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2008年1月

2008年1月31日 (木)

上野東照宮ぼたん苑冬牡丹1

1月27日の今年3回目の上野東照宮ぼたん苑です。1月は7日10日と行ってきましたが、今回は一段と艶やかになってきたように感じます。特にピンク色の牡丹が増えたように思います。入り口の少し手前でカラス2羽が喧嘩をしていました。まさにレスリング。上になっているカラスは喧嘩上手で相手の攻撃の武器である嘴を足で押さえ込んでいます。勝負は決まってしまっているのですが、なかなか許さないで嘴で攻撃していました。

後撰集から

☆中務(なかつかさ)の歌。

     はかなくて

   同じ心に

     なりにしを

   思ふがごとは

   思ふらんやぞ

(意)たよりない気持のままで、あなたと心を一つにしましたが、私が思っているほど、あなたは私を思ってくれているのでしょうか。

☆源信明の返歌。

     わびしさを

   同じ心と

     きくからに

   我が身をすてて

   君ぞかなしき

(意)切ない気持ちでいることは、貴方も私も「同じ心」なのですね。そう聞きましたからには、我が身などがどうなろうと、ただ貴方のことが愛しくてなりません。

中務は有名な女流歌人である伊勢の娘で父親は中務卿であった敦慶(あつよし)親王です。中務は多数の恋人浮名を流しましたが、最後は源信明(さねあきら)と夫婦になりました。娘は後に太政大臣となった藤原伊尹(これまさ)(死後に謙徳公の諡を賜わる)に嫁ぎました。この歌は初めて二人が枕を交わした後での後朝の別れの歌です。女性から男性に贈る事もあったのですね。しかし、いい歌ですね!

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2008年1月30日 (水)

宇都宮での新年会 懐石ひらいで

1月26日に宇都宮の知人達と新年会で栃木県宇都宮市下金井町の「懐石ひらいで」(☎028-666-3090)で懐石料理を食べてきました。店主の平出さんは東京築地の「つきぢ田村」で14年間も修行をして副料理長を経て、銀座「松鶴」で料理長を勤めた方で、本格的な懐石料理を食べさせてくれる貴重なお店です。仕込みは手抜きをしないで1週間もかけて仕込んでいくそうです。ここまで来ると芸術ですね。今まで何度かここのお店で食事をしていますが裏切られてことは一度もありません。素晴らしい料理でした。日本酒は宇都宮の地酒「四季桜」の熱燗でした。やはりその土地の地酒は空気に合っていますね!

拾遺集から藤原為頼の歌。

     もちながら

   千世をめぐらん

     さか月の

   清き光は

   さしもかけなん

(意)月は満月のまま千年も大空を巡り、清い光を射しかけることでしょう。お酒は手から手へ、盃(月)が皆の間を巡り、夜の空を(盃)月が巡るでしょう。

カメラはリコーのカプリオR4です。ファインダーが無いので撮りずらいですね。そもそも料理を撮るのは初めての体験でした。難しいですね。写真を撮るより先にお箸が出てしまいます。

献立

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祝付

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前菜

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造里

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焼物

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酢物

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中皿

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煮物

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香 止

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水物

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甘味

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おうす茶

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2008年1月29日 (火)

渡良瀬遊水地の夕景

1月25日の夕方に渡良瀬遊水地へ行ってきました。当然朝焼けとは反対の方向になります。最初の3枚は渡良瀬の堤外の渡良瀬遊水地に近接する沼の海老瀬です。最後の5枚は利根川の支流の谷田川です。朝霧もよく湧く川です。

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2008年1月28日 (月)

見沼グリーンセンター

1月18日のさいたま市市民の森見沼グリーンセンターの温室とリスの家と園内の蝋梅です。

後拾遺集から藤原家経の歌。

     春は花

   秋は月にと

     ちぎりつつ

   今日を別れと

   思はざりける

(意)春には花を、秋には月を一緒に眺めようと約束して、その季節になるのを楽しみにしていたのに。約束を果たさないまま、今日が別れの日になるとは、思いもしなかったよ。

