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2007年9月

2007年9月30日 (日)

野尻湖とその周辺1

寒い日が続いています。一昨日の30度越えは何処へ行ってしまったのでしょうか!あまりの寒さに羽毛布団を出してしまいました。皆さんも体調管理に十分に気を付けて下さい。今朝は早起きして写真を撮りに行くつもりでしたが、雨で仕事へ予定変更です。

9月22日と23日の野尻湖とその周辺です。大きな糸瓜のようなものはカボチャです。ススキも花が開いていました。

古今集から在原棟梁の歌。

     秋の野の

    草の袂か

      花薄(はなすすき)

    穂にいでてまねく

    袖と見ゆらむ

(意)秋の野の袂だろうか、花ススキは、その穂の身振りでいらっしゃいと私を招く袖のようだ。

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杉野原からいもり池。いもり池は周遊道路が今年一杯工事中です。今は水も抜かれていて淋しい景色でした。今年の秋はいもり池に映る妙高山は絶望的です。今年は池周辺のヤマモミジだけですかね!

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2007年9月29日 (土)

花之江の郷の彼岸花

9月18日の栃木県都賀町の花之江の郷です。

ススキも花が咲いていました。古今集から平貞文の歌。

     今よりは

    植ゑてだに見じ

      花薄(はなすすき)

    穂にいづる秋は

    わびしかりけり

(意)これからは植えてまで見ようとは思いません、花薄が穂を出す秋は侘しくつらいものですから。

この歌の意味としては・・・貴女と一緒に庭のススキを見ようと思って植えたススキですが、貴女がいないのでは、かえって寂しさがつのるばかりです。

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2007年9月28日 (金)

秋ヶ瀬公園の彼岸花

9月21日にさいたま市の秋ヶ瀬公園の彼岸花を撮りに行ってきました。秋ヶ瀬公園はサクラソウの自生地として有名です。ここの彼岸花は大群生ではありませんが広大な森や林の中に小群生が点在しています。私には丁度良い地味過ぎず派手過ぎない彼岸花の咲き方でした。秋ヶ瀬公園は最近はバードウォッチングで有名になっています。この日も彼岸花を撮っているカメラマンは私だけでした。公園内のカメラマンは大型単眼望遠鏡にデジカメをつけた人達ばかりでした。最近増えましたね!

和泉式部の歌を詞花集から。

     秋吹くは

   いかなる色の

     風なれば

   身にしむばかり

   あはれなるらん

(意)秋に吹くのはどんな色をしている風なのだろうか、身にしみるばかりに哀れ深く人恋しく感じる。

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2007年9月27日 (木)

黒姫高原コスモス園

9月22日の長野県黒姫高原のコスモス園です。最近園内にダリア園を併設しています。今年はダリアの開花が少し遅れたようです。下の方に野尻湖が見えます。他の写真の山は妙高山です。ここは冬季はスキー場となります。

藤原家隆の家集 壬二集より

     露や花

   はなや露なる

     秋くれば

   野原にさきて

   風にちるらん

(意)露と見えるのは花だろうか。花と見えるのは露だろうか。いずれにしても秋が来れば、野原に咲いて、風に散るのだろう。

藤原家隆は末代の人丸と言われた歌詠みで最後は従二位まで登りつめました。家隆の歌は上品ですね。

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2007年9月26日 (水)

室(むろ)の八島(やしま) 大神(おおみや)神社

栃木県栃木市の下野惣社へ7月22日に行ってきました。今までアップできなかったのは、「室の八島」のまとめが出来なかったのです。歴史的にも非常に難しく調べれば調べるほど訳がわからなくなるのです。

下野国国府跡。国府とは国の役所・国庁のことです。現在は前殿が当時のように復元されています。東西の藤棚は当時の脇殿(役人の事務所)と同じ規模で同じ場所だそうです。本殿は前殿の北側に接している宮野辺神社(1~2枚目)の下にあるのは確実と言われていて、神社があるために発掘調査は不可能とされています。

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室(むろ)の八島。

「室の八島」とは和歌の下野国(栃木県)の枕詞です。色々な説があり場所の特定が昔から出来ませんでした。一応、大神(おおみや)神社の下野国の惣社内にあると言われてはいますが・・・・!惣社とはその国に昔から存在する神社<葦原(あしはら)の中つ国・・・大和朝廷・高天原(たかまがはら)とは違うそれぞれの国の在地勢力を祀った神社)を分祀して一か所に纏めた神社で、大和朝廷から送り込まれた国司は在地の神社へお参りしてそれぞれの神を鎮めることが主要な仕事の一つでした。「室の八島」は万葉集の時代から和歌の世界では数多くの歌が歌われていていますが、時代とともに「室の八島」の場所が変わって行ったのではないかとも思います。大神神社の案内板には

