備に入っています。後半のモミジの紅葉は戸隠から信濃町へ下って来る途中にあります。ここのモミジは素晴らしいです。谷底に川が流れています。以前、ここの川底の紅葉も綺麗だったので歩いて降りて行ったのですが危うく足を滑らして転落するところでした。あまり無理をすると危ないですね。

詞花集から和泉式部の歌。

      秋吹くは

    いかなる色の

      風なれば

    身にしむばかり

    あはれなるらむ

(意)秋に吹く風はどんな色をしているのだろうか、身にしみるばかりに哀れ深く感じさせる。

風には色はついていないのですが吹く風が哀れを感じさせるのでしょうね。結句を「人の恋しき」とする本もあるそうですが、この方が和泉式部の歌としては相応しいと思います。

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2008年10月28日 (火)

さいたま市与野公園の秋バラ

10月21日に旧与野市与野公園のバラ園へ行って来ました。まだ咲き始めを少し過ぎたところでした。咲き始めの薔薇は傷みが少なくて綺麗です。ここのバラ園は古くからあるのですが、いまいちデザインが物足りません。場所は新大宮バイパスに面していますが駐車場が狭いので朝早くいかないと車を止めることがなかなか出来ません。鉄道で行くには埼京線与野本町駅から徒歩10分です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

15世紀半ば頃イギリス国内で起きた権力闘争で赤バラを紋章とするランカスター家と白バラのヨーク家による王位継承をめぐる争いは、「バラ戦争」と呼ばれました。 この内乱は、最終的にはランカスター派のヘンリー七世が勝利し、ヨーク家のエリザベスを妃に迎えて終わりを迎えました。現在、イギリス王家の紋章は紅白のバラを組み合わせたものとなっています。バラ戦争はその前に行われた「100年戦争」の後を受けて起きた内乱です。イギリスは100年戦争によりフランス国内での領土を完全に失い 現在のイギリスとフランスの領土がほぼ確定しました。中世のイギリス宮廷での公用語はフランス語でした。フランス出身のイギリス国王も多くいましたし、フランス国王を兼務していたイギリス国王もいました。当時のイギリスはフランスの1/3以上を所有する国でしたが100年戦争によりフランス国内における領土を失いました。100年戦争からバラ戦争までの過程は複雑怪奇でイギリス王朝とフランス王朝のそれぞれの内部の勢力争いとスコットランド、フランドル地方等の内乱など複雑に絡まって大混乱となりました。フランス側にジャンヌ・ダルクが出現したのも100年戦争の時でした。100年戦争の間もイギリスとフランスは戦争を続けていたわけではなく長期間休戦したり外敵に対して共同で戦ったりしました。

薔薇を詠った歌は沢山ありますが、私の大好きなジャズのスタンダード曲は「Days of wine and Roses」です。作詞はジョーニー・マーサー、作曲はヘンリー・マンシーニのジャック・レモンとリー・レミック主演の映画の主題歌です。この曲の題は「The」が入っていません。歌い出しにはTheが入っています。英文法は滅茶苦手なのでよく分かりません。作詞のジョーニー・マーサーは沢山の曲に詞をつけています。これはと言うジャズのスタンダード曲の歌詞は彼の手になるものが多いです。生涯で1,500以上の曲を送り出したと言われている巨人です。初代のキャピトル・レーコードの社長でした。「Moon River」も彼の手によるもので「Days of wine and roses」と2年連続でアカデミー賞を受賞しました。その翌年には「シャレード」を書いています。みんな私のカラオケでの持ち歌です!

酒とバラの日々 Days of wine  and rosses

The days of wine and roses
Laugh and run away like a child at play
Through the meadowland toward a closing door
A door marked "Nevermore" that wasn't there before

The lonely night discloses
Just a passing breeze filled with memories
Of the golden smile that introduced me to
The days of wine and roses and you

nd life will always bea vie en rose....

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2008年10月27日 (月)

日光の中禅寺湖畔の秋

10月25日の日光の中禅寺湖畔の秋です。やはり今年の紅葉は綺麗です。今は中禅寺湖とイロハ坂が綺麗です。湯ノ湖などはほとんど終わっていました。これから東照宮あたりが綺麗になると思います。紅葉の季節の日光は非常に混みます。昔は土・日曜日でも7時過ぎでもイロハ坂は簡単に登れましたが、最近は7時からイロハ坂の手前で渋滞となります。

新古今集から藤原良経(よしつね)の歌。

      柞原(ははそはら)

    しづくも色や

      かはるらむ

    森のしたくさ

    秋ふけにけり

(意)コナラの原の葉から落ちてくる雫までコナラの紅葉を移して色が変わっているのだろう。その葉からこぼれ落ちた露のおかげで下草まで色が変わって秋が更けて来たのがわかります。

「柞」は読みに2種類あります。「イスノキ」あるいは「ハハソ」と読みます。前者はマンサク科の常緑高木で後者はブナ科の落葉性の広葉樹の事で、ミズナラ・コナラ・クヌギ・カシワ等の総称です。この歌は紅葉を詠っているので後者です。

藤原良経は九条家の出で九条良経とも呼ばれています。後鳥羽院の信任を得て摂政太政大臣に上りました。後鳥羽院の口伝には「故摂政は、たけをむねとして、諸方を兼ねたりき。いかにぞや見ゆる詞のなさ、哥ごとに由あるさま、不可思議なりき。百首などのあまりに地哥もなく見えしこそ、かへりては難ともいひつべかりしか。秀歌のあまり多くて、両三首などは書きのせがたし」とあります。九条良経は新古今集の仮名序を書いたことで有名です。

カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ミノルタ500mmF8レフレックスレンズです。Vario-Sonnarは素晴らしいレンズだと思います。小さい画像では実感できませんが大画面で見るとα900の画素数とあいまって迫力に圧倒されます。ミノルタのレフレックス500mmも久しぶりに持ち出しましたが面白いレンズです。対岸の紅葉はこのレンズで撮りました。全体的に光が不足気味でしたのでシットリと撮れたと思います。次回はどこかでミノルタの100mmマクロを試したいと思います。現像ソフトのSilkyPixのα900用のEarly Previewが24日に公開されていました。おかげで早くRaw現像が出来るようになりました。非常に助かります。

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ペンタックスK20Dとペンタックスレンズ50-300mmです。なかなか良い写りですね。

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2008年10月26日 (日)

伊奈町町制施行記念公園の薔薇園の秋バラ2

10月18日に埼玉県伊奈町のバラ園へ行って来ました。やはり秋の薔薇は綺麗ですね。特に花が少なくなってきているこの頃では貴重な美しい花です。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mmです。

