2008年5月12日 (月)

さいたま市 尾島家 クマガイソウ2

4月20日のさいたま市見沼区にある旧家・尾島家の敷地の花さん達です。クマガイソウ・牡丹・八重桜・サクラソウなどが咲いていました。先日、ラジオのニュースで旧大宮市のクマガイソウの自生地の牡丹の花が数十本も悪戯で折られたと言っていました。尾島さんの庭だと思います。酷いことをする奴がいるものです。他のニュースに触発されたのでしょうね!4月20日のこの日に偶然、庭で尾島さんにお会いできました。「花盗人が多いのだが、いくら盗んでいっても土が合わなければ育てることなんか出来るはずがない。管理が大変で善意の方達の募金だけでは難しい。募金箱を置いてあるのだがお金を入れてくれる人は数が少ない。この山は私(尾島さん)個人の所有だから自然を残せるが土地が分散したら継続は不可能だ。この山は土の中に蘭菌が居るので蘭が育つ。クマガイソウの数が減ったのは数年前の大雪で一人では雪掻きが出来なかったのが原因で、その後の手入れが出来なくて倒れた竹を切ったらその年からクマガイソウの数が減ってしまった。自然とは不思議なもので、毎日が勉強だ!」何とか残したい貴重な自然です。

実は昨日、某所で花盗人未遂がありました。私は花の写真に夢中で気が付きませんでしたが、何かおかしな熟年夫婦がいるとは思っていました。オーナーの前で花を取ろうとしたようです。おかしな夫婦は直ぐに帰ってしまいましたが、また来るでしょうね!何か日本人がおかしくなっているように感じます。私と同じ団塊世代の人に割合に非常識の人が多いように感じます。世代の人口が多いからでしょうか?我々の若い時代はみんなが貧しかったですから、育ちでしょうかね!あるいは生活に追われてお金がないのでしょうか?

新古今集から菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)の歌。

      浅みどり

    花もひとつに

      霞みつつ

    おぼろにみゆる

    春の夜の月

(意)春と秋とどちらに心が惹かれるかと申しますと、わたくしは薄藍の空も、桜の花も、ひとつの色に霞みながら、朧ろに見える春の夜の月のすばらしさ、それゆえ春と申します。

詞記に「祐子内親王藤壺にすみ侍りけるに、女房うへ人などさるべき限り物語りして、春秋のあはれいづれにか心ひくなどあらそひ侍りけるに、人々おほく秋に心をよせ侍りければ」とあります。皆で集まって春か秋かどちらが優れているか物語をしていると、多くの人は秋だと言う。私は春だと思うと言う歌です。この日の事は菅原孝標女の書き著した「更級日記」にも載っていて同席していた「うえ人」とは源資通(すけみち)のことです。日記には源資通から後日「あの晩の事が忘れられず、恋しく思います」と文が送られてきて、彼女が一喜一憂する様子が書かれています。源資通との関係はプラトニックだったようです。菅原孝標女の父親は菅原道真の血筋の菅原孝標でした。父が上総介として任国上総国に赴任する時に母親の藤原倫寧女とともに父親と同行し、父親の任が終わって京の都へ帰国中からの話から晩年までの回想を書きとめたのが「更級日記」です。

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2008年5月11日 (日)

軽井沢 雲場池(くもばいけ)

