武蔵丘陵森林公園 ルピナス
関東は今朝は冷たい雨が降っています。梅雨に入ったようによく降りますね。最近は昔のような梅雨の雨の降り方ではありませんね。男性的と言うか、嵐のような降り方ですね。昔の様な小ぬか雨が懐かしいです。
5月21日に埼玉県滑川町の国営「武蔵丘陵森林公園」へ行ってきました。6万株のルピナスが咲き出していました。晴天の中でルピナスは森の間に咲いていて、木立の影がルピナスの花にかかり明暗の対比が強すぎてデジカメには不得意な状態でした。昨年は薄曇でしたので光が良く回って綺麗に撮れたのですが、今年は残念ながら天気が良すぎました。車は中央口の駐車場が便利です。とにかく広大な面積を誇る公園ですので入場口を間違えると大変な事になります。ポピーも咲いているはずですが時間がなくて回れませんでした。ルピナスは6月8日まで公開されるようで8日以降はコリウスに植え替えられます。公園のHPによると現在は大分ハナガラが目立ってきて盛りは過ぎたようです。最後から2枚目はユリノキの花です。少し小ぶりですね。
この公園は一時昭和天皇の御陵の候補地の一つでした。宮内庁から内々の話があり視察名目で天皇陛下自身も様子を見にこられました。しかし森林公園はとにかく鉄道の便が悪く、当時の公園は今のように整備もほとんどされていなくて森林と野原だけの広すぎる公園でした。やはり八王子市の武蔵野陵(みささぎ)で良かったと思います。
昭和天皇の歌を三首。
☆ 身はいかに なるともいくさ とどめけり
ただたふれゆく 民をおもいて
☆ 戦を とどめえざりし くちおしさ
ななそぢになる 今もなほおもふ
☆ この年の この日にもまた 靖国の
みやしろのことに うれひはふかし
昭和天皇に戦争責任はあったかとの問題ですが、私はあったと思います。それは政治的責任とか道義的責任の議論の前に、日本国民に対する結果責任だと思います。しかし昭和天皇がいなければ終戦とそのあとの戦後の日本は大変なことになっていたのも事実です。マッカーサー回想録によれば昭和天皇がはじめて連合軍総司令官マッカサーを訪問した時に昭和天皇は「私は国民が戦争遂行にあたり行なった全行為に対する全責任を負う者として、私自身を貴方の代表する諸国の裁定に委ねたくお訪ねした」と述べたとあります。それに対しマッカーサーは、「私は大きな感動に揺さぶれた。死を伴うほどの責任、明らかに天皇が負うべきでない責任まで引き受けようとするこの勇気に満ちた態度は、私の骨の髄まで揺り動かした」と記されています。昭和天皇の1番目と2番目の歌は天皇の本心だと思います。昭和天皇は靖国神社へのA級戦犯の合祀には最後まで反対でした。最後の和歌で明らかに反対と分かるように詠っています。しかし、国民の象徴としての立場からは公な発言は一切しませんでした。ただ、昭和天皇はA級戦犯の合祀からは一度も靖国神社へは参拝しませんでした。左派であった私の父も昭和天皇を敬愛していました。昔、入江侍従長から父に電話があり「陛下がお前さんのこと元気かと侍従に聞くんだって!」「ウヘェ~!」「違うんだってば、ウナギが食いたいんだってさ。お前さんイコール鰻なんだよ。献立はずっと前から決まっているから簡単には変えられないんだ。鰻が大好きなんだけど鰻を食いたいとは言えないんだよ。我慢強い人だから嫌いなものでも黙って食べているが、俺達は好きなもの食えるから良いよな!今度ゴルフの帰りに川越で鰻を食うか寿司を食うか・・・」確か父と入江侍従長は霞ヶ関カントリーでのゴルフの帰りに川越で鰻を一緒に食べに行ったと思います。父の霞への入会の保証人の一人は入江侍従長でした。
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