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2008年1月27日 (日)

那須烏山市 太平寺

1月19日に那須烏山市滝の太平寺へ行ってきました。ここは有名な龍門の滝の至近距離ににあるお寺です。寺伝によれば、803年(延暦22年)坂上田村麻呂が蝦夷征討の際、戦勝を祈願して一寺を創建して千手観音を安置したのが寺の始まり言われています。848年に慈覚大師円仁が再興したので、円仁の開基した寺と言われています。中世は烏山城主であった那須氏がこの寺を篤く信仰して保護し、度々堂宇の修復を行っています。1585年(天正13年)には、大関高増・那須資晴が千本資俊・隆継父子をこの寺におびき出し、謀殺した事でも有名です。太平寺の境内には、川口松太郎の小説「蛇姫様」のモデルとなった「お六姫」の墓があります。史実では、1627年(寛文4年)堀親良が真岡から烏山城主として転封して来ますが、親良には、側室の子「お六姫」(別名於志賀)と言う美人の娘がいました。この姫は、家老堀新左衛門の長男左近に嫁ぎますが、左近は父新左衛門の後妻と通じてお六姫に辛く当たり、更に新左衛門と密通しているとの無実の罪を着せて虐待します。そこで、姫は事実無根の誓文を遺書として残して自害しました。伝説では、姫の自害後、邸の床下に一匹の白蛇が棲んでいたため、里人が姫の化身と信じて、「蛇姫様」と呼ぶようになったとの事です。川口松太郎の小説は、このお六姫の話とその後城主となった大久保氏のお家騒動などを織り交ぜて構成されたものです。山門に吊るされている大草鞋は足腰を丈夫にするように祈願したものだそうです。

この寺院を再興した慈覚大師円仁は栃木県壬生(みぶ)町の出身で地方豪族の壬生氏の生まれで、最初は栃木県岩船町の大慈寺で修行をしました。以前、大慈寺をブログで取り上げたことがありありますが・・・

http://0328-syasindaisuki.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_e671.html

円仁は第三代天台座主でした。864年に亡くなりましたが、866年に師の最澄と一緒に我が国最初の大師号を朝廷から貰いました。最澄は伝教大師・円仁は慈覚大師です。空海は921年に弘法大師を朝廷から貰いました。中国の唐の国で仏教を勉強して無事に帰国できた入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人です。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるそうです。円仁は在唐9年半で帰国することが出来ました。唐の滞在中も帰国の船の手配も唐に滞在していた多くの新羅人達が助けてくれました。また日本で最初に書かれたと言われる旅行記「入唐求法巡礼行記」を書き残しました。元駐日アメリカ大使であったライシャワー氏は玄奘の『大唐西域記』、マルコポーロの『東方見聞録』、円仁の『入唐求法巡礼行記』を世界の三大旅行記とし、円仁の旅行記はその中でも抜きんでていると述べています。円仁の出身氏族は京都の公家小槻氏の流れをくむ壬生氏が下野国に下ってきて壬生の地に土着したようです。意外と壬生氏は新羅からの移民かもしれませんね!遣唐使と別れて不法在留者となった円仁を助けるために唐国内の各地に住む新羅人たちは命がけで助けたようです。失敗はしましたが新羅人たちがお金を出し合って円仁のために船を建造しようとしたりしました。また帰国の時も新羅人の船に乗れるように手配をしてくれたのも新羅人たちでした。円仁は90日間かけて朝鮮半島沿いを日本に向かって航海して唐から博多の鴻臚館に帰り着くことが出来ました。朝廷は円仁を送ってきた新羅人たちに十分な報酬を与えるように大宰府に対し太政官符(太政官から諸司・諸国へ発布した命令書)を発給しました。平安初期以前に日本へ渡ってきた朝鮮からの移住者達は大和言葉と出身国の言葉の両方を使っていたのかもしれませんね。万葉集には大和言葉では解明できないが朝鮮語で解釈すると全く意味の違ってしまう歌があるそうです。面白いことに飛鳥時代など大和朝廷に使節として来た朝鮮の人達は朝廷内で言葉では困らなかった様なのです。通訳など必要なかったのですね。大和朝廷自体が朝鮮から来たからなのでしょうか!朝鮮に「新羅郷歌」と言われる歌が最古の歌集として25首残っているそうです。日本の万葉集と同じ様に古代朝鮮語が漢字で書かれているようです。今後、新たに新羅の古い歌集が発見されれば日本と朝鮮の関係が一層はっきりとしてくると思います。円仁は日本語・中国語・朝鮮語の三ヶ国語を自由に話せていたそうです。

