2009年11月23日 (月)

信州 生島足島神社

11月1日に長野県上田市の生島足島神社へ行ってきました。この神社は生島大神(生みの神)と足島大神(満〈足る〉たす神)の二神を祭る神社です。創建は不明ですがかなり古い神社だと言われています。平城天皇から寄進を受けています。社格は非常に高く延喜式神名帳では名神大社となっています。古代より日本総鎮守と仰がれる極めて古い由緒を持つ大神です。鎌倉時代は塩田北条氏に厚く遇されていました。生島足島神社には武田信玄が信濃の大半を勢力下に置いた永禄9・10年(1566~1567)の数回にわたり信濃はもちろん、甲斐や上野の武将達をここに集め、神前で忠誠を誓わせました。そのときの誓いの文書(起請文)が83通残されており、国の重要文化財に指定されています。この時は武田家の跡取りだった長男の武田義信を謀反の罪により義信の側近を処刑し義信の旗本を八十騎も追放しています。義信は東光寺に押し込め切腹させました。この騒ぎでの家臣の動揺を収めるために生島足島神社の神前で起請文をとったのでしょう。武田信玄も父親の信虎を駿河の今川家へ追放した過去もあり、予防的に英断を下したのでしょう。長福寺は生島足島神社の隣にあり、いまは廃寺とされた神宮寺とともに二寺院が生島足島神社に仕える寺院でした。長福寺の本尊は重要文化財に指定された「銅造救世観音菩薩立像」でしたが、盗難にあい現在は行方不明です。この寺院には法隆寺の夢殿の1/2のサイズの信州夢殿があります。カメラはK-7とシグマ18-200mm&10-20mm&ペンタックス55-300mmです。

生島足島神社:

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長福寺:

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2009年11月22日 (日)

塩田平の秋1

11月1日の長野県上田市の塩田平の龍光院(りゅうこういん)と前山寺(ぜんざんじ)です。龍光寺は塩田北条氏3代の北条義政・国時・俊時の菩提寺です。龍光院は1282年に北条国時が父親の義政の菩提を弔うために創建した寺院です。北条国時は息子の北条俊時ともども51年後に鎌倉の東勝寺で北条得宗家とともに自害し塩田北条氏は滅びました。前山寺は独鈷山の北側にあり面前に塩田平を見下ろす事が出来ます。弘法大師空海が修行霊場として開いたと伝えられています。ここの三重塔は重文で、「未完成の完成塔」と言われています。未完とは二層、三層に縁や欄干や窓が無い為だそうです。龍光院と前山寺の間に塩田北条氏の居城である塩田城址があります。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mm&ペンタックス55-300mmです。

龍光院

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前山寺

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2009年11月21日 (土)

日光田母沢御用邸記念公園1

11月2日の日光市の田母沢御用邸記念公園です。雨の中の庭園は色が綺麗でした。傘をさしての片手撮りはカメラが重くてだんだんしんどくなってきました。カメラバックも内部までずぶ濡れでした。秋の日光田母沢記念公園は綺麗だと聞いていましたが、今回初めて紅葉の最盛期に行く事が出来ました。雨が激しくて風も強かったので大変でした。

田母沢御用邸は日光出身で明治時代の銀行家の小林年保の別邸を基に、明治時代の赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時の皇太子)の静養地として造営されました。その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となりました。戦争中は現天皇の疎開地ともなりました。現在、10棟の建物は国の重要文化財に指定されています。昭和22年に廃用とされ旧大蔵省の管理となり現庭園を除く大部分の土地は隣接している東京大学の日光植物園の所属と変わりました。その後、修復工事を経て平成12年に日光田母沢記念公園として一般公開されています。

カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

一昨日、赤坂の赤坂ACTシアターの中島みゆきの16回目の夜会「~夜物語~本家・今晩屋」へ行ってきました。久しぶりの赤坂でしたがあまりの街の変わりようにビックリでした。中島みゆきのショウは2部構成で1部は意味が全く分からず大掛かりな学芸会のようでした。2部の後半からやっと少し面白くなってきました。仕掛けは大掛かりでした。中島みゆきの夜会を見たのは私は初めてでした。私の知人たちも中島みゆきのファンが多いですが、彼女の夜会は最近面白くないと言っていました。確かに!チケットはS席20,000円でした。値段のせいでしょうか観客は40代後半からの人が多かったです。二人で4万円ですからね!年金生活者には結構厳しい値段です。開演が20時で終了が22時20分でした。晩御飯は赤坂BIZタワーのポルトガルレストランの「カステロ ブランコ」でポルトガルワインと最後はデザートとポートワインを楽しみました。

