北鎌倉 東慶寺
3月26日は円覚寺から東慶寺へ回りました。東慶寺は縁切り寺・駆け込み寺として有名で、後醍醐天皇の皇女が5世住職として入山してからは松ヶ岡御所と称されていました。20世住職として大阪城落城後に徳川家康の命令で豊臣秀頼の娘が入山しました。江戸時代は女性から離婚の申し立てはできませんでしたが、江戸幕府公認の駆け込み寺に逃げ込めば、3年間を東慶寺で修業すれば離婚ができました。同じような江戸幕府公認の縁切り寺は群馬県太田市の満徳寺です。満徳寺は徳川家康の祖先である義季の娘を祖として開かれました。普通は駆け込まれると寺院側は夫婦両者と関係者及び町役人等を呼び出し離婚の調停をします。話し合いで離婚が成立するとその場で夫は三行半(みくだりはん<離婚状>)を書いて、その場で離婚が成立します。内済離縁ですね。しかし話し合いの結果元の鞘に収まる場合の方が多かったようです。一方、夫側が離婚に不同意の場合は女房は3年間東慶寺で修業後離婚成立となります。これは寺法離縁です。なお東慶寺は2回は駆け込むことが許されていましたが、満徳寺は1回だけでした。この離婚方法は明治4年に明治政府により禁止されるまで続きました。その後は明治政府の「人民自由の権利」により裁判所で女性から離婚申し立ての法手続きが行われることになりました。
今日は、ほとんどの法人の決算末ですね。会社にとって一番忙しい時期になります。明日から新年度。色々物価も税金も保険料も上がります。所得は上がりそうもありません。物価対策も政府は全く動きません・動けません。国会や役所で正常に機能している組織は現在の日本にはあるのでしょうか!みんなが機能していないのに我々が生活ができるのは何ででしょうね?そこが日本の素晴らしさかもしれません!
古今集から紀有朋(きのありとも)の歌。
さくら色に
衣はふかく
そめてきむ
花のちりなむ
のちのかたみに
(意)衣は桜の色に深く染めて着よう。花が散ってしまったあとにその桜の花を思い出すために。
紀有朋は紀友則の父親で、紀貫之の叔父です。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (1)


































































































































































