4月29日に野尻湖への途中で軽井沢の雲場池に立ち寄りました。雲場池は紅葉で有名なところですが、新緑も素晴らしいところです。軽井沢はまだ春の初めで新緑の始まりでした。この池は鹿島の森にある御膳水を源とする雲場川を堰き止めた人工の池です。池の周辺は別荘地帯で湿地帯で旧軽井沢です。もともと軽井沢は湿地が多く、特にプリンスホテル側は一面の葦原だったそうで、西武グループの総帥の堤康次郎氏が別荘地から離れている湿地帯に目をつけて開発しました。軽井沢は江戸時代までは中山道の宿場町として栄えたようですが、雑穀しか採れず痩せた土地でした。明治維新後は宿場町としては寂れてしまいました。明治19年カナダ人宣教師のアレキサンダー・ショーにより夏の避暑地として見直され外国人達が東京の喧騒と暑さから逃れるために軽井沢の旧軽の大塚山周辺に別荘を建て始めたのが始まりです。その後、軽井沢も俗化して来たので、一部の外国人達は長野県の信濃町の野尻湖畔の北斜面に別荘を建てて移って来たのです。軽井沢は日本での別荘地の一番古い土地で、二番目が野尻湖畔です。今でも野尻湖畔の北斜面には国際村と呼ばれるメンバー制の別荘地があり、夏の間は長期休暇を取る外国人家族で賑わいます。野尻湖畔の南斜面は日本人の別荘地です。野尻湖の夏は意外と暑いので南斜面の別荘地は結構暑いのです。

写真は雲場池とその周りの別荘地帯の湿地です。ワンちゃんは♀マリアンちゃんです。♂のルイ君は私が片手に引き綱を持て、片手でカメラのシャッターを押していますので写っていません。片手撮りもなかなかテクニックと腕力が必要です!

千載集から宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんのたんご)の歌。

      むなしきも

    色なるものと

      悟れとや

    春のみ空の

    みどりなるらん

(意)現世の空しいことは、色にあると悟れと言われていますが、春の空はこんなにもはかなく美しい青色なのでしょうか。

詞書きによると九条兼実が右大臣の時に九条家の歌合せで詠んだ歌だそうで、「色即是空々即是色の心をよめる」とあります。宜秋門院丹後は後鳥羽院の中宮任子(宜秋門院)に仕えた女房でした。「後鳥羽院御口伝」に「女房歌詠みには、丹後、やさしき歌あまた詠めりき」と言われました。高倉宮以仁王の令旨を奉じて平家打倒の兵を挙げて敗れた源頼政の姪です。

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2008年5月10日 (土)

花パーク フィオーレ小淵沢

5月2日に野尻湖畔から伊豆高原へ向かう途中で休憩を兼ねて山梨県の小淵沢にある「花パーク フィオーレ小淵沢」へ行って来ました。園内はチューリップが沢山咲いていました。チューリップの周りにペンペン草やホトケノザが群生していて綺麗でした。雑草と言われている草花ですが、チューリップと組み合わせると不思議な感じのする美しさでした。ここはワンちゃんを連れて入れるのでお勧めです!中央高速の小淵沢ICから1分ほどです。4月から11月まで16Haの面積に花々が次々と咲くそうです。

古今集から素性法師の歌。

      思ふとも

    かれなむ人を

      いかがせむ

    あかず散りぬる

    花とこそ見め

(意)いくら恋しく思っても、離れてゆく人をどうしたら良いだろうか。花が枯れるのを止められないように、仕様がないことなのだ。見飽きないまま散ってしまう花だと思って諦めよう。

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2008年5月 9日 (金)

長野県高山村の桜1

4月29日に長野県高山村の枝垂れ桜を撮りに行って来ました。高山村は素晴らしい桜が沢山あるので有名です。普通は連休の始まる一週間ほど前が最盛期になるのですが、昨年と同じく今年も少し遅れたようです。花の盛りを少し過ぎた桜が多かったですがそれでも綺麗でした。

壬生忠岑の歌を拾遺集から。

      春はなほ

    我にてしりぬ

      花ざかり

    心のどけき

    人はあらじな

(意)春という季節はやはりそうなのだと、我が身を顧みて知ったよ。花盛りの時に、心のどかでいる人などいないでしょう。

水中(みずなか)の枝垂れ桜。この桜は微かに薄いピンクの白い桜の枝垂れです。エドヒガンサクラの変種と言われています。色も姿も素晴らしい桜です。吉永小百合さんの主演した映画「北の零年」の撮影場所にになった枝垂れ桜です。真っ白い花はスモモの花です。