玉葉集から西園寺実兼の歌。

      草木みな

    明日みざるべき

      色もなし

    わが心にぞ

    秋は暮れける

(意)草木は皆、明日になっても同じように見えるはずだ。それなのに今日限りで秋の景色が見納めと思えるのは、私の心の中で秋が暮れてしまったということなのだ。

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昨日、日光の中禅寺湖へソニーα900の試し撮りに行って来ました。レンズはVario-Sonnar24-70mmです。取りあえず3枚を載せます。カメラについてきた現像ソフトでは時間がかかりすぎますので後ほど他はアップします。天気はあまり良くなく2時間程度日が射して来ましたが生憎の曇天でした。相変わらず日光の紅葉の季節は早朝でも大混雑です。帰りのイロハ坂の下りで逆行する車がいました。これで日光イロハ坂を逆行する車を見るのは3回目です。どのようにしたら一方通行の下り線を登ってこられるのかが分かりません。事故らなければ良いのですが非常に危険です。最近は訳の分からに走り方をする人が多いですね。高速道路を逆行する車とすれ違ったこともあります。高速道路で逆行して来て目の前でUターンされたこともありました。先日は自転車で高速道路を走ってパトカーに停止させられた人を見かけたこともあります。

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2008年10月25日 (土)

日光の紅葉

10月9日の日光の紅葉です。少し早かったですが綺麗でした。日光の金谷ホテルの前の紅葉は今頃最高でしょうね!

古今集から紀貫之の歌。

      秋風の

    吹きにし日より

      音羽山

    峰のこずゑも

    色づきにけり

(意)秋風の吹いたその日から、音羽山の峰の梢も色づきはじめたのだな。

戦場ヶ原

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光徳沼

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中禅寺湖金谷ホテル

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中禅寺立木観音

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いろは坂下り線

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番外編

ソニーα900が23日に到着しました。飲み会で深夜の帰宅となりましたので昨朝開梱し初撮りをしました。生憎の大雨でしたので昨日の我が家のワンちゃん達を撮りました。レンズはTokinaの28-70mmF2.8です。新しく購入したレンズのVario-Sonnar24-70mmは今回は使いませんでした。S優先125秒で他はすべてオートです。現像時に明るさを少しいじりました。ISOは1600になっていました。ほとんど問題が無いように思えます。もっとも細かい事が苦手で大雑把な私ですので・・・!欠点を言い出したらどのカメラも問題児だと思います。次回はVario-Sonnarで撮りたいと思いますが土日は少々用事があって遠出ができません。カメラの感じはとにかく重いです。ツアィスレンズを付けると物凄く重いです。これで望遠ズーム、マクロとテレコンを持って行くと、普段使っているショルダーバックだとキツイですね!やはり背負わないといけませんね。

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2008年10月24日 (金)

野尻湖畔と苗名の滝の紅葉

10月14日の朝の野尻湖畔と妙高の苗名の滝です。野尻湖畔の紅葉はまだ始まっていませんでした。苗名の滝の紅葉は始まったところでしょうか。たぶん今頃が盛り過ぎかもしれません。野尻湖周辺の紅葉も雑木林が多いので綺麗に紅葉します。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

野尻湖は開発から取り残されたような静かな湖です。上杉謙信の信州への進出の重要な拠点で北国街道から各方面への分岐点でもありました。ここには野尻湖城が築かれていました。何度かあった川中島の戦いの最後の戦いの緒戦は野尻湖城の取り合いから始まりました。上杉側の前線の野尻湖城を武田信玄が攻め取り、それを上杉謙信が取り返して両軍は川中島まで進出して睨み合いましたが、戦わずに両軍は国へ帰りました。野尻湖城は湖面に浮かぶ琵琶島(弁天島)とそれと向かい合う北国街道を見下ろす山の上に本城がありました。つまり2つの城が連携して守った城でした。野尻湖には上杉謙信に仕えた2人の武将の墓があります。ひとつは上杉謙信の軍師と言われた宇佐美定行で野尻湖城の城主で、墓は琵琶島にあります。もう一つは上杉謙信の従兄の長尾政景で墓は野尻湖畔にありましたが今は真光寺に移されています。政景の妻は謙信の姉でした。また政景の次男は謙信の養子となり越後上杉家2代目を継いだ上杉景勝です。この二人には色々と伝説があります。長尾政景が武田信玄と結んで反乱を起こす気配があったので宇佐美定行が長尾政景を船遊びに誘い出して野尻湖上で船の栓を抜き二人して入水して死んだと言い伝わられています。この時の唯一の生き残りは宇佐美の郎党一人だけで、政景の郎党を含め他はみんな死んだそうです。長尾政景の遺体には刀傷があったと地元では言い伝えられています。なお、宇佐美定行は越後17将の一人である宇佐美定満と言われています。あくまでも伝説です。

古今集から遍昭(遍照)の歌。

      里はあれて

    人はふりにし

      宿なれや

    庭もまがきも

    秋の野らなる

(意)親王の御宿となります我が家ですが、すっかり荒れてしまって、住む人も年老いてしまった宿ですので、庭も垣根も秋の野となっております。

詞書に「光孝天皇が親王であった時、布留の滝をご覧になりに行く途中、遍照の母の家に泊まり、秋の野に見立てて造った庭で天皇をまじえていろいろと皆で話をした時に詠んだ」とあります。

野尻湖畔の朝。

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苗名の滝の紅葉。

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2008年10月23日 (木)

伊奈町町制施行記念公園の薔薇園の秋バラ1

10月18日に埼玉県伊奈町のバラ園へ行って来ました。伊奈町は名前から分かりますが江戸時代の始めに関東郡代だった伊奈忠次が伊奈町の小室で1万3千石の譜代大名として立藩しました。関東郡代(関東代官頭)として徳川将軍家の直轄領のうち関東の100万石の統治を任されました。伊奈氏は3代で後継ぎが無く廃絶となりましたが、後に3代目の弟が後を継ぎ旗本として再び復活し川口市の赤山に陣屋を構え代々関東郡代として活躍をしましたが、何度か幕府内の勢力争いに巻き込まれ職を失うことがありました。伊奈氏は代々代官として農民を守ると言う護民の発想で関東を治めたため幕府の中枢と衝突する事が多かったようです。護民思想とは侍や官僚と庶民(農民)とは身分が違うので為政者(権力者)は庶民を護らなければならないと言う思想です。特に7代目の伊奈忠順は宝永の富士山大爆発の後始末で幕府の了解を得ないで駿府の幕府の米蔵を開き1万3千石の米を亡所(滅びた土地)とされた旧小田原藩の59ヵ村の被災民に配ったために責任を取って切腹をしたと伝えられています。なお富士山大噴火の時の駿府代官能勢権兵衛も駿府代官所の管理下の米蔵を幕府に無断で開いた伊奈忠順の行動を黙認したとして切腹しました。幕府の政策は伊奈忠順が亡くなってから亡所の方針が変わり幕府として救済方針に変わりました。この方針転換により亡所とされた何万人の農民の命が救われました。その徳を偲び被災民たちが後に須走りに伊奈神社を祭りました。伊奈町の蓮の花の名所の原市沼は伊奈氏の小室陣屋跡に隣接しています。たぶん陣屋の外側を湿地帯で守っていたのだと思います。

