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2008年2月

2008年2月29日 (金)

湯河原梅林

2月25日に神奈川県湯河原町の湯河原梅林(幕山公園)へ行ってきました。インターネットでは5分咲きと記載され、現地にも5分咲きとの看板がでていました。2月17日の熱海梅園の咲き具合が、かなり遅れていましたので本当かなと思いながら行きましたが、やはり2分咲き程度でした。満開になると本当に素晴らしい梅林ですが、今年は来週半ばあたりが見頃でしょうね。湯河原梅林は幕山公園の中に梅が植えられていて、毎年のように本数が増えてきています。程よい急傾斜がありますので写真を撮るには良い所だと思います。レンズは広角から超望遠まで使えます。駐車場や道路の問題もあるので朝早く行かれると良いと思います。この辺りの梅は最初に熱海梅園が咲いて次が修善寺梅林その次が湯河原梅林と咲いてきます。我が家の愛犬パピオンの♂ルイ君♀マリアンちゃんも梅見でした。ルイ君は歩くのを嫌がって抱っこで、マリアンちゃんは曳き綱を引っ張ながらの観梅でした。オリンパスE-3のオリンパスブルーが綺麗に出ました。

後拾遺集から藤原顕綱(ふじわらのあきつな)の歌。

      むめの花

    かばかりにほふ

      春の夜の

    やみは風こそ

    うれしかりけれ

(意)夜の梅の花は、姿は見えず、香ばかりが匂う。何と良い匂いなのだろうか!こんな春の闇夜は、風の吹くのが嬉しい。

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2008年2月28日 (木)

ベゴニアガーデン1

2月23日に伊東市の天城東急リゾート内の天城高原ベゴニアガーデンへ行ってきました。この日は大荒れの天気で、雷が鳴ったり大雨が降ったりして体が飛ばされそうな風が伊豆でも吹きました。天城東急リゾートまでの道は大雪が積もっていて暫らくの間ノーマルタイヤは交通止めだったようです。

光孝(こうこう)天皇の歌を古今集から、百人一首にも選ばれています。

      君がため

    春の野にいでて

      若菜つむ

    わが衣手に

    雪はふりつつ

(意)あなたに捧げようと、春の野に出て若菜を摘む私の袖に、雪はしきりと降っている。

詞書に「仁和のみかど、みこにおましましける時に、人に若菜たまひける御うた」とあります。仁和の帝とは光孝天皇の通称です。みこにおましますとは天皇位に着く前に親王だった時との意味です。

第57代陽成天皇は以前ブログにも書きましたが、色々な事情により譲位をし、皇統は陽成天皇の大叔父であった時康親王(光孝天皇)に移りました。男系の男子に限るとのことで大叔父に皇統は受け継がれました。昔から天皇位はこのようにして男系だけに受け継がれてきました。

現天皇は、119代の光格天皇の系統に連なるのですが、そもそもこの光格天皇が、傍系中の「傍系」と言われていた皇子でした。皇室本流である118代の後桃園天皇に男子がなく、系統が断絶したとき、後継者に閑院宮家の第6皇子であった祐宮(さちのみや)を連れて来たのです。その皇子がのちの光格天皇となりました。光格天皇と後桃園天皇は7等親も離れていたそうです。いわばほとんど他人のような関係だったのです。彼は「閑院宮家」を継承することもできず、他の兄たちは出家して門跡寺院に送られていました。まだ祐宮は9歳で聖護院の仏門に入る前だったので「白羽の矢」が立ったのでした。光格天皇以降の天皇は直系で、仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇→大正天皇→昭和天皇と続いて、今上天皇(現天皇)に至ります。つまりはっきり言ってしまえば、現在の皇室は「傍系」の家柄で、戦後に廃された「11宮家」の方が実は「本流?」に近い家柄なのです。光格天皇はそれまでの天皇は地名などをつけた院号で呼ばれていましたが、光格天皇は天皇号を63代冷泉天皇から118代後桃園天皇まで失われていた天皇号を約900年ぶりに、そして諡号(しごう)の復活の両方とも徳川幕府との交渉の結果勝ち取りました。天皇号は第63代冷泉天皇以降の天皇号は存在していなかったのです。江戸時代、天皇のことは通常「主上」「禁裏」などと称していて、そもそも「天皇」とは馴染みのない呼称でした。「光格天皇」との称号は、崩御後に贈られたものではありますが、それ以前は○○院と院号で呼んでいました。現在は昭和の時代の天皇は亡くなった時に昭和天皇と呼ばれ、生存中は昭和天皇とは呼びません。今の天皇が亡くなれば平成天皇と呼ばれることになります。皆さん天皇号の事を良く知らなかったと思います。光格天皇は徳川幕府に対し様々の申し入れをして、それを受け入れさせました。例えば天明の大飢饉のときには幕府に申し入れ御救い米を庶民に配らせ、またロシアの軍艦の来襲時には幕府は初めて積極的に事態の進展を朝廷に報告をすることとなりました。また、数百年間中断していた朝廷と石清水八幡宮と加茂神社の臨時祭の再興を果たしました。これらの積極的な動きによって「国土と国民は天皇が将軍に預けたものであって、将軍の私有物ではない」との考え方が学者や思想家の間に強く流れるようになり、幕末の大政奉還にまで影響を与えたのです。つまり明治維新の基を作った天皇とも言えると思います。その前に老中首座・松平定信は、天明8(1788)年に当時16歳の将軍・徳川家斉に対して「将軍家御心得十五カ条」を書いて、同様の主張をしています。

