2月23日に伊東市の天城東急リゾート内の天城高原ベゴニアガーデンへ行ってきました。この日は大荒れの天気で、雷が鳴ったり大雨が降ったりして体が飛ばされそうな風が伊豆でも吹きました。天城東急リゾートまでの道は大雪が積もっていて暫らくの間ノーマルタイヤは交通止めだったようです。
光孝(こうこう)天皇の歌を古今集から、百人一首にも選ばれています。
君がため
春の野にいでて
若菜つむ
わが衣手に
雪はふりつつ
(意)あなたに捧げようと、春の野に出て若菜を摘む私の袖に、雪はしきりと降っている。
詞書に「仁和のみかど、みこにおましましける時に、人に若菜たまひける御うた」とあります。仁和の帝とは光孝天皇の通称です。みこにおましますとは天皇位に着く前に親王だった時との意味です。
第57代陽成天皇は以前ブログにも書きましたが、色々な事情により譲位をし、皇統は陽成天皇の大叔父であった時康親王(光孝天皇)に移りました。男系の男子に限るとのことで大叔父に皇統は受け継がれました。昔から天皇位はこのようにして男系だけに受け継がれてきました。
現天皇は、119代の光格天皇の系統に連なるのですが、そもそもこの光格天皇が、傍系中の「傍系」と言われていた皇子でした。皇室本流である118代の後桃園天皇に男子がなく、系統が断絶したとき、後継者に閑院宮家の第6皇子であった祐宮(さちのみや)を連れて来たのです。その皇子がのちの光格天皇となりました。光格天皇と後桃園天皇は7等親も離れていたそうです。いわばほとんど他人のような関係だったのです。彼は「閑院宮家」を継承することもできず、他の兄たちは出家して門跡寺院に送られていました。まだ祐宮は9歳で聖護院の仏門に入る前だったので「白羽の矢」が立ったのでした。光格天皇以降の天皇は直系で、仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇→大正天皇→昭和天皇と続いて、今上天皇(現天皇)に至ります。つまりはっきり言ってしまえば、現在の皇室は「傍系」の家柄で、戦後に廃された「11宮家」の方が実は「本流?」に近い家柄なのです。光格天皇はそれまでの天皇は地名などをつけた院号で呼ばれていましたが、光格天皇は天皇号を63代冷泉天皇から118代後桃園天皇まで失われていた天皇号を約900年ぶりに、そして諡号(しごう)の復活の両方とも徳川幕府との交渉の結果勝ち取りました。天皇号は第63代冷泉天皇以降の天皇号は存在していなかったのです。江戸時代、天皇のことは通常「主上」「禁裏」などと称していて、そもそも「天皇」とは馴染みのない呼称でした。「光格天皇」との称号は、崩御後に贈られたものではありますが、それ以前は○○院と院号で呼んでいました。現在は昭和の時代の天皇は亡くなった時に昭和天皇と呼ばれ、生存中は昭和天皇とは呼びません。今の天皇が亡くなれば平成天皇と呼ばれることになります。皆さん天皇号の事を良く知らなかったと思います。光格天皇は徳川幕府に対し様々の申し入れをして、それを受け入れさせました。例えば天明の大飢饉のときには幕府に申し入れ御救い米を庶民に配らせ、またロシアの軍艦の来襲時には幕府は初めて積極的に事態の進展を朝廷に報告をすることとなりました。また、数百年間中断していた朝廷と石清水八幡宮と加茂神社の臨時祭の再興を果たしました。これらの積極的な動きによって「国土と国民は天皇が将軍に預けたものであって、将軍の私有物ではない」との考え方が学者や思想家の間に強く流れるようになり、幕末の大政奉還にまで影響を与えたのです。つまり明治維新の基を作った天皇とも言えると思います。その前に老中首座・松平定信は、天明8(1788)年に当時16歳の将軍・徳川家斉に対して「将軍家御心得十五カ条」を書いて、同様の主張をしています。
天皇の読み方は「てんのう」ですが、これは呉音です。漢音だと「てんこう」と発音するのです。大和言葉だと「すめらみこと」です。奈良時代は中国や朝鮮から次々に言葉と漢字が入ってきた時代でした。旧来の大和言葉に中国の南の呉音(三国志の呉国の発音)が最初に入ってきたと思われます。その後に漢音が入ってきました。京都に平安京を定めた桓武天皇は何度も漢音を使えと詔令を出していますが天皇の読み方だけは呉音です。ここに何時から天皇の呼び方が定まったかの謎を解く一つがあるかもしれません。日本に最初に漢字を伝えたのは、百済国と言われていますが、百済は朝鮮半島の南西部の黄海に面しており、中国との交流は、もっぱら当時の文化の中心であった南朝(江南地域)と盛んに行っており、百済の漢字音も、この地域の言語「呉音」をもとにしていました。日本には、6世紀に百済から仏教が伝来しましたが、当然漢訳の教典も「呉音」によって読み下していたようです。しかし隋・唐の統一王朝の出現により北朝の漢音が中国との交流により日本に入るようになりました。そのほかに、後に宋音(唐音)と呼ばれる宋の発音も禅宗や交易により日本に入って来ました。「明」は呉音では「みょう」漢音では「めい」宋音では「みん」と発音しました。みんな今でも使っていますね。これは何でも受け入れて自分のものとしてしまう日本人の特性かも知れません。面白い事に平成13年12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において今生天皇は、翌年のサッカーワールドカップ共催に際してのコメントの一部で、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」との発言を行いました。
また話が大飛躍して脱線してしまいました!