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赤和観音の桜。昨年は元気がなかったのですが、今年は少し元気になってきたようです。赤い屋根は観音堂です。

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2008年5月 8日 (木)

浜離宮庭園2

4月22日の浜離宮庭園です。ここは昔は東京湾に完全に面していましたが、埋立てにより少し内陸に入ってきています。満ち潮の時は海水が川を遡上してここの庭園に流れ込み、汐入の池となります。庭園の北側は汐留の超高層ビル群が立ち並んでいます。南側は東京湾への運河に面しています。汐留のビル群が原因で銀座に涼しい潮風が入らなくなり真夏の気温がかなり上昇しているとの研究結果が出ています。確かに昔の夜の銀座は海風が入ってきて割合涼しかったです。汐留のビル群は非常に軟弱な土地の上に建っています。大震災の時はどうなるかは起きてみないと分かりませんね。

千載集から加茂重保の歌。

      人しれず

    思ふ心は

      ふかみぐさ

    花さきてこそ

    色にいでけれ

(意)人知れずあの人を思う心はあまりに深く、ふかみ草の花が色濃く咲くように、その思いがおもてに出てしまったよ。

詞書に「夏にいりて恋まさるといへる心をよめる」とあります。ふかみ草とは牡丹の事です。ふかみと深いを掛けています。やはり夏の歌なのでしょうね!和歌で牡丹を詠った珍しい歌です。平安時代も鎌倉時代も牡丹を詠った歌がほとんど無いのが不思議です。

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2008年5月 7日 (水)

小諸城址 懐古園

4月29日野尻湖へ向かう途中で長野県小諸市の小諸城址の懐古園へ行って来ました。小諸城は木曽義仲の部将小室太郎光兼がこの地に城を築きました。その後大井氏の城となりましたが武田信玄の攻略で落城して馬場美濃守信房により現在の小諸城の原型ができました。懐古園はソメイヨシノは終わったばかりでした。枝垂れ桜は満開でした。お城の石垣と新緑の緑は素晴らしい組み合わせだと思います。小諸は島崎藤村の詩でも有名です。埼玉県の川越市の中院も島崎藤村の所縁の寺院です。中院には島崎藤村の義母、加藤みきの墓があります。藤村が義母に贈った茶室「不染亭」が移築され、藤村書の「不染の碑」があります。中院の開基は慈覚大師円仁です。北院は有名な喜多院で南院は多聞院です。もともとは 星野山無量寿寺のなかに北院・中院・南院の三院がありました。

島崎藤村は明治32年に小諸義塾に教師として赴任して有名な詩「千曲川旅情のうた」を歌いました。

☆小諸なる古城のほとり

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草もしくによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る

あたたかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群れはいくつか
畠中の道を急ぎぬ 

暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿に登りつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

☆千曲川旅情の歌

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日のみを思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を静かに思へ
百年(ももとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ

この二つの詩は明治38年に発売された島崎藤村の詩集「落梅集」に初出したもので、後に藤村自身の選で「千曲川旅情の歌一、二」とした詩です。「秋風の歌」、「初恋」、「椰子の実」と並んで島崎藤村の代表作です。皆さんは「小諸なる古城のほとり」はご存知の方が多いと思いますが、二番の「千曲川旅情の歌」をご存知の方は少ないと思います。
 

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2008年5月 6日 (火)

古河総合公園の桃2

4月1日の茨城県古河市の古河総合公園の桃の花です。桃の花と桜そして柳と菜の花、それに色々な花達が咲いていました。

万葉集から大伴家持の歌。

      春の苑

    紅にほふ

      桃の花

    したでる道に

    出で立つ乙女

(意)春の苑は、紅の色に照り映えている。桃の花に染められてほのかに赤く色づいた道に、佇んでいるよ、紅の裳裾を垂らした少女たちが。

詞書に「春の苑の桃李の花を眺めて作る」とあります。桃李とはモモとスモモです。

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