花の都公園1 ポピー畑
7月4日の山梨県山中湖村の花の都公園です。残念ながら富士山は深い雲の中でした。時々晴れ間が出てきてポピー畑が輝いていました。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mm&50mmマクロです。
劉邦の率いる漢の将軍韓信は自ら30万の兵を率いて10万ほどの項羽が率いる楚軍と垓下(安徽省)で戦いました。初めのうちは楚軍が優勢でしたが、徐々に漢軍が盛り返し、最後には楚軍が敗れました。 敗れた楚軍は防塁に籠り、漢軍はこれを幾重にも包囲しました。夜になり、項羽は四方の漢の陣から故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか」と驚き嘆きました。この故事から周囲を敵に囲まれることを「四面楚歌」と言うようになりました。いよいよ最後を悟った項羽は、部下たちと最後の別れの宴席を設けました。項羽は虞美人と呼ばれる愛妾と愛馬の騅(すい)との別れを惜しんで、この最後の宴席で有名な垓下歌(がいかのうた)を詠いました。
垓下歌 項羽
力拔山兮 氣蓋世 力は山を抜き 気は世を蓋う
時不利兮 騅不逝 時利あらず 騅逝かづ
騅不逝兮 可奈何 騅逝かざるを 如何すべき
虞兮虞兮 奈若何 虞や虞や 汝を如何せん
(意)
力は山を抜き 気は世を覆った。
時に利無く 騅(すい)は進もうとしない。
騅が進もうとしないのをどうすればよいのか、いやどうしようもない。
虞よ虞よお前をどうすればよいのか、いやどうしようもない。
返歌 虞美人
漢兵己略地 漢兵已に地を略し
四方楚歌声 四方に楚歌の声
大王意気尽 大王意気尽きて
賤妾何聊生 賤妾(せんしょう)なんぞ生をやすんぜん
(意)
漢の兵士達はすでに楚の地を攻略してしまいました。
四方から楚の国の歌が聞こえてきます。
大王様の意気もすでに尽きられたご様子。
賎しきこの妾(わたし)がおめおめと生き延びてよいものでしょうか。
項羽の詠った垓下歌に続いて、返歌を虞美人が詠い、その後に項羽と虞美人は涙を流しながら乾杯をし虞美人は剣舞を舞いながら首に剣を刺して自害しました。深夜に項羽は手勢八百騎を率いて漢軍の囲みを破り脱出しましたが、最後は28騎だけとなり項羽たちがかつて秦王朝打倒で決起した江東の地である烏江の渡しにたどり着きました。烏江の亭長(役人)は早く川を渡って江東の地で再起をするように勧めましたが、項羽は江東の地で蜂起した時は8千名を率いて川を渡ったが一人も帰れなかった。いまさら江東の地へは帰れないと言って愛馬の騅を亭長に渡し、生き残りの28騎に下馬を命じて徒歩で漢軍の追手の中に斬り込んで最後は自害しました。これにより劉邦の漢王朝400年が始まりました。漢王朝の皇帝となった劉邦は功臣を次々と粛清し400年の基礎を作りました。
虞美人草はヒナゲシともポピーとも呼ばれます。垓下で自害した虞美人を葬った墓に翌夏に赤くこのヒナゲシの花が咲いたという伝説から虞美人草と呼ばれるようになったと言われています。
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