カメラはE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mmです。

古今集から紀貫之の歌。

      我はけ

    うひにぞ見つる

      花の色を

    あだなるものと

    いふべかりけり

(意)私は今朝初めて薔薇を見たけれど、この花の色を見ての感想は、移ろいやすく、はかないものと言うべきものだった。

この歌は「さうひ」つまり薔薇を詠んだ歌です。「うひ」とは初めてとの意味です。初めて見たのは移ろいやすい女の本性かとも思えます。日本の原種とする野バラは昔からあったようです。当時の遣唐使等は唐の国から書物や工芸品等を持ち帰りましたが植物も沢山持ち帰って来ました。その中に中国の鑑賞用のバラも入っていたようで、庚申バラ等も多分その時に到来したのだと思います。

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2008年10月22日 (水)

日塩道路の秋

10月19日に渡良瀬遊水地の後で日塩道路へ行ってきました。日塩道路は栃木県旧藤原町(日光市)と塩原を結ぶ有料道路で別名「もみじライン」と呼ばれています。塩原はどこかと合併したかも知れません。とにかく平成の馬鹿合併でよく分からなくなりました。滝は白滝です。日塩道路で初めの頃に紅葉をする地域です。少し早すぎましたが今週末には見事な山モミジの紅葉を見ることが出来ると思います。鬼怒川地区から日塩道路に入り塩原の料金所の出口を出て野菜の売店で美味しい塩原大根とキノコを買いました。キノコはナメコと少し高かったですが天然マイタケを買いました。やはり天然マイタケは香り・味・歯ざわりと大変美味しいですね!晩御飯は家で塩原の大根を入れたナメコと天然マイタケを入れたキノコ汁と天然マイタケの天麩羅でした。それと鹿沼市で買ってきた生湯葉の刺身で日本酒を飲みました。塩原の大根は美味しいですよ!私はこの大根を食べたいので塩原へ行きます。またこの鹿沼の生湯葉は絶品です。{(株)みずしま☎0289-75-3381}日光の湯葉なんて問題になりません。最近は量を沢山食べられないですので美味しい本物を少しでいいから食べたいですね!この先が短いですからね。

西行法師の家集「山家集」から。

      いにしへを

    恋ふる涙の

      色に似て

    袂(たもと)に散るは

    紅葉(もみぢ)なりけり

(意)昔を恋い慕う血の涙の色にも似て、涙とともに袂に散りかかるのは紅葉だ。

カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mmです。

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下の画像のカメラはミノルタαSweetデジタルとVario-Sonnar24-70mmです。カメラは借りました。レンズはα900に備えて先週届いたレンズです。小さい画像だと分かりませんが大型の液晶テレビで再生をしたところ、このレンズの性能にはビックリさせられました。α900だと凄い写りになるかもしれません。ただし大きく伸ばすプロには十分にこのレンズの性能を生かす事が出来るでしょうが、私のような素人には確かにオーバースペックだとは思いますが、それがロマン!それしても重いレンズです。α900と組み合わせるとかなりの重さになると思います。最近体力がついてこないので、それが心配です。

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2008年10月21日 (火)

旧古河庭園の秋バラ

10月16日に東京都北区西ヶ原の旧古河庭園の秋バラを撮りに行ってきました。旧古河庭園はもともと明治時代の外務大臣陸奥宗光の屋敷でした。二男潤吉が古河(ふるかわ)財閥の古河市兵衛の養子となり古河財閥の2代目となったために、この屋敷は古河家の所有となりました。現在の洋館と庭園は3代目の古河虎之助が作りました。戦後昭和21年に制定された財産税により古河家として税金を払うことができずこの屋敷を物納として政府に納めました。それ以来国家の所有となり管理を東京都が行っています。古河財閥は栃木県の足尾銅山開発で巨額の富を築きましたが、後に鉱毒事件により大問題となり田中正造の明治天皇への直訴事件を引き起こしました。昨日アップした渡良瀬遊水地は足尾鉱毒事件の鉱毒を沈殿させ無害化することを最初の目的に渡良瀬川下流に作られた遊水地です。近年やっと足尾の鉱毒事件で荒らされ禿山になった足尾の山々にも緑が生えて来て紅葉の季節には雑木が紅葉して奥日光の半月峠から足尾の綺麗な紅葉が見えるようになりました。足尾の山に緑が戻るまでにほぼ100年の時間が必要でした。それほど酷い鉱害事件だったのです。

財産税とは占領軍の行った当時の金持ちを疲弊させるのが目的とされた新たな臨時税で、昭和21年3月3日0時における国民の全財産に対して課せられた非常な高率な累進課税でした。税金は10万円(現在に換算するとほぼ5千万円程度でしょうか)以上の財産に対して25%~90%の税率で課税されました。この財産税と並行して戦後インフレ対策として預金閉鎖と新円の切り替えを行い新税から逃れる方法を塞ぎました。この財産税により戦前戦後のお金持ちはほとんどが淘汰され倒産する家が続出しました。我が家も倒産はしませんでしたが、その淘汰された中の一つです。当時の税務申告に使った財産目録が先日家の荷物の中から出てきましたがビックリさせられる内容で、当時祖父達が苦労したことが偲ばれました。

