新潟県妙高市杉野沢地区
| 固定リンク | コメント (14) | トラックバック (1)
8月14日の長野県白馬岩岳スキー場のユリ園です。
万葉集から大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌。
夏の野の
繁みに咲ける
姫百合の
知らえぬ恋は
苦しきものを
(意)夏の野の繁みにひっそりと咲いている姫百合のように、人に知られない恋は苦しいものだなあ。
大伴坂上郎女は大伴家持の叔母です。大伴氏が没落に向かう時を見ていたのでしょう。当時は近親婚が行われいて異母兄と再婚し、生まれた娘(大伴大嬢)は大伴家持の正妻となりました。家持とともに万葉集の編者の一人とも言われています。万葉集の成立と大伴氏の没落は連動していたのかも知れません。日本帝国海軍の代表歌「海ゆかば」の大伴家持の歌は、大伴氏と佐伯氏が歴代の天皇の親兵として最前線で戦ってきたことを大伴一族の長者であった家持が詠った歌なのです。時の権力が藤原氏に完全に移りかけたときで藤原一族への強烈な反撃の一発だったと思います。大伴家持は色々な騒動に巻き込まれ左遷を何度も経験し、死後も大伴氏の多くが関係した藤原種継暗殺事件の首謀者として公卿から除籍され、死後20年以上たって復活はしますが大伴氏は歴史から消えてゆくことになりました。元歌は「陸奥の国に金を出す詔書を賀す歌」です。大伴氏の家持にとって「大化の改新」で成りあがって来た藤原氏に対し、我が大伴一族は血を流してきたとの思いがあったのだと思います。彼は自分が中心で編集した「万葉集」にこの歌をわざと入れたのでしょう。藤原一族も止める事が出来なかったのでしょうね。
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
私は反戦主義者ですがこの曲は名曲だと思います。戦中は第二国歌のような扱いだったようです。作曲は信時潔(のぶとききよし)です。慶応義塾の校歌に当たる塾歌は信時氏の作曲です。
また話が飛んでしまいました!
| 固定リンク | コメント (10) | トラックバック (0)
8月20日の栃木県都賀町「花之江の郷」の3回目です。平安時代の上流階級の貴族たちに何故にこんなにも女郎花(おみなえし)がもてはやされたのでしょうか?不思議だと思います。昔の人には黄色い色は特殊な色だったのかも知れません。中国では黄色い色は皇帝の色でした。黄色い彼岸花は鐘馗水仙(ショウキスイセン)です。普段は赤い彼岸花の後に咲くのだと思いますが!
古今集から平貞文の歌。
花にあかで
向かへるらむ
女郎花
おほかる野辺に
寝なましものを
(意)まだ花に満足をしていないのに、なんで帰ろうなんて言うのでしょうか。女郎花の多いこの野辺に出来れば泊まっていきたい気分です。
私は個人的には黄色い女郎花より白い男郎花(おとこえし)の方が好きです。にあかで 何かへるらむ 女郎花 おほかる野辺に 寝なましものを
| 固定リンク | コメント (20) | トラックバック (0)
8月25日に山中湖の花の都公園の向日葵と忍野の向日葵を中心に撮ってきました。やはり富士山は美しいですね!
新古今集から西行法師の歌。
風になびく
富士のけぶりの
空に消えて
行方も知らぬ
わが思ひかな
(意)風に吹かれてたなびく富士の噴煙が空に消えてゆく。その噴煙のように私の心はどこへ行く着くのか分からない。
この時代に富士山を詠った歌は噴煙を上げている富士山を詠っています。何度も噴火を繰り返し現在の富士山の形になってきたのでしょうね。歴史に残る大噴火は西暦800年頃の延暦噴火で東海道足柄路が埋没し、改めて箱根路が造られました。西暦864年貞観噴火で一つの大きな湖が西湖・精進湖・本栖湖の3つの湖に分かれ、青木樹海が流れ出した溶岩の上に形成されました。西行法師は平泉への旅行途中にこの歌を詠んだようですので12世紀半ばだと思います。まだ噴煙を上げていたのですね。
山中湖村の花の都公園の向日葵です。
忍野村ますの家の庭。オニユリの八重が咲いていました。ユリの八重咲きは珍しいですね!
| 固定リンク | コメント (18) | トラックバック (1)
8月14日にワンちゃん達を野尻湖の別荘で留守番させて長野県白馬村の岩岳スキー場に行ってきました。このスキー場は夏になるとユリ園に変わります。本当は栂池に行く予定でしたが途中で予定を変更しました。
万葉集から大舎人部千文(おおとねりべのちふみ)の歌。詠った千文は常陸国那賀郡の人で防人(さきもり)として筑紫の国に配置される。
筑波嶺の
早百合(さゆる)の花の
夜床(ゆとこ)にも
愛(かな)しけ妹そ
昼も愛しけ
(意)筑波山に咲く小百合の花のような可愛い人よ、夜の床でも愛しかったが昼も愛しくてならない。
おおらかな愛の歌ですね。防人(さきもり)として赴任中に妻をしのんで詠った歌なのでしょうか。防人になる前に詠った歌なのでしょうか!
