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2007年12月

2007年12月31日 (月)

新宿御苑の秋2

今年は皆様に大変お世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします!

今年はとにかく忙しい年でした。来年も10月頃までこの忙しさは続きます。来年はどんな年になるのでしょうか?あまり明るくなるとは思えませんね!

12月18日の新宿御苑です。水仙が綺麗に咲きだしています。来年の梅の季節まで綺麗に咲いていてくれます。来春は梅と水仙の組み合わせで写真を撮りたいですね。

新勅撰集から選子(せんしorのぶこ)内親王の歌。

     琴のねの

   春のしらべに

     きこゆれば

   霞たなびく

   空かとぞ思ふ

(意)あなたの弾く琴の音がめでたくも素晴らしい春の調べに聞こえるので、早くも霞のたなびく空かと思うのですよ。

この歌は内親王家の宰相と呼ばれた女性が主人の選子内親王へ贈った歌「琴のねを春のしらべとひくからにかすみて見ゆる空目なるらん」(まだ歳末ではありますが琴の音を春の調べとして弾くので、ぼんやりとした目には空も霞んで見えるのでしょうか)の返歌です。選子内親王は五代の天皇の斎宮として56年間も伊勢神宮に奉仕しました。それゆえ大斎院と呼ばれました。当時の超一流の文化人だった口うるさい紫式部も清少納言も選子内親王の斎院の御所の風雅さのただようサロンを認めていました。当時は中宮定子のサロンに次ぐ格式を持っていました。

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2007年12月30日 (日)

小石川植物園の秋3

12月8日の小石川植物園です.

新古今集から藤原俊成女の歌。

     とふ人も

   嵐吹きそふ

     秋はきて

   木の葉にうづむ

   宿の道芝

(意)もう訪ねてくる人もあるまいと、そう思わせるような山風が吹きつける秋が来て、我が家への道の雑草は落葉に埋もれてゆく。

藤原俊成女は藤原俊成の養女で、実父は尾張守左近少将藤原盛頼、母は藤原俊成の娘の八条院三条で俊成の孫にあたります。実父は「鹿ヶ谷の変」に連座して官を解かれ、八条院三条と離婚し、娘は祖父の藤原俊成の家に養女として入りました。鴨長明は「無名抄」のなかで「今の御代には、俊成卿女と聞こゆる人、宮内卿、この二人ぞ昔にも恥じぬ上手共成りける」と書いています。藤原俊成は藤原定家の実父で甥の寂蓮の養父でもあります。俊成は和歌の世界では巨匠だと思います。とにかく優れた歌人を沢山育てました。後鳥羽院に「俊成の後には、西行なり」と言わせた平安末期の二大巨人の一人です。西行は早く出家し日本中を彷徨い歩きました。俊成は宮廷歌壇にとどまり続けました。二人は立場の違いを超えてお互いを認め合っていたようです。この二人の存在が千載和歌集(平安末期)から新古今和歌集(鎌倉初期)への橋渡しをしたのでしょう。

鹿ヶ谷の変とは:京都東山鹿ヶ谷にあった俊寛僧都の山荘に、藤原成親、西光法師、平判官康頼といった後白河法皇の近臣達が何度も集まり、後白河法皇を中心に平家を滅ぼそうとする陰謀を話し合ったと言います。摂津源氏の多田行綱もこの陰謀に加担をしたのですが、身の安全を図るため平清盛にこの陰謀を訴え出ました。私はどうもこの話は胡散臭い話だと思っています。平家転覆のような大きな陰謀と言われるような話し合いが本当に後白河法皇の面前でなされたのか、はなはだ疑問です。後白河法皇の勢力を削ぎ平家政権安定のための陰謀があったのかも知れません。

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P.S.今日から暫らく伊豆高原へ行ってきます。通信環境が余りよくないのでブログは予定投稿としてあります。コメントの返事は後ほどとさせていただきます。

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2007年12月29日 (土)

小石川後楽園の秋3

12月8日の小石川後楽園です。

古今集から凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)の歌。

     風ふけば

   おつるもみぢ葉

     水きよみ

   ちらぬ影さへ

   そこにみえつつ

(意)風が吹くたびに落ちる紅葉は水が澄んでいるので、まだ散らずに残っている葉の姿までも水の底に映りしながら。

散った紅葉は水面に落ち、まだ散らない葉は水底に映るとの考えのようです。凡河内(おうしこうち)氏は大河内氏で河内地方の国造りの家系です。古今集には紀貫之に次いで2番目の入集で、三十六歌仙の一人です。

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2007年12月28日 (金)