天皇の読み方は「てんのう」ですが、これは呉音です。漢音だと「てんこう」と発音するのです。大和言葉だと「すめらみこと」です。奈良時代は中国や朝鮮から次々に言葉と漢字が入ってきた時代でした。旧来の大和言葉に中国の南の呉音(三国志の呉国の発音)が最初に入ってきたと思われます。その後に漢音が入ってきました。京都に平安京を定めた桓武天皇は何度も漢音を使えと詔令を出していますが天皇の読み方だけは呉音です。ここに何時から天皇の呼び方が定まったかの謎を解く一つがあるかもしれません。日本に最初に漢字を伝えたのは、百済国と言われていますが、百済は朝鮮半島の南西部の黄海に面しており、中国との交流は、もっぱら当時の文化の中心であった南朝(江南地域)と盛んに行っており、百済の漢字音も、この地域の言語「呉音」をもとにしていました。日本には、6世紀に百済から仏教が伝来しましたが、当然漢訳の教典も「呉音」によって読み下していたようです。しかし隋・唐の統一王朝の出現により北朝の漢音が中国との交流により日本に入るようになりました。そのほかに、後に宋音(唐音)と呼ばれる宋の発音も禅宗や交易により日本に入って来ました。「明」は呉音では「みょう」漢音では「めい」宋音では「みん」と発音しました。みんな今でも使っていますね。これは何でも受け入れて自分のものとしてしまう日本人の特性かも知れません。面白い事に平成13年12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において今生天皇は、翌年のサッカーワールドカップ共催に際してのコメントの一部で、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」との発言を行いました。

また話が大飛躍して脱線してしまいました!

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2008年2月27日 (水)

熱海梅園1

2月17日熱海梅園へ行ってきました。早朝に熱海梅園の駐車場がオープンする前に行きましたので観光客も少なくて良かったです。熱海の梅園はかなりの早咲きの梅もありますが、今年はここも開花が遅れていました。例年のこの時期はもっと早咲きの梅が咲き揃っているのですが!最後から3枚目は園外に咲く熱海桜です。今年は熱海の桜の開花も遅れているようです。熱海桜は梅よりも早咲くと言われている寒桜です。

新古今集から藤原家隆の歌。

      梅が香に

    昔をとへば

      春の月

    こたへぬ影ぞ

    袖にうつれる

(意)梅の香に遠い記憶を呼びさまされ、春の月に向かって昔の人のことを尋ねてみたが、答えてはくれず、私の袖に月明かりを映してきた。

良い歌ですね!さすが新古今集の撰者の一人に選ばれた家隆です。古今著聞集(鎌倉時代中期に橘成季によって編纂された説話集。今昔物語・宇治拾遺集と日本三大説話集の一つです。)によれば後鳥羽院が「家隆は末代の人丸にて候ふなり。彼が歌をまなばせ給ふべし」と九条良経に言ったそうです。人丸とは万葉歌人の柿本人麻呂のことです。

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2008年2月26日 (火)