また話が飛んでしまいましたが、歴史は面白いです。

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2008年1月26日 (土)

星野の里

1月19日に栃木県栃木市の星野の里へ行ってきました。蝋梅が7分咲きでした。来月になると福寿草や節分草が咲き出します。

使用カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mm&シグマ30mm+ソフトフィールターです。シグマ30mmF1.4はスナップ等に良いレンズですが少々ボケ味が不思議な感じになります。

古今集から壬生忠岑の歌。

     春きぬと

    人は言へども

      うぐひすの

    鳴かぬかぎりは

    あらじとぞ思ふ

(意)春が来たと世間の人は言うけれども、鶯が鳴かないうちは、まだ春ではあるまいと私は思いますよ。

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2008年1月25日 (金)

埼玉洋らん展2

1月18日の埼玉洋らん展です。

☆道元禅師の歌を傘松道詠から。

     春は花

   夏ほととぎす

     秋は月

   冬雪さえて

   冷(すず)しかりけり

(意)春は桜の花。夏は時鳥。秋は月。冬は雪が冷え冷えとしてすがすがしい。

道元は曹洞宗の開祖です。宋国に留学後に越前の大仏寺(永平寺)を開きました。この歌は執権北条時頼に呼ばれて鎌倉へ下った時に時頼の北の方に求められて詠った歌のようです。川端康成がノーベル文学賞を受賞後の記念講演でこの歌を引用し、「日本の四季」の美しさや「日本の心」を解説しました。川端康成は雪月花に象徴されるような自然美が、日本美の精神であり真髄であるとして道元禅師・明恵上人・西行・良寛の歌を例に引きました。

☆同じく川端康成の講演で引用された明恵上人の歌。

     あかあかや

   あかあかあかや

     あかあかや

   あかあかあかや

   あかあかや月

「あかあか」とは月の光の明るい事。説明のできないような素晴らしい歌ですね。月の光の明るさに感激しただけではなく、月の光の透明感と、すべての人の罪を洗い流すような清潔感にも感激したのだと思います。気持ちがストレートに出ている歌です。私はこの歌を川端康成氏のノーベル文学賞の記念講演会での話を出版した本「美しい日本の私」を読んで初めて知りました。この本はお勧めです。

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2008年1月24日 (木)

渡良瀬遊水地の朝

1月19日の早朝に渡良瀬遊水地へ行ってきました。高速道路上で空が少し明るくなってきましたが東の空は厚い雲が!今更引き返す訳にも行かず取り合えず渡良瀬遊水地へ向かって走りました。渡良瀬に近づくと少し雲が切れ始めてきたので堤防上にカメラを設置して待ちました。寒かったです!残念ながら霧は全く湧きませんでした。2枚ばかり太陽がゴーストのように葦原に写っていました。山は筑波山です。