我が家のパピオンちゃん達と庭

先日、義姉が愛犬のパピオンのココちゃんを連れて我が家に遊びに来たそうです。1枚目の画像の左からルイ君・マリアンちゃん・ココちゃんです。ルイ君は狸顔で最近の流行のようです。マリアンちゃんとココちゃんは昔風の耳が蝶のようになるパピオンです。最近は時々ルイ君とマリアンちゃんが隣り合ってお座りできるようになりました。マリアンちゃんはお兄ちゃんのルイ君が大好きで、すぐにお兄ちゃんお兄ちゃんと寄って行きますが、ルイ君はあっちへ行けと「ウゥ~・・・」昔ほどではありませんが仲が良い様な悪い様な!ココちゃんは本当はルイ君の許婚でした!今や家族やご近所からルイ君はオカマのルイ君とも呼ばれています。♀犬は大嫌いなようです。

モミジは我が家の玄関横のモミジです。葉が枯れ落ちそうでしたが、急激な冷え込みで赤く紅葉を始めました。窓のある部屋は私の部屋で我が家の中で一番小さな部屋です。玄関脇の玄関番の部屋で毎晩監視業務に励んでいます。我が家で一番待遇が悪いのですが家庭平和と世界平和のために我慢ガマンです。薔薇は少し痛んでいますが、まだ綺麗に咲いています。最後の写真のブルーベリーは不思議な葉なのです。この葉は9月頃から紅葉しています。最近一段と赤い色が濃くなってきました。

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2007年12月27日 (木)

小石川植物園の秋2

12月8日の東京都文京区の小石川植物園です。ここは春の花や夏の花も非常に綺麗です。秋の紅葉はそれに負けない美しさだと思います。江戸時代から続く小石川薬草園の名残でしょうか、巨木が多く手入れも素晴らしく自然が良く残されています。やはり徳川幕府~明治政府と続き現在は東京大学の大学院の研究施設だから残せたのでしょうね!

詞花集から平兼盛の歌。

     あれはてて

   月もとまらぬ

     わが宿に

   秋の木の葉を

   風ぞふきける

(意)荒れ果てて、月も留まってくれない我が家には、ただ秋風が吹き寄せて、散らした紅葉で屋根を葺くことだ。

「ふきける」とは{吹きける}と{葺きける}です。

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2007年12月26日 (水)

北鎌倉の秋4 明月院

12月5日の北鎌倉明月院です。明月院は紫陽花の名所でシーズンには入場制限されます。他の花々も綺麗ですし紅葉も綺麗なところです。この日も沢山の人が紅葉を見に明月院を訪れていました。写真を撮るには我慢我慢の連続でした。

明月院は、禅興寺という寺の塔頭(たっちゅう)でした。明治の初めに廃寺となり、子院だった明月院だけが残りました。明月院の開基は山ノ内上杉家の祖、関東管領上杉憲方です。

新古今集から具平(ともひら)親王の歌。

     いつの間に

   紅葉しぬらむ

     山ざくら

   昨日か花の

   散るを惜しみし

(意)いつの間に紅葉したのだろうか。山桜の花が散るのを惜しんだのは昨日だったと思ったが。

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明月院からの帰り道です。最後の2枚は円覚寺の山門前です。

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最後に昨日の私のブログへ薬害肝炎のことで書き込んだことを改めてブログにアップします。

ミドリ十字は人体実験などで悪名高い旧日本陸軍の731部隊の内藤中佐を中心に戦後創設された会社で主に731部隊出身者が幹部となっていました。その後厚生省の松下薬務局長が天下り会社を発展させてきました。日本国内では禁止されている人体実験を何度か行いましたが政治力でしょうかウヤムヤになってしまいました。厚生省の大きな利権の一つには薬の製造認可にあります。日本国内でなかなか認可がおりず認可のルールがはっきりしていないようです。厚生省の許認可の利権は旧橋本派(旧田中派)の独壇場でした。今回の薬害肝炎ははっきりとした証拠は官僚が握っていますが、フィブリノゲン製剤がC型肝炎の原因であることを誰が何時知り何時どの様な対処をしたかが問題となります。そこへ誰が何処へ政治的圧力をかけたかが謎ときには重要な問題となるでしょう。厚生官僚は全てを知っているはずです。知られて困るのは自民党の国会議員と製薬会社それと厚生省でしょう。薬害エイズと全く同じパターンですが、被害者は政府発表より実数が掴めないほど多数に上る可能性があります。現在は出産時に使用されたケースだけが問題になっていますが、色々な手術にも使用されていた可能性が高いのです。カルテも紛失や廃棄されたケースも多く、関係した医療関係者も亡くなった方などがおられますので投薬の事実認定は非常に難しいと思われます。ミドリ十字の存続会社の田辺三菱製薬は推定29万人に投与し、推定肝炎患者は1万人と試算しています。政府は被害を限定し肝炎患者が早く亡くなるのを待っているかの対応です。これは明らかに政府の怠慢により引き起こされた犯罪行為です。まず第一に政府のする事はカルテの永久保存を命令することです。投薬の証拠はカルテしかありません。裁判で争っても証拠がなければ投薬されたことによる肝炎の発症は証明されず、裁判所としては疑わしきは罰せずと逃げるでしょう。