河津桜と菜の花

2月24日に静岡県河津町の河津桜を再び撮りに行ってきました。1週間前とはかなり河津桜の花の咲き方が違ってきていて、かなり咲き進んできていました。海岸に近いところは8分咲きぐらいでしたが山に近いところは3分咲きぐらいでした。菜の花が咲き出していました。1週間前はまだ菜の花が咲き出したばかりでしたがやっと写真になるぐらいに咲いてきました。見頃はそろそろでしょうか!今週の半ばから週末あたりが一番綺麗かも知れません。人出は大変な人でした。お勧めの撮影ポイントは海岸沿いの国道の橋の上から川に映る菜の花と河津桜を入れて撮ると最高です。今回はこの場所へ行きませんでした。意外と対岸から撮るのも良いと思います。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mm&50mmマクロ+ソフトフィールターです。

24日の関東は大風だったようですが、伊豆は少し風が強かった程度でした。23日は昼過ぎから前線の通過で雷が鳴ったりして大荒れでした。伊豆高原の大室山の山焼きはまた延期のようです。今年はかなり異常な気候です。昨日は帰りがけに湯河原梅林の幕山公園へ行って来ましたが、公称5分咲きと言っていましたが実際は2分も咲いていませんでした。湯河原の梅も10日以上遅れていますね。南伊豆町の青野川沿いの「みなみの桜」と「菜の花」も綺麗になってきているようです。やはり河津の桜と同種類の桜ですので開花がかなり遅れています。今週が見頃です。南伊豆の桜の方が人出が少ないです。

古今集から読み人知らずの歌。

      春の色の

    いたりいたらぬ

      里はあらじ

    咲ける咲かざる

    花の見ゆらむ

(意)春の気配が及んだり、及ばなかったりする里などなく、おしなべて春はやって来るのに、なぜ咲いている花と咲いていない花があるのだろうか。

「いたりいたらぬ」と「咲ける咲かざる」が良いですね!

今日は昭和史の上で重要な2.26事件の起きた日です。もう少し2.26事件を掘り下げたいと思っていたのですが時間がなかなか取れずに不完全燃焼でした。調べれば調べるほど不思議な理解不能の事が出てきます。今後少しづつブログに載せたいと思っています。

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2008年2月25日 (月)

修善寺梅林

2月16日に修善寺梅林へ行ってきました。梅の咲き具合はかなり遅れています。蕾だけの梅の木が多く、良い所だけ切り撮りました。ここも今年は寒かったようです。オリンパスのE-3は素晴らしいカメラですが、オリンパスブルーの色の出方がよく分かりません。時々以前のオリンパスのカメラのように綺麗に出るのですが、時々・・・・!

古今集から紀貫之の歌。百人一首にも選ばれています。

      人はいさ

     心も知らず

       ふるさとは

     花ぞ昔の

     香に匂ひける

(意)あなたの心はどうかわかりませんが、この懐かしい馴染みの場所の梅の花は昔どおりに香っています。

詞書に「初瀬の寺に参詣するたび宿を借りていた人の家に、長いこと宿らず、時を経て後に訪れたので、その家の主人がこのように確かにあなたの宿はあるのにと中から言って来ましたので、そこに立っていた梅の花を折って詠んだ歌」とあります。貫之集にはこの歌の相手からの返歌として「花だにも おなじ心に 咲くものを 植ゑたる人の 心しらなん」(花でさえ昔と同じ心で咲くというのに、ましてやその木を植え育てた人の心が変ることなどあろうことか。私の心を知ってほしい)とあります。貫之の歌の相手は男性か女性か昔から意見が分かれていますが、百人一首だけでは分かりません。しかし貫之集を見れば、この歌の相手は当然誰だか分かりませんが明らかに女性です。それにしても藤原定家が何でこの歌を百人一首に選んだのか、非常に疑問です。この歌も素晴らしい歌だとは思いますが、もっと素晴らしい歌が貫之には沢山あると思います。初瀬の寺は長谷寺のことです。

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2008年2月24日 (日)

新宿御苑の早春2

2月14日の新宿御苑です。まだもう少し撮っていたかったのですが閉園のアナウスに追われるように撮影を終わらせました。新宿御苑の門から新宿駅に向かって歩き出した時、良いものを見ました。それは若いカップルの前に風に吹き流されたコーヒーの空き缶が転がって来ました。男性がヒョイと身を屈めてその空き缶を拾って手に持って歩いて行きました。女性が駅まで行かないとゴミ箱がないよと言っていましたが、男性は良いの良いのと言って空き缶を持って歩き去って行きました。今の若い奴も結構やるじゃないかと思いましたよ。このような若者がいればまだ日本も大丈夫だと思いました。