昭和22年のマカーサー令による農地解放により日本の農地の7割が国家により事実上没収され小作人に下げ渡されました。当初はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は農地解放には消極的だったようですが貧農の解放を目指した当時の農林大臣松村健三の強い意志によりGHQも踏み切ったのです。当時のアメリカ軍のGHQのスタッフには社会主義に影響された人々が多数入っていましたが、そこまでの改革には反対する勢力が多かったようです。日本の政府の中には社会主義改革の一環で思想的には労農派(非日本共産党のマルクス主義派)と、それに対抗した講座派と呼ばれる社会主義者集団の人々の(日本共産党の基礎理論に影響を与えた)思想に影響された官僚や学者文化人も多かったのです。この時代は混沌として不思議な事件が頻発した時代でした。私はこの農地開放の思想が現在まで農水省のキャリア官僚の中に生き続けていて農地法がいまだに残っているのだと思います。確かに農地法があったから日本の農業は守られた一面も確かにあります。しかしこの事が日本の農産物の自給率を下げている根本原因だと私は思っています。分かりやすく言うと細分化された農地が農業の効率化を妨げているのだと思います。もっと簡単に大規模農業が行われやすい環境を作れば農業を新たな産業と見て大企業が参入しやすくなると思います。当然、農業の効率化は進みます。もっとも首都圏など人口密集地では農地開放によって農地を今まで地主から借りていただけだった小作人達が政府によって農地を取得する事が出来、その農地が値上がりしたことにより農民が農業を止め農地解放によって得た土地を不動産会社等へ売却する事によりベンツ等の高級車に乗ったり豪邸を建てたり出来たのです。まさに戦後の日本は究極の不思議な社会主義国家だったのかも知れません。久しぶりに難しい話になりました。皆さんには少しは勉強になったでしょうか!色々な考え方があってこその民主主義です。

    薔薇  武田信玄
 滿院薔薇香露新 満院の薔薇 香露新たなり
 雨餘紅色別留春 雨余の紅色 留春を別(こと)にす
 風流謝傳今猶在 風流謝伝 今猶お在り
 花似東山縹渺人 花は東山 縹渺(ひょうびょう)の人に似たり

(意)

庭を満たしている薔薇の花は 香を含んだ露がおりて新鮮である
雨が降った後のその紅の花の色は 去りゆく春を惜しんでいる
風流人謝安の伝記は、今もなお残っている                            その花は東山に隠れ棲んでいた霞んでいる様な謝安の姿に似て美しい

甲斐国の戦国武将だった武田信玄の作った漢詩です。武田信玄の見た薔薇は「ロサ・キネンシス(庚申ばら)」だと思われます。平安時代頃に中国から日本に渡って来たと思われ日本に自生した小輪八重咲きの紅色の花は幕末の頃に長崎からイギリスに渡ったかも知れない世界の四季咲きのオールドローズのバラの元祖かも知れません。また平安時代に遣唐使が中国から持ち帰ってきた植物の一つかもしれません。謝安は東晋の人で東晋の危機を何度も救った政治家で若い頃は風流人として過ごしました。

和歌や物語の世界で平安時代では古今集で薔薇(さうび)として紀貫之の歌った一首だけで、源氏物語に2例出ているだけです。

軽さを優先してカメラはオリンパスE-520とズイコーレンズ18-180mmです。軽くていいですね!

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2008年10月20日 (月)

渡良瀬遊水地の朝焼け

10月19日早朝に渡良瀬遊水地のアッシ沼へ行ってきました。朝5時に渡良瀬遊水地へ着きましたが、辺りは暗く懐中電灯が必要でした。朝霧が出ていたので幻想的な朝焼けを期待をしたのですが、意外と綺麗な朝焼けにはなりませんでした。残念でした!それでもマアマアの渡良瀬遊水地の朝焼けだと思います。朝霧は勢いよく動き刻々と辺りの風景を変えていきました。太陽が顔を覗かせた後に渡良瀬遊水地の堤外へ出て、赤麻地区の堤防の上から渡良瀬川の川霧を狙いました。こちらの方が川霧が湧いて幻想的でした。朝霧の写真は本当に難しいです。やはり運でしょうね。天候の状況によって三脚を立てた場所で霧が少ししか湧かなかったり、数キロ離れた場所で盛大に霧が湧いたりします。また朝焼けが綺麗に出るかは全く分かりません。また霧が湧き過ぎると全く写真を撮れません。とにかく広大な遊水地ですので何処で写真を撮るかは賭けのようなものです。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mmです。

古今集から凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)の歌。

      秋霧の

    はるる時なき

      心には

    立ちゐの空も

    おもほえなくに

(意)秋霧のように恋いに鬱々とした思いが常に立ち込め、晴れることのない私の心は、立ったり座ったりするのも気づかないほど上の空だ。

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2008年10月19日 (日)

志賀高原 蓮池&長池&三角池の紅葉

10月13日の志賀高原の蓮池・長池・三角池です。それぞれ国道に隣接している池です。紅葉の季節は紅葉が池の面に映り込んで素晴らしい景色となります。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

新古今集から式子内親王の歌。

      ながめわびぬ

    秋よりほかの

      宿もがな

    野にも山にも

    月やすむらん

(意)つくづく眺め疲れてしまった。季節が秋でない宿はないものか。野にも山にも月は澄んでいて、どこへも遁れようはないのだろうか。

式子内親王の歌は綺麗な響きがあります。繊細な女性の歌なのでしょうね。彼女は体が弱かったようで宮廷の歌壇での活躍はほとんど見られませんが新古近集の代表的な歌人のひとりです。

蓮池

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長池

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三角池

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2008年10月18日 (土)

志賀高原 渋峠周辺の紅葉

10月13日の志賀高原の渋峠です。渋峠は日本の国道としては一番高い(2,172m)ところにある峠です。群馬県と長野県の県境にあります。ここは非常に寒いところで5~6月でも雪が積もる時があります。渋峠の周辺から峠の下の紅葉を楽しむことができます。この日はガスが出ていましたので綺麗には写真が撮れませんでした。特に群馬県側が光線の具合とガスでクリアーには見えません。長野県側は群馬県側に比べて割合にクリアーでした。紅葉は最盛期でしょう。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ55-300mmです。

平安時代の女流歌人の中務の家集から。

      もみぢ葉も

    おちつもりぬる

      谷水は

    秋のふかさぞ

    そこにみえける

(意)紅葉が散り積もった谷川の水は、秋のすっかり深まったことがその底に見える。

中務の父親は宇多天皇の皇子の敦慶(あつよし)親王で、母親は女流歌人の伊勢でした。伊勢は宇多天皇の更衣(后のうち皇后=中宮・女御に次ぐ后で通例は父親が大納言以下の家柄)でしたが、宇多天皇が亡くなると皇子の敦慶親王と結ばれ中務を生みました。平安時代は天皇のお手付きでも天皇が亡くなれば、その後についてはこだわらなかったようですね!話が横にそれますが明治時代になりヨーロッパなどの皇室は一応一夫一妻制を取っていたので日本もそれに習いました。しかし実際には日本の皇室は皇后の他に女官と呼ばれ天皇の寝室に侍る女性達がたくさんいました。大正天皇は皇后の子として発表され、その様に育てられましたが、実際は女官の腹から生まれました。大正天皇はその事実を知った時に非常に大きなショックを受けたそうです。こんな事を書けば昔なら不敬罪ですね!

