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2008年5月 2日 (金)

上野東照宮ぼたん苑 春牡丹2

4月22日の上野公園内の上野東照宮ぼたん苑の春牡丹です。今年の春の牡丹は綺麗です。一段と艶やかでした。

中唐の詩人白楽天(白居易)のうた。

 買花

 帝城春欲暮 喧喧車馬度 共道牡丹時 相隨買花去
 貴賤無常價 酬直看花數 灼灼百朵紅 戔戔五束素
 上張幄幕庇 旁織笆籬護 水灑復泥封 移來色如故
 家家習為俗 人人迷不悟 有一田舍翁 偶來買花處
 低頭獨長嘆 此嘆無人喻 一叢深色花 十戶中人賦

(意)都の春も過ぎようとするころ、騒がしく馬車が通る。

   人は皆揃って言う「牡丹の時だ、一緒に花を買いに行こう」と、

   花の値段が高いか安いかは決まっていない。

   株についている花の数で値段が決まるのだ。

   燃えるような紅い花を百もさかせているものもある、

   一枝に5つの白い花を咲かせている牡丹もある。

   上には日除けの幕を張り、周囲には竹の囲いを作って守る。

   水をやり、泥を盛り、移植しても花の色は元の様に綺麗だ。

   これがどの家でも習わしになり、

   人々は牡丹に夢中になり、誰もその贅沢さに気がつかない。

   一人の田舎の爺さんが、

   たまたま、人が牡丹を買っているところにやって来た。

   爺さんは俯いてひとりで長いため息をついたが、

   そのため息のわけを、人は誰も分からない。

   一塊の濃い色の牡丹の値段は、

   中流階級の家の10軒分もの税金に匹敵するのだ。

唐詩は世界中で読まれていますが、中国では資料が多く失われています。それを補っているのはのは、日本の平安時代の貴族の間で読まれていた漢詩の本です。特に白楽天の詩は日本人に好まれていたようで沢山の本が残されています。中国には白楽天の詩の本はあまり残っていないようです。他の詩人の歌も中国で失われた詩が日本から出てくるのです。まさに日本はシルクロードの終点ですね。日本の貴族は和歌も漢詩も両方出来ないとダメでした。中国から輸入し書き写して貴族間で回し読みをしていたのでしょうね。遣唐使達も競って中国の本を持ち帰りました。僧は仏教の本を、官吏達は中国の法体系や行政法等をそして漢詩を命懸けで持ち帰ったのでしょう。遣唐使は平安時代に合計で5千200人程が日本を船出していったと言われています。帰還率は60パーセントとも言われています。それも何度も難破したようです。唐で唐の女性と結婚し妻子を連れ帰った人もいました。帰れなくて唐で亡くなった人も多くいました。遣唐使の研究は日中両国で進められていますが、まだこれから新資料が出てくると思います。数年前に中国で日本人遣唐使の一人の「井真成」の墓誌が発見されました。墓誌には{公は姓は井、通称は真成。国は日本といい、才は生まれながらに優れていた。それで命を受けて遠国へ派遣され、上国(中国)に馬を走らせ訪れた。中国の礼儀教養を身につけ、中国の風俗に同化した。役人になり、正装して朝廷に立ったなら、並ぶものはなかったに違いない。だから誰が予想しただろう、よく勉学し、まだそれを成し遂げないのに、思いもかけず突然に死ぬとは。開元二十二年(七三四)正月□日に官舎で亡くなった。年齢は三十六。皇帝(玄宗)はこれを傷み、しきたりに則って栄誉を称え、詔勅によって尚衣奉御の官職を贈り、葬儀は官でとり行わせた。その年二月四日に万年県の河の東の原に葬った。礼に基づいてである。ああ、夜明けに柩をのせた素木の車を引いてゆき、葬列は赤いのぼりを立てて哀悼の意を表した。真成は、遠い国にいることをなげきながら、夕暮れに倒れ、荒れはてた郊外におもむいて、墓で悲しんでいる。その言葉にいうには、「死ぬことは天の常道だが、哀しいのは遠方であることだ。身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている」}とあります。

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コメント

遣唐使の帰還率は60%ですか。
まこと使命に燃えていなければ行けませんね。
「井真成」の墓誌には涙を禁じえません。
そういう先達のおかげで日本が成立したのですね。
今現在の中国を云々するつもりはありませんが、
かつての中国は日本の恩人ともいうべき国だったのですね。

投稿 k-masa77 | 2008年5月 2日 (金) 17時42分

こんばんは!

連休はこちらのの方には来られませんか。

もしお時間あったらぜひお茶のみによってください!!

投稿 たっちょん | 2008年5月 2日 (金) 23時07分

こんばんは。
牡丹の写真、どれもきれいですね。それと不忍池の弁天
様の屋根が、妙に印象に残りました。
 今回は、写真以上に遣唐使の話に興味を持ちました。
現代の日中関係なども含めて、いろいろと考えさせられ
るお話です。今は、日中両方とも礼を欠く国になっちゃ
ったように思います。温故知新の精神が必要ですね。

投稿 nama3 | 2008年5月 2日 (金) 23時22分

こんばんは。

やはり上野東照宮のボタンは見事ですね。
私は今日、東松山ぼたん園へ行って来ました。
入場料を払って園内に入った途端に曇ってしまいました。
その上、花は9割方終わっていました・・・orz

投稿 ZEISS | 2008年5月 4日 (日) 21時45分

k-masa77さん、こんにちは。
遣唐使達の犠牲が無ければ平安時代の日本文化の発展はなかったでしょうね。それほど大事な国家的な事業だったのですね。

投稿 シゲ | 2008年5月 6日 (火) 15時35分

たっちょんさん、こんにちは。
今回は野尻湖に3泊しか出来ませんでした。残念ながら高田まで足を延ばせませんでした。残念でした。

投稿 シゲ | 2008年5月 6日 (火) 15時37分

nama3さん、こんにちは。
弁天様の屋根も望遠で引き寄せると面白いですね。バックのビル街も入れてみました。
平安時代の中国は日本にとって大先輩ですよ。

投稿 シゲ | 2008年5月 6日 (火) 15時39分

ZEISSさん、こんにちは。
今年の牡丹は少し早いのでしょうか!5/4で東松山がそんな感じでしたか?!

投稿 シゲ | 2008年5月 6日 (火) 15時40分

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