新古今集から

☆藤原定頼の梅に添えて大弐三位へ送った歌。

      来ぬ人に

    よそへて見つる

      梅の花

    ちりなん後の

    なぐさめぞなき

(意)花の香に、いつまで待っても来てくれない人を偲びながら、我が家の梅を眺めていました。花が散ってしまったら、後はもう何も慰めがありません。その前に是非お会いしたいのです。

☆大弐三位の返しの歌。

      春ごとに

    心をしむる

      花の枝(え)

    誰(た)がなほざりの

    袖かふれつる

(意)春が来るたび、あなたの家の梅の花を心待ちにしていました。その枝に、誰か他の女性に袖が触れてしまった移り香がします。私みたいに深い思い込みもなく、いい加減な気持で他の人に・・・。

さて、この恋はどうなったのでしょうね?この歌を詠った頃は定頼は権中納言でした。亡くなる前には正二位権大納言になりました。大弐三位は源氏物語を書いた紫式部の娘です。太宰大弐の高階成章の妻となり上東門院に仕え、後冷泉天皇の乳母になり従三位典侍となりましたので大弐三位と呼ばれました。つまり簡単に言えば不倫ですね!当時は高級貴族間の恋愛には不倫という言葉が有ったのでしょうか、はなはだ疑問です。

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2008年2月23日 (土)

小石川後楽園の早春2

2月14日の小石川後楽園です。紅梅と白梅の微妙な組み合わせが逆光の中で光り輝いているようです。梅も綺麗ですが早春の庭も良い雰囲気です。

古今集から凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)の歌。

      春の夜の

    闇はあやなし

      梅の花

    色こそみえね

    香やはかくるる

(意)春の夜の闇はおかしなことをする。梅の花は、その色は確かに見えないけれども、香は隠れたりするものか。見せまいといくら隠したところで、ありかは知られてしまうのだ。

凡河内躬恒は河内国の国造の家の出でした。位は低かったのですが古今集の撰者の一人で古今集には紀貫之の99首に次ぎ60首の歌が入集しています。紀貫之との間は歌友達として深い友情で結ばれていました。二人とも素晴らしい歌詠みで、後世の人々に大きな影響を与えました。私の大好きな歌詠みの一人です。

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2008年2月22日 (金)

河津の河津桜

2月16日伊豆の河津町の河津桜を撮りに行ってきました。今年の河津桜の開花は非常に遅れています。河原の菜の花もチラホラの状態で桜の咲き具合は全体で2~3分咲きでした。今年の伊豆半島は雪が多く天城は北国の山のような積雪でした。伊豆スカイラインの終点の料金所辺りでは先日積雪が50センチ程になったそうで地元の人によると異常な降り方だったそうです。三原山の山頂も雪に覆われていました。ごく稀に三原山にも雪が降るのですが翌日には溶けてしまうものなのです。今年はなかなか溶けないそうです。河津町も普段めったに雪が降らない場所ですが、桜の開花前に桜の咲く地域だけ3センチの積雪が有ったようで、桜の開花が遅れたそうです。

河津桜は寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種で、咲き始めは非常に濃いピンク色をしていますが、満開時はピンク色、それからだんだん色あせて散って行きます。ただ満開から散り始めるまでの期間がソメイヨシノなどに比べると非常に長く、それだけ桜を楽しめる期間も長く続きます。桜の情報は下記の河津町役場のHPを参照してください。

http://www.town.kawazu.shizuoka.jp/kankou/now/sakuranituite.htm

河津桜は少々派手な色の桜ですが、綺麗な桜です。私は個人的には大島桜が好きです。満開まで真白に咲き、満開を過ぎると花の芯がピンク色に変わってきます。伊豆半島は大島桜が多い所です。桜餅の桜の葉の生産地です。

新古今集から式子内親王の歌。

      いま桜

    さきぬと見えて

      うすぐもり

    春にかすめる

    世のけしきかな

(意)まさに今桜が咲いたと見え、空は薄曇りで春らしく霞んでいる世のありさまであるよ。

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