古今集から壬生忠岑(ただみね)の歌。百人一首の歌でもあります。

     有明の

   つれなく見えし

     別れより

   あかつきばかり

   憂きものはなし

(意)有明の月の出ていたあの時、つれなく別れたあの時から、暁ほど厭わしいものはない。

藤原定家も顕昭の書き著した古今集注釈書の「古今秘注抄」に加筆して「つれなく見えし、此心にこそ侍らめ」と注している。続けて定家は「此詞のつづきはおよばず艶にをかしくもよみて侍るかな。これ程の歌一つ読み出でたらん、この世の思ひ出に侍るべし」と絶賛しているようです。「つれなく見えし」とは何なのか諸説があります。月を指すのか女を指すのか、あるいは両方を指すのか?「暁」とは夜が明けようとしている時の、空の赤い明るさを指しています。「かぎろひ」もその一種でしょう。

世界経済もこの日の天気のように曇り空から少しづつ雲が切れてきて太陽が顔を出してくれるといいのですが。少々絶望的かもしれませんね。はっきりと言えば、サブプライム問題は典型的な詐欺話です。日本のバブルと同じです。ブッシュ政権の仕掛けとも広い意味では言えるのでしょうね。やはり日本の小泉も広い意味での嘘つきでした。政治家が嘘をつくのはある程度仕方がないのでしょうが。ブッシュ・小泉は碌な事をしてこなかったのでしょう。後始末がアメリカも日本も大変です。日銀は金利が低すぎて金利政策を十分に揮えない情勢です。つまり1会戦しか戦えないのです。金利政策とは数回に分けて様子を見ながら意外性を見せながら行うものです。やはり金利を上げられる時に上げて置かなかったツケが回って来たのでしょう。厳しい話ですが日銀は長期戦に備えていま金利を下げずに上げるべきなのだと思います。長期的に見れば日銀が金利政策を揮える状況を作らないといけないと思います。そのために国民が大きく傷ついても仕方がない状況なのかもしれません。救済策は十分に取るべきでしょうが、それほどに根が深い話だと思います。国民の意思で選ばれた議員が無能と来てはもう仕方が無いのかもしれません。結果的には長い間いい加減な与党である自民党・公明党に投票し続けた大多数の国民が馬鹿だったのです。世界的な株価の暴落を受けて何も出来ない何もしない政府は要りません!やはり自民党の2世3世4世議員は生まれたときから特権階級です。若くして議員になっても苦労を知らず世間知らずなお坊ちゃん達です。こんな大変な時に不必要な道路を造り続けようなんて馬鹿な発想しか出来ないのです。ガソリンの暫定税率を環境問題とすげ変えようとする自民党と政府にはビックリしました。それならば暫定税率を道路ではなく環境問題に使えばいいのでしょう。それならば納得できます。いま景気浮揚策として一番効果があるのはガソリン暫定税率の廃止です。確かに地方は疲弊しています。そのために道路を造るのはオカシナ話です。まさに「国滅びて道路残る」です。小泉路線のエセ改革を全面否定をしないと日本は大変なことになります。地方交付税は公平な政策だったと思います。県知事がどんなに国と対立をしても公平に地方に分配されてきました。官僚と国会議員の接触を禁ずる動きがありますが、これはますます官僚の天下になることでしょう。いま参議院で野党が過半数を握っていて官僚が滅茶苦茶をしてきた事が表立ってきました。参議院の与野党逆転が無ければ年金などもウヤムヤにされたかもしれません。今までほとんどが自民党政権下でしたからね。実際は政治を動かしていたのは官僚でした。自民党は官僚との色々つるんだ話が表に立つのが恐いのでしょうね。つまり利権との癒着が暴かれるのが恐いのでしょう。何か日本が昭和の2.26事件の時と状況と似てきているように見えて仕方がありません。

来週にでも社会保険事務所に年金の申請に行ってこようかと思っています。このままだと支給年齢が伸びる可能性が非常に高くなってきたと思います。早く貰って置けば多少は金額が減りますが、支給年齢が伸びても貰い続けられるはずです。政府なんか信用しては危ないですよ!

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2008年1月23日 (水)

上野東照宮ぼたん