「秋のふかさ」とは秋の深まりと水の深さをかけています。「そこにみえける」とは水の底と、そこに見える秋をかけています。

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2008年10月17日 (金)

新宿御苑の秋のバラ

10月2日に新宿御苑へ行ってきました。閉園前でしたので光線が斜めから入ってきて、見るのには綺麗なのですが写真を撮るにはフィールターが必要なほど難しかったです。フィルム一眼時代はこのようなケースの場合は色補正フィールターを使ったのですが!デジ一眼になって全く使いません。秋バラも10月桜も咲き始めていました。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ18-180mmです。

許渾(きょこん)の秋思(しゅうし)と言う題の漢詩。

琪樹西風枕簟秋(きじゅの せいふう ちんてんの あき)
楚雲湘水憶同遊(そうん しょうすい どうゆうを おもう)
高歌一曲掩明鏡(こうか いっきょく めいきょうを おおう)
昨日少年今白頭(さくじつの しょうねん いま はくとう)

(意)美しい樹木に西からの風が吹き、枕辺にもひんやりと秋の気配が感じられるようになった。友と遊んだ楚の国の雲や湘江の流れを懐かしく想う。声高らかに歌を一曲歌い、鏡の中の自分の姿を見て、すぐに鏡をおおってしまった。この間まで若いと思っていたのに、そこにうつっていたのは白髪頭の老人だった。

許渾は晩唐の詩人です。題の「秋思」とは季節の秋と人生の秋を思ったものです。私の事を詠ったみたいな詩です。まさに昨日少年今白頭です。少し薄いですが!

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2008年10月16日 (木)

志賀高原 一沼&丸池の紅葉

10月13日に志賀高原へ行ってきました。長野県中野市から志賀高原へ入り渋峠から引き返して来ました。今年はどこも人がいっぱいでした。野尻湖の別荘へ帰る途中で中野市の一本木公園の秋バラを撮って来ました。今年の志賀高原の紅葉は綺麗です。13日の早朝は綺麗に撮れましたが、その後で渋峠あたりでは風がほとんど無く少しガスが湧いて写真には少し難しい状態になりました。渋峠の12日はほどほどの風が吹いてガスを吹き飛ばしてくれたそうで写真には最高だったそうです。写真は運が左右しますね。タイミングも重要です。

万葉集から柿本人麻呂の歌。

      秋山の

    黄葉(もみぢ)を茂み

      惑(まど)ひぬる

    妹(いも)を求めむ

    山道(やまぢ)知らずも

(意)秋山の黄葉(もみじ)が繁っているので、迷ってしまった妻を探そうにも、山道が分からない。

この歌は柿本人麻呂の妻が亡くなった時に悲しんで詠った歌です。亡くなった妻が秋の山に迷い込んで探せないと詠っているのです。悲しい歌ですね。

一沼

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丸池

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2008年10月15日 (水)

戸隠 鏡池

10月12日の長野県長野市の戸隠の鏡池です。この日は早朝6時前に鏡池に着きましたが、すでに駐車場は満杯状態で、幸いにして最後の1台の駐車スペースに入れることが出来ました。とにかく凄い人出で200人程の人が三脚をすでに立てていました。最近は鏡池も混むようになりました。私は三脚を使わないので身軽に動き回れました。残念ながら最初の頃は風があり池の面に波が立ち紅葉の写り込みは非常に難しい状態でした。1時間ほどして帰ろうとした頃から風が時々止みはじめ、池の面への写り込みが現れ始めました。これだけの人達がほとんど同じ方向へレンズを向けていますが99.999パーセント同じ写真は撮れません。そこが写真の面白いところなのでしょうね!カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmとシグマ10-20mmです。

拾遺集から藤原公任(きんとう)の歌。

      朝まだき

    嵐の山の

      さむければ

    紅葉の錦

    きぬ人ぞなき

(意)早朝、嵐の吹く嵐山が寒々としているので、木々は色様々の紅葉を盛んに散らせ、その美しい錦衣(きんい)を着ない人はいない。

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2008年10月14日 (火)

コテージガーデン・ステファニーの中秋の花2

9月28日に栃木県那須烏山のコテージガーデン・ステファニーへ行ってきました。花もこれから晩秋の花が咲いて終わります。来年の春に再びこのガーデンで春の花に出逢えるまで暫くの別れです。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmとタムロン90mmマクロです。

コテージガーデンステファニーが今年の日本園芸協会のゴールドメダル(最優秀賞)に選ばれたのに続いて、コメリのガーデニングコンテストでグランプリに輝きました。今回は審査員の満票で選ばれたそうです。おめでとうございました。

http://www.komeri.com/contest/contest_11th/

新古今集から藤原良経(ふじわらよしつね)の歌。

      またも来む

    秋をたのむの

      雁だにも

    鳴きてぞ帰る

    春のあけぼの

(意)秋には又来ると言う田にいる雁も、春の曙の時期には鳴いて帰るのです。私も貴方と再び逢えるのか分からないままに、別れが辛く泣いて帰るのです。

藤原良経とは摂政太政大臣でした。九条家の出で総領の兄の良通の死去後次男だった良経が跡を継ぎました。一般的には九条良経と呼ばれています。和歌所設置に際しては寄人筆頭となり新古今集の編纂に深くかかわり、新古今集の巻頭の仮名序を書きました。

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2008年10月13日 (月)

奥日光 湯ノ湖の紅葉2

10月9日の湯ノ湖の紅葉です。湖畔を半周しました。湯滝の滝の落ち口辺りは人が多いですが湯ノ湖の湖畔の中に入ると人が少なくなります。人気のない静かな湖畔で秋を楽しめました。紅葉の始まった湖畔の水辺でカメラを構えてジッとしているのも気持ちが良いものです。まだ始まったばかりですが久しぶりに透明感のある紅葉に巡りあえる様な予感がします。これからの天候次第でしょうね!カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

古今集から紀貫之の歌。

      白露も

    時雨もいたく

      もる山は

    下葉のこらず

    色づきにけり

(意)露も時雨もひどく漏ると言われる「もる山」は、下の葉まで色づいている。

少し意味が分からないですね。この「もる山」とは滋賀県守山市にある山と言われています。滋賀県野洲町の三上山とも言われています。詞書に「もる山のほとり」とありますので、その近辺を詠ったのでしょうね。

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2008年10月12日 (日)

奥日光 湯ノ湖の紅葉 湯元温泉

10月9日の日光の湯元温泉です。ここは湯ノ湖の奥にあり群馬県との県境の金精峠への入り口です。金精峠も綺麗に紅葉しているのが湯元温泉から見ることが出来ました。時間もなく途中車を止めるところが少ないので金精峠は今回見送りました。湯元温泉から見る湯ノ湖も湖面に紅葉が写ればもっと綺麗なのですが10時頃になると風が出て来てしまい湖面に波が立ってしまいます。やはり湖面の写真は早朝に限りますね!