防人とは大化の改新後、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れたのち北九州の沿岸防備のために太宰府の指揮下に置かれた徴兵された兵士。主に東国の軍団から任期3年で派遣される兵士で、食料も武器も任地までの旅費も全てが自己負担。免税はされず、ほとんどの場合に任期が勝手に延長される。軍団とは律令制で全国に設けられ標準では1軍団千名で平時は国司の指揮下に置かれた。小さな国には1軍団、大きな国には数個軍団が置かれた。東国からの防人は歩いて任地まで行くので数カ月以上かかり任期が終わっても歩いて古里まで帰ることになる。おまけに防人として服務中にも本籍地で課税されるため非常な大きな賦役でした。これで反乱が起きなかったのは何故!?反乱の話は歴史から抹殺されているのかも知れませんね。後に東国からの防人の派遣はなくなり、九州からだけに変更されるのは、歴史には書けない何かがあったのでは!
| 固定リンク | コメント (16) | トラックバック (0)
8月20日の花之江の郷の2回目です。女郎花(おみなえし)とエゾミソハギそれとカクトラノオ(ハナトラノオ)が見事な組み合わせで咲いていました。ワレモッコウも綺麗でした。キツネノカミソリもまだ咲いていました。もうすぐ秋ですね!
☆古今集から藤原定方の歌。
秋ならで
あふことかたき
女郎花
天の河原に
おひぬものゆゑ
(意)秋にならないと会えない女郎花よ、天の河原に生えている訳でもないのに。
女郎花→秋→七夕→天の河原の発想から、七夕→一年に一度→秋しか逢えない。
☆古今集から紀貫之の歌。
たが秋に
あらぬものゆゑ
女郎花
なぞ色にいでて
まだきうつろふ
(意)秋だからもう飽きたとは誰も言っていないのに、女郎花は人目に分かるようにすぐに心変わりをしてしまう。
| 固定リンク | コメント (14) | トラックバック (0)
8月13日の志賀高原東舘山(ひがしたてやま)高山植物園の続きです。色々な花が咲き乱れています。高山の花は綺麗です。最後の写真は藤袴です。
古今集から素性法師の藤袴を詠った歌。
ぬししらぬ
香こそにほへれ
秋の野に
たがぬぎかけし
藤袴ぞも
(意)持ち主は誰だか知らないけれども、すばらしい香(かおり)が匂うことよ。秋の野に誰が脱いで掛けた藤袴なのか。
袴は普段は外では脱がないものなのでしょう!袴は平安時代は男女とも着ていました。女性は正式な装いとして紅い打袴を着用していました。昔は着る衣類には必ずその人独自の香をつくり、それを衣類に炊き込めてから着るものでした。人により香りがみんな微妙に違っていたのでしょうね。昔の日本人は香に対する感性が鋭かったのでしょう、暗闇の中で、その香りだけで人を見分けることができたそうです。良い香りがする藤色の袴は誰が脱ぎ掛けたのだろうか!誰と何をしていたのだろうか?とは考えすぎかな!西洋人は体臭を消すために、日本人は香りで個性を出すために香を身に付けました。特に日本人は香を聞く(聞香-もんこう)ことを香道として発達させました。
香木の代表は沈香です。沈香は150度以上に熱すると香ってくるそうです。沈香の中で一番貴重なのは伽羅です。現在は世界中で枯渇してしまい絶滅したのではないかと言われています。白檀は熱を加えなくても香る木です。東大寺正倉院には蘭奢待(らんじゃたい)と呼ばれる巨大な香木が収められていて正式記録によれば足利義政、織田信長、明治天皇が一部を切り取っているが他にも沢山の切り取った跡が残っているそうです。
今日は香りの話でした!
| 固定リンク | コメント (12) | トラックバック (1)
8月15日に妙高高原のいもり池へ行ってきました。この池は妙高山が池に写り、素晴らしい風景を見せてくれます。春・秋は素晴らしいところになります。特に私はいもり池の周辺のヤマモミジの紅葉が好きです。
今日の画像はペンタックスのK10Dです。ゴミが写りこんでいて現像後にソフトで取るのが大変でした。ゴミ取り装置が付いているはずなのですがほとんど効果がありません。ペンタックスさん何とかして下さい。やはりオリンパスはこの点は凄いですね!今までゴミで悩まされたことはほとんどありません。私のように野外でレンズ交換を度々する人には最強最適なのかもしれません!風の中でもレンズ交換は軽くできます。
古今集から紀秋岑(きのあきみね)の歌。
夏山に
恋しき人や
いりにけむ
声ふりたてて
鳴くほととぎす
(意)声をふりしぼってホトトギスが鳴いている。それは彼女の恋人が修行のために夏山にこもったのを哀しんで泣いているのだろう。
ホトトギスは女性を表しているのでしょう。鳴くは泣くです。