「大神神社は、今から千八百年前、大和の大三輪神社の分霊を奉祀し創立したと伝えられ、祭神は大物主命です。
惣社は、平安時代、国府の長官が下野国中の神々にお参りするために大神神社の地に神々を勧請し祀ったものです。
また、この地は、けぶりたつ「室の八島」と呼ばれ、平安時代以来東国の歌枕として都まで聞えた名所でした。幾多の歌人によって多くの歌が、残されています。」

と書かれています。つまりこの神社内のある池の中の八つの島が室の八島であるといっているのですが・・・・?けぶりたつ室の八島とはもともと宮中の炊事場の竈(かまど)を指していて、炊飯の蒸気のことを宮中言葉で「室の八島」と言っていたらしいのです。それがいつの時代からか下野国に結び付けられたとも言われています。また一説にはこの神社内の池から立ち昇る蒸気を室の八島と言ったとの説もあります。また、この近所に製鉄の技術者集団がいて鉄を鍛える時に立ち昇る水蒸気を室の八島と呼んだとの説もあります。また一番信じられる説は上記の下野国府辺りは湿地帯で池や川が流れていて、その辺りから立ち昇る水蒸気を室の八島と呼び景勝地であったが、乾燥とともに景観が変わって大神神社辺りに室の八島が移って行ったとの説が一番説得力があると思います。結論としては分かりません!!本来は室の八島に立ち昇る煙は見えるものではなく、見えない立ち昇る恋の煙のはずです!

また、孝謙天皇(称徳天皇)の看病禅師であり後に太政大臣禅師となった弓削(ゆげ)道鏡が政変の結果、官位を剥奪され左遷されて造下野薬師寺別当として下ってきた時に、この神社のかたわらに屋敷を持ったと言い伝えがあります。下野国薬師寺は奈良時代の日本三大戒壇の一つ東戒壇と呼ばれ、中央は東大寺、西は筑紫国の太宰府観世音寺でした。これらの三戒壇の認可で僧侶は正式な僧侶として認められました。日本に戒律を伝えたのは大唐国揚州の大明寺の住職で南山律宗の継承者であった鑑真和上でした。朝廷が鑑真和上の招聘にこだわったのは、当時の日本には正式な僧侶の資格制度が無く自称僧侶が蔓延していました。そのため正式に資格制度を作る必要に迫られて中国の唐から鑑真和上を招聘し日本の仏教に戒律を定着させたのです。ここのところの経緯については井上靖著の「天平の甍」を是非お読みください。道鏡は中央政界の政変により下野国に左遷されました。日光の金精峠は道鏡が下野国に入る時に上野国から金精峠を越えてきました。その時巷に言われている道鏡の一物が峠道で邪魔になり自ら切り落としたといわれ、それが金精峠の名前となったとの言い伝えがあります。道鏡の出世と没落には色々と激しい動きがありました。いずれ近いうちにこの辺りをブログに書いてみたいと思います。

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この辺りの農家は大きな敷地を持っている農家が多いです。長さが100メートル以上ある塀が続いている農家が多いです。塀の中には蔵が数棟建っているのが見えます。戦後の農地解放を逃れた土地なのでしょうかね?農地解放は屋敷や山林は農地ではないとの解釈で残されましたが、地域によっては拡大解釈されて取り上げられてしまった地域もあります。また戦後の財産税と相続税で大地主達は土地の維持をすることが非常に難しくなり、没落していった大地主が多くなりました。

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室の八島を詠った代表的な歌です。

いかでかは思ひありとも知らすべき室の八嶋の煙ならでは(藤原実方)

人を思ふ思ひを何にたとへまし室の八島も名のみ也けり(源重之女)

下野や室の八島に立つ煙思ひありとも今日こそは知れ(大江朝綱)

煙たつ室の八嶋にあらぬ身はこがれしことぞくやしかりける(大江匡房)

いかにせん室の八島に宿もがな恋の煙を空にまがへん(藤原俊成)

恋ひ死なば室の八島にあらずとも思ひの程は煙にも見よ(藤原忠定)

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2007年9月25日 (火)

伊豆下田

9月16日に下田市へ行って来ました。暑い日でした。ワンちゃん達もお疲れ気味です!