西行法師の家集から。

      染めてけり

    紅葉の色の

      くれなゐを

    時雨(しぐ)ると見えし

    み山辺の里

(意)時雨ていると見えた山辺の里では、木々の葉はすっかり紅に染められている。

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2008年10月11日 (土)

奥日光 湯ノ湖の紅葉1

10月9日の湯ノ湖です。少し早いですが色つきが綺麗でした。今年は久しぶりに透明感のある紅葉を見られそうです。例年より数日紅葉が早いと思います。湯ノ湖の紅葉の盛りは今週末からでしょう。ここの紅葉は早朝でないと湖面に波が立ちます。早朝に撮影すると湖面に紅葉が映って2倍楽しめます。この日の奥日光の早朝は雨でしたが、徐々に雨が上がってきて太陽が顔を出して来ました。一層紅葉の色が冴えてきました。

後拾遺集から藤原頼宗の歌。

      いかなれば

    おなじ時雨に

      もみぢする

    柞(ははそ)の杜(もり)の

    うすくこからん

(意)紅葉はしぐれの雨によって美しく色を変えるというが、柞の森は、同じ時雨にあたっているのになぜ色が薄かったり濃かったりするのだろう。

柞とはナラやクヌギのように木の実のなる雑木の総称です。

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P.S.  今朝から数日間小旅行に出かけます。ブログは留守中も毎朝更新されるように奥日光の紅葉の予定稿を入れてあります。

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2008年10月10日 (金)

日光 竜頭の滝の紅葉

昨日、10月9日に奥日光へ紅葉の撮影に行ってきました。今日は「竜頭の滝」とその上流の紅葉です。湯の湖などの画像は近々アップする予定です。今年の奥日光の紅葉は色が綺麗です。例年より少し早いです、と言うより昔の感じです。20年以上前から毎年10月10日前後に日光へ行っていますが、色も紅葉の進み方も昔を思い起こさせるような感じがしました。最近の日光の紅葉は色が悪くて遅れ気味でした。奥日光は竜頭の滝から紅葉が始まりやがて湯の湖が紅葉します。今年の湯の湖は綺麗でした。湯の湖の紅葉の最盛期は今週末からでしょうね。ここ数日の冷え込み方によって色が変わって来ます。昨日の朝は7時半に竜頭の滝に着きましたが気温が11℃でした。20年程前に10月10日に雪が降ってきて紅葉と雪景色を一緒に楽しめた時がありました。天気も天気予報がまた外れてくれて上天気とも言えませんでしたがかなりいい天気でした。天気が悪いと言う天気予報のお陰だったのでしょうか、人出は非常に少なく、竜頭の滝では待たずに三脚を立てることが出来ました。この時間では珍しい事です。竜頭の滝のすぐ手前にある「魚と森の観察園」の紅葉もかなり綺麗に紅葉が始まっていました。来週には見頃になると思います。ここの紅葉もすばらしい場所で穴場です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmとシグマ10-20mmです。三脚嫌いな私でもこのようなシーンを撮る時には三脚を使います。三脚は本当に面倒ですね!

古今集から素性法師の歌。

      もみぢ葉の

    ながれてとまる

      湊(みなと)には

    紅深き

    浪やたつらむ

(意)川に散り落ちたもみじ葉が流れて行き着く湊には、深い紅の波が立つだろうか。

この歌は二条の后(藤原高子)が東宮の御息所(皇太子の母)と呼ばれていた頃に、二条の后の持っていた屏風絵に書かれた素性法師の歌です。

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2008年10月 9日 (木)

中秋の日光植物園2

9月14日の栃木県日光市の日光植物園です。最後から7枚は今市の日光街道の杉並木です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

玉葉集から永福門院内侍の歌。

      吹きしをる

    四方(よも)の草木の

      うら葉みえて

    風にしらめる

    秋の明ぼの

(意)野分の嵐が吹きたわませる、あたり一面の草木、その裏葉が白じらと見えて、激しい風の中、次第に明るくなってくる、秋の曙よ。

この歌は永福門院内侍の代表歌と言われています。この歌から内侍は「裡葉内侍(うらはのないじ)」と呼ばれたほど当時は有名な歌でした。永福門院内侍と主人の永福門院とは主従の関係ではなく死ぬまで友としての付き合いでした。内侍は若くして永福門院に仕え二人して和歌の道を学びました。二人は京極派の和歌の中心でした。内侍は自分の姪の伏見院の皇女であった進子内親王を播磨で養育し、後に進子内親王を伴い上洛して都での歌合せに活躍し進子内親王を次代の後期京極派の中心的な歌人に育てました。

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2008年10月 8日 (水)

那須国黒羽 雲巌寺(うんがんじ)の中秋

9月28日の栃木県大田原市(旧黒羽町)の雲巌寺です。雲巌寺は秋の紅葉の素晴らしいところです。叟元和尚によって大治年間(1126~1131年)に開基され、1283年(弘安6年)鎌倉幕府の執権北条時宗を大檀那として仏国国師によって開山されました。臨済宗妙心寺派の寺院です。聖福寺(しょうふくじ)(博多)、永平寺(えいへいじ)(福井)、興国寺(こうこくじ)(紀州)と並んで禅宗四大道場と言われています。開山した仏国国師とは後嵯峨天皇の第二皇子でした。松尾芭蕉が奥州への旅の途中で雲巌寺に立ち寄りました。5枚目の写真は入口ある当時の住職であった仏頂禅師と芭蕉の歌碑です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

風雅集から仏国国師の歌。

      我だにも

    せばしと思ふ

      草の庵に

    なかばさし入る

    峰のしら雲

(意)自分一人だけでも狭いと思う草庵に、峰の白雲は真中まで入り込んで来る。

仏国国師は中国浙江省出身で日本に渡ってきた無学祖元(むがくそげん)の弟子でした。鎌倉の北条氏の帰依を受け、鎌倉万寿寺・浄妙寺・浄智寺・建長寺の住職を経て那須国黒羽に雲巌寺を開きました。京都の寺院の庭園造りなどで有名な夢想疎石(夢想国師)も雲巌寺で仏国国師の弟子として修業をしました。