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2007年12月25日 (火)

汐留のイルミネーション

ちょっと前の画像です。今年の汐留のイルミネーションです。今年から日本テレビ前も白いイルミネーションを始めました。カレッタ前は昨年よりブルーと他の色が一層と艶やかになったと思います。使用カメラはカプリオR4です。ファインダーを見ないで撮るのはあまり得意ではありません。

昨夜はクリスマス・イヴ!突然クリスチャンになった方が多かったのではないでしょうか?日本は面白い国です。神道・仏教・キリスト教といろいろゴチャマゼです。日本人は乗りやすい乗せられ易い国民性なのでしょうね!我が家は娘たちは何処かへお出掛けで夫婦で一昨夜の残り物を食べました。普段と変わらない生活です。その中で薬害肝炎の解決に向けて大きく第一歩を踏み出したのは喜ばしいことですが、国の責任を議員立法で処理するのはおかしな話です。普通は国の責任を認めるのは総理大臣か所管大臣が国会の本会議の場で陳謝し再び同じ過ちを繰り返さない事を誓うものです。一歩下がって総理大臣が記者会見などで陳謝し国民に広く知らしめるのです。いったい何なのでしょうね!日本の法律では官僚はどんな悪いことをしても刑事犯罪人にならなければ処罰されません。薬害肝炎の問題も国の責任を認めた場合は、せいぜい現職官僚の数人が数カ月のほんの僅かな減俸で済むはずなのですが。面子の問題なのでしょうか?国家の責任であることは明確だと思います。それでも認めたがらない官僚に対して国会議員が法律で国の責任をどのようにして明確に書き表わすのでしょうか。日頃は官僚に大変お世話になっている国会議員には無理な話だと思います!国の責任については、せいぜい訳のわからない曖昧な形での法律になるのでしょうね。薬害肝炎の被害者が満足できる解決策は取れるのでしょうか?完全なる補償と国の責任を認めることが大前提でしょう。カルテも残っているのでしょうか?何か年金問題と同じように見えてきます。日本の政治は江戸時代以降は官僚主導で行われてきました。第2次世界大戦は軍官僚の暴走で引き起こされたのでしょう。いま日本は愚官僚の暴走が再び始まっているのでしょうか。国民一人一人がもっとシッカリしないと大変な事になります!

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2007年12月24日 (月)

小石川後楽園の秋2

12月8日の小石川後楽園です。ここは水戸藩の上屋敷の跡です。徳川(水戸)光圀は駒込に在った水戸藩邸内に史局(彰考館)を設置し、「大日本史」の編纂作業に着手しました。大日本史のうち本紀・列伝は光圀存命中に完成していましたが全部が完成するのは明治39年で260年掛かったことになります。全397巻226冊で記事には出典を明記し考証にも気を使っているそうです。大日本史のため水戸藩は藩財政の1/3を使っていたそうで、水戸藩は農民の一揆が頻発しました。幕末に尊皇攘夷の基礎になった水戸学は大日本史の流れです。大日本史は神武天皇から後小松天皇まで、厳密には南朝と北朝の統一までを区切りとして書き表された歴史書です。大日本史によれば南朝が正統で北朝は正統ではない事になります。後に南朝は北朝に統合されますが、現天皇家は北朝系ですね。

光圀の妻であった尋子の辞世の歌です。

     何をこれと

   思ふことだに

     あらなくて

   ひとよの夢は

   はやさめにけり

(意)この我が人生は何だったのだろうか?何をこれと判断することさえないままに、一夜の夢はもう覚めてしまうのだなぁ~。

光圀は妻の尋子が亡くなった後、後妻を娶りませんでした。それだけ深く妻を愛していたのでしょうね。

徳川光圀は水戸光圀とも言われ、一般的には黄門様とも言われています。助さん格さんは実在の人物ですが実際はこの二人は水戸藩士で学者でした。二人とも大日本史の編纂の中心人物でした。黄門漫遊記は幕末の作り話で実際はありませんでした。水戸徳川家の当主は御三家として江戸在府を義務付けられ、隠居をしてやっと故郷の水戸へ帰る事が出来ました。

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