下田公園の中の蓮杖台には日本における写真の先駆者の下岡蓮杖の碑が立っています。碑は明治維新後の日本の経済を形づくった偉人渋沢栄一らによって建てられました。蓮杖は下田に生まれ、西(長崎)の上野彦馬、東の下岡蓮杖と称された我が国の写真術の草分け的な存在です。幕末の開港に伴い下田の玉泉寺に設けられたアメリカ領事館に雇われ、幼なじみ「お吉」や「お福」を通してハリスに頼み込み通訳のヒュースケンに写真の基礎を学んだそうです。近代写真の神様の一人なのでしょうか!お吉・お福・ハリス・ヒュースケンと幕末の日本の有名人の名前が出てくるなんてビックリですね!

写真の港は下田港です。幕末に開港した頃とほとんど変わっていないそうです。

鎌倉幕府三代将軍源実朝の歌を続後撰集から

     箱根路を

   我が越えくれば

     伊豆の海や

   沖の小島に

   波のよる見ゆ

(意)箱根路を越えてやって来ると、伊豆の海が広がり、沖の小島に波の寄せるのが見える。

戦後までの伊豆の交通手段は主に船でした。道路は非常に悪く、海岸線を通る道の整備はされていませんでした。天城の峠道から海岸の漁村まで細い道が通っているだけでした。小学生の時に戸田の東大の寮にしばらく滞在していた時がありましたが、交通手段は沼津からの船でした。1週間に1度ほど自動車部のトラックが沼津へ食料品の仕入れに行っていましたが距離は短いのですが悪路で命懸けだったそうです。日本中がそんな感じだったのです。昔話ですが、大学3年の時に東北一周のドライブ旅行をしましたが、東北の国道は砂利道が多く狭く、峠道には沢山の大型トラックが崖下に落ちていて酷い状態でした。そんな時に国体を開催することで国から予算が付いて道路整備等が一気に進みました。今は国体なんかは必要とは思えませんが、戦後の日本の復興には国体の開催が一番効果的だったのかも知れません。当時は赤字国債ではなく国民の財産として子孫に残る建設国債が主に発行されていたのです。

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2007年9月24日 (月)

出流山(いずるさん)満願寺

9月18日の栃木県栃木市の出流山満願寺です。ここは秋海棠(しゅうかいどう)が苔むした岩と素晴らしい対比を見せてくれるところです。秋は紅葉が綺麗です。

江戸時代には三代将軍徳川家光により守護不入を認められ、10万石の格式のある寺院でした。寺侍も30名ほど詰めていて司法行政の権限を有していました。

ここはお蕎麦で有名です。山門前にはお蕎麦屋さんが十数店あります。ここのお蕎麦は1升(4~5人前)、5合(2~3人前)と注文するのが通なのだそうです。店によってお蕎麦の味やだし汁の味が違います。ここに何時も来る人は贔屓の御蕎麦屋さんがあります。どこどこの店で何升食ったぞ!自慢していますが私には理解できません!

シュウカイドウはシュウカイドウ科の多年草で、ベゴニアの仲間です。貝原益軒『大和本草』には「寛永年中、中華より初て長崎に来る。(中略)花の色海棠に似たり。故に名付く」とあるそうです。

長塚節(ながつかたかし)の秋海棠を詠った歌。

     白埴(しらはに)の

   瓶(かめ)こそよけれ

     霧ながら

   朝はつめたき

   水くみにけり

(意)秋海棠を活けるなら白埴の瓶(かめ)が良い。白い光沢の肌をもつ花器に活けられ、霧がなお纏い付いているかのような冷たい水を吸って、秋海棠の淡い紅は生き生きと引き立つだろう。

私は初めてこの歌を知りました。さすがに正岡子規の後継者と言われる人ですね!白埴とは白い釉薬(うわぐすり)をかけた花瓶のこと。その花瓶は花を活けるのに良いと言われているようです。

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2007年9月23日 (日)

伊東市一碧湖と林泉寺

9月17日に早朝の一碧湖と藤で有名な林泉寺へ行ってきました。

古今集から読み人知らずの歌

     昨日こそ

    早苗とりしか

      いつの間に

    稲葉そよぎて

    秋風の吹く

(意)早苗とりをしたのはついこの間なのに、いつの間に稲の葉がそよぐ秋風の季節になったのか。

早苗とりとは田植えの事だと思います。

一碧湖

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