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2008年10月 7日 (火)

コテージガーデン・ステファニーの中秋の花1

9月28日の栃木県那須烏山市のコテージガーデン・ステファニーです。秋の庭は春や夏の輝くような美しさはありませんが、秋らしい静かな心を落ち着かせてくれるような花が咲いていました。赤い実は観賞用の茄子です。最後の写真は蕎麦の花と里芋の葉です。ガーデンの向かい側の土地に咲いていました。やはりさすがに日本園芸協会の最優秀賞に輝くガーデンですね。普通は秋にこれだけの花は咲かないと思います。いよいよコテージガーデン・ステファニーはこれから晩秋の花が咲いて冬支度となります。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmとタムロン90mmマクロです。

風雅集から永福門院の歌。

      常よりも

    あはれなりにしを

      限りにて

    この世ながらは

    げにさてぞかし

(意)いつもよりもしみじみとお互いの心に触れ合ったのを最後の逢瀬として、これがこの世で生きて逢う事はないのだと思う。

お互いに思い合いながら別れなければならなかった恋人との最後の逢瀬。それを心に秘めてこれから生きて行こうとする永福門院なのでしょうか?この歌について玉葉集・風雅集等を現代に呼び戻したと言われる岩佐美代子氏の著書によれば「一見稚拙な歌と思われるかもしれないが、『絶恋』の題意に即しながら人をも我をもきずつけぬ、こんなにも情のある真実な歌が、他にあるかどうか。新古今あたりの恋歌と比較してみていただきたい」と言っています。全く同意です。素晴らしい歌だと思います。

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2008年10月 6日 (月)

旧黒羽(くろばね)町 大雄寺(だいおうじ)

9月28日に栃木県大田原市の大雄寺(旧黒羽町)へ行ってきました。この寺院の正式名称は黒羽山久遠院大雄寺(くろばねさんくおんいんだいおうじ)と言い曹洞宗の禅寺です。代々大関氏の菩提寺で室町時代の1404年に余瀬白旗城内に創建されましたが1576年に第14代大関高増により本拠を白旗城から黒羽城に移し、それとともに大雄寺は一緒に移されました。大関氏は那須氏(那須国造の子孫)の重臣でしたが豊臣秀吉の小田原攻めの時に那須氏は遅参したため改易とされ、大関氏や大田原氏はいち早く小田原へ参陣したため所領を安堵されました。那須七騎(那須衆)の一家で那須衆とは那須地方に根を張る豪族連合でした。徳川家の中で交代寄合の四衆(那須衆・美濃衆・伊那衆・三河衆)の一つでした。後に大関氏は二万石の大名として代々黒羽を居城としました。関ヶ原の戦いの前後は会津の上杉氏が白河口から南進して来る可能性があったので、その場合は黒羽城に那須衆が立て籠もり江戸からの援軍が来るまでの時間稼ぎをするために黒羽城は戦略上重要な城でした。黒羽藩は二万石でしたが十万石以上の城構えでした。江戸時代に松尾芭蕉が奥州への旅の途中でこの黒羽の地に14日間も滞在しました。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmとシグマ10-200mmです。

大雄寺は春の牡丹とシャガ、梅雨の紫陽花、夏の蓮、秋の彼岸花と紅葉、冬の雪景色と綺麗な寺院です。

玉葉集から永福門院の歌。

      心うつる

    なさけいづれと

      わきかねぬ

    花ほととぎす

    月雪のとき

(意)心がそれからそれへと移りゆく趣は、どれが一番良いとも判断できない。花、時鳥、月、雪のどれも心惹かれる。

この歌は南北朝時代の京極派の永福門院らしい素晴らしい歌ですね。

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2008年10月 5日 (日)

白駒池の紅葉

昨日10月4日長野県北八ヶ岳の八千穂高原にある白駒池へ行って来ました。今年の秋最初の紅葉の撮影でした。ここは南佐久郡佐久穂町にあります。昔は「白駒の池」と言っていましたが現在は一般に「白駒池」と呼んでいるようです。標高が2000mを越えるので、早く紅葉するので有名です。ここの紅葉は赤が多く、池の回りのドウダンツツジやナナカマドが真っ赤に染まります。ダテカンバはまだ少ししか黄色くなっていませんでした。池の面に時々さざ波が立ちましたが非常に静かな早朝で紅葉が白駒池に綺麗に写り込みました。白駒池の周辺の原生林は日本3大原生林の一つだそうです。苔むした倒木が折り重なるように朽ちて自然のままに残されています。紅葉は今週の半ばが一番綺麗になるかもしれません。4時半にさいたま市の自宅を出て7時半に白駒池に着きました。まだ駐車場は半分ほど空いていました。数日前からテレビで放映していたので混雑すると思い早く家を出てきました。9時半に白駒池を後にしましたが駐車場に入れない車が並んでいましたが、思ったほどの混雑ではありませんでした。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmとシグマ10-20mmです。

新古今集から藤原俊成の歌。

      心とや

    紅葉はすらむ

      立田山

    松は時雨に

    ぬれぬものかは

(意)木々は自分の心から紅葉するのだろうか。立田山の紅葉にまじる松はどうか、時雨に濡れなかっただろうか。そんなはずはないのだ。

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2008年10月 4日 (土)

秋ヶ瀬公園の彼岸花

9月25日の埼玉県さいたま市の秋ヶ瀬公園の彼岸花です。ここは荒川の河川敷の中にある遊水機能を持った公園で、二重の堤防の中にあります。大増水のときにはこのあたりは川底になります。ここの彼岸花は広い森の中に群生が点在します。沢山の蜘蛛の巣と薮蚊と闘いながら森の中へ入ります。蛇もいるので注意が必要です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmとタムロン90mmマクロです。

和泉式部日記から和泉式部と恋人の敦道親王(あつみちしんのう)の歌のやりとり。

      くれぐれと

    秋の日ごろの

      ふるままに

    思ひ知られぬ

    あやしかりしも   和泉式部

(意)あの夕暮れにお逢いして以来、目の前が真っ暗になるような思いで秋の日々を過ごしてみて思い知りました。秋の夕べは不思議なほどにあやしく人が恋しいものだと。

      人はいさ

    我は忘れず

      ほどふれど

    秋の夕暮

    ありし逢ふこと   敦道親王

(意)あなたはどうか知りませんが、私は忘れません。時が経っても、秋の夕暮、あなたとお逢いしたことは。

この歌のやりとりは素晴らしいと思います。和泉式部は色狂いと言われていましたが、恋多き女性の心のひだを見せてくれるような歌が多いですね。少しシツコイぐらいです。私はこんな女性は苦手です。敦道親王も亡くなった同母兄の弾正宮為尊(ためたか)親王の恋人だった和泉式部と恋に落ち、和泉式部を自分の屋敷に入れ、正妻が家出をする当時としては大スキャンダルを引き起こしました。それほど吸引力の強い女性だったのでしょうね。怖いですね!敦道親王は「太宰の帥(そち)」(遠の帝)で九州方面の政治行政軍事の最高司令官でしたが、この時代高貴な貴族は任地に赴任せず次官あるいは代理人が任地で仕事をする決まりでした。これを遥任と呼びます。敦道親王は太宰の帥でしたので「帥(そち)の宮」と呼ばれていましたが、太宰府には行きませんでした。つまり遥任でした。代わって次官の大宰権帥(だざいのごんのそち)が職務を代行をしました。

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2008年10月 3日 (金)

栃木植物園の彼岸花

9月24日に栃木県都賀町の栃木植物園へ行ってきました。ここは「花之江の郷」から1Kmほどのところにある植物園です。この地は中世には栃木市に本拠のあった戦国大名の皆川氏が築いた「布袋ヶ丘城」がありました。この城は宇都宮に本拠のあった宇都宮氏の鹿沼方面からの南下を抑える皆川氏の出城でした。戦略上本拠の「皆川城」を守る重要な城砦で何度か大きな戦いがありました。発掘調査の結果、出城の領域をはるかに超える規模の巨大な城だったようです。皆川城は豊臣秀吉の小田原攻めの時に小田原方に付いたために上杉・真田氏に攻められて落城しましたが、城主の皆川広照は小田原城に在城していて小田原城落城前に出奔し徳川家康に降伏して本領安堵されました。後に徳川家康の六男の松平忠輝の養育を任され忠輝が信州川中島藩12万石に加増移封されるに従い忠輝の付属大名として皆川広照は信州飯山藩へ加増移封されました。後に川中島藩の御家争いで皆川広照は失脚し飯山の領地を召し上げられてしまいました。忠輝は後に越後高田藩へ加増移封となりましたが、その後に兄である2代目将軍秀忠により改易の処分を受け不遇のうちに諏訪高島城内で亡くなりました。松平忠輝がなぜ改易されたかは色々と言われていますがよく分かっていません。忠輝は18代当主の徳川 恒孝(とくがわつねなり)によって赦免されました。亡くなってから301年後の1984年でした。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-42mm&18-180mmです。

風雅集から藤原為子(京極為子)の歌。

      時ありて

    花も紅葉も

      ひとさかり

    あはれに月の

    いつもかはらぬ

(意)花も紅葉もそれぞれの季節があり、盛りはひとときだ。ところがあわれ深いことに、月はいつも変わらぬ姿で空にある。

この歌は人の人生を詠っているのでしょうか。藤原為子は伏見院や永福門院に仕えた前期京極派の代表的な歌人です。

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2008年10月 2日 (木)

花之江の郷の中秋 彼岸花1

9月24日の栃木県都賀町の花之江の郷です。花之江の郷は春から秋まで花の絶える時がありません。今の季節は彼岸花が沢山咲きます。経営母体は栃木市内の和菓子屋の「もめん弥」で、お煎餅の「がんこ職人」で割り合い有名です。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-42mm&18-180mmです。

和漢朗詠集から小野篁の漢詩を。

 物色自堪傷客意 宜将愁字作秋心 客舎秋情

(読み)物の色は自ずから客の意(こころ)を傷(いた)ましむるに堪(た)へたり。宜(うべ)なり愁(うれひ)の字をもて秋の心に作れること。

(意)目に入る世界のすべての色が流される身である私の心を傷まします。秋の心でもっで愁の字を組み立ているのは、もっともなことです。

小野篁は三十三歳で遣唐副使に任命されました。二度出帆して難破したのち、承和五年(839年)、遣唐大使の藤原常嗣と軋轢を起こし、病と称して進発せず、しかも大宰府で嵯峨上皇を諷する詩を作ったため、上皇の怒りに触れて隠岐に流されました。大使との軋轢とは大使の船の破損が激しかったので副使の小野篁の船と交換されたのに腹を立てたと言われています。この漢詩は隠岐に流された時に詠われたと言われています。2年後に許され都へ帰り、後に参議(閣僚)に至ります。遣唐使に選ばれた時に唐の詩人白楽天が小野篁が遣唐使として唐に来ることを伝え聞き、逢えることを楽しみにしていたと伝えられていましたが、難船によって世紀の対面は果たせませんでした。この頃は日本の貴族達の間では白楽天の漢詩を早く手に入れる事が流行りました。当時は小型の新羅船が沿海航行で日本と中国の間を繋いでいたようです。小野篁は詩文の天才ですね。残念ながら彼の漢詩集である「野相集」5巻は現在は失われています。京都東山の六道珍皇寺の井戸から毎夜地獄へ降りて閻魔大王の手伝いをしていたと言い伝えられています。

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2008年10月 1日 (水)

山中湖花の都公園2

8月22日に山中湖花の都公園へ行ってきました。最後から4枚目はミッキーマウスの花です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmとタムロン90mmマクロです。

風雅集から永福門院の歌。

      草の末に

    花こそみえね

      雲風も

    野分(のわき)に似たる

    ゆふぐれの雨

(意)草の末づえには花こそ見なくてまだ秋の花には早いけれど、雲も風も野分の様子に似た夕暮れの雨は夏から秋への変わり目を感じさせる。

野分とは野の草を強い風が吹き分けることです。永福門院は伏見天皇の女御になり後に中宮となりました。京極為兼・伏見院とともに京極派を代表する歌人です。京極派は南北朝の争乱の間にだんだん勢力を失いました。現代になり京極派の和歌の再評価により玉葉集・風雅集が見直されてきています。当初は京極派は北朝と密接に関係していました。それに対して二条派は南朝と結び付いていました。しかし、南北朝時代の後半は南朝北朝が入り乱れ複雑怪奇な訳の分からない時代でもありました。その中で和歌の世界は当初南朝方に立っていた二条派が、後には北朝方に立ち北朝方だった京極派を圧倒したのです。玉葉集・風雅集はなかなか良い歌が多いです。自然をしっとりと詠みこんでいる秀歌や人の心の微妙な動きを詠いこんだ歌が多いのにビックリさせられます。

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