日本は何故こんなにコンサートや演劇のチケットが高いのでしょうか?40年以上前にヨーロッパへ行った時に、どんな田舎町でも必ず小さいコンサートホールが有って、土曜日や日曜日にはコンサートホールでアマチュアバンドのクラッシックのコンサートをやっていました。演奏者は大工さんや警察官などでした。素人と言えば素人なのですが、演奏は大したものでした。郊外の川べりに行くと高校生やアマチュアのシンホニックバンドがクラッシックや行進曲などを演奏していました。同じようにアメリカの南部の方を旅した時には夜になると郊外のバーに多くの人が集まりアマチュアがジャズの生演奏をしていました。皆、上手かったです。やはり文化の差なのでしょうね。音楽が身近なのです。もちろんクラッシク音楽が最高でJポップスが低いと言う意味ではないのですが生活にクラッシクが合っているのでしょうね。私も高校大学と楽器を演奏していて大学を卒業したら音大に入り直そうと真剣に考えた時期がありました。むかしの話ですが音楽では生活できないと諦めました。

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2009年11月20日 (金)

新宿御苑の秋バラ

10月23日に新宿御苑へ行ってきました。新宿御苑は少し秋が始まりかけていました。ここのフランス庭園のバラ園は綺麗です。カメラはペンタックスK-7とペンタックスレンズ55-300mm&タムロン90mmマクロです。ソフトフォーカスの画像はデジタルフィールターでソフト効果を出しています。

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2009年11月19日 (木)

別所温泉の秋

11月1日の長野県上田市の別所温泉です。安楽寺~常楽寺~北向観音(きたむきかんのん)と回ってきました。別所温泉は日本武尊の東征の時に発見されたと言い伝えられています。平安時代の清少納言の書いた「枕草子」に「湯は七久里、有馬の湯、玉造の湯」と書かれていて古来より日本三大名泉と言われています。七久里とは別所温泉の事だと言われています。鎌倉時代は塩田平を治めていた塩田北条氏の創建による安楽寺の八角三重の塔は国宝に指定されています。安楽寺の隣に常楽寺があり、常楽寺と長楽寺(現在は廃寺)と共に別所三楽寺と言われていました。安楽寺は塩田北条氏の後援もあり鎌倉時代は鎌倉五山の筆頭である建長寺と同格の寺格が与えられていました。常楽寺は北向観音の本坊の寺院です。塩田北条氏は新田義貞の鎌倉攻めに一族をあげて鎌倉へ向かい北条得宗家と共に全滅しました。現在の天台宗総本山延暦寺の256代座主(天台宗最高位)は常楽寺の住職の半田孝淳大僧正です。観音様は普通は南に向かって建てられるものなのだそうです。北向観音は北へ向かって建てられた非常に珍しい寺院です。北を向いて長野市の善光寺へ向いているので裏善光寺とも呼ばれています。善光寺は来世の利益を北向観音が現世の利益をもたらすと言われていて、善光寺と北向観音の両方を回らないと半分しか御利益が無いと言い伝えられています。北向観音の境内には川口松太郎の長編小説「愛染かつら」で、主人公達が菩提寺のカツラの木の下で永遠の愛を誓ったことで有名になったカツラの木があります。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mm&シグマ10-20mmです。

安楽寺:

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常楽寺:

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北向観音:

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2009年11月18日 (水)

11/8の桐生川の紅葉1

11月8日の群馬県桐生市の桐生川の紅葉です。全体的に少し早すぎたようです。桐生の郊外から少し上流に入ったところの紅葉が綺麗でした。もっと上流は紅葉の始まりでした。紅葉の到来が逆転しているようです。11月15日にも再び行っていますが15日には桐生川の下流は盛を過ぎていました。紅葉は難しいですね。高低差のある渓流は何処かでベストな紅葉に出逢えるのが良いですが下流の方が上流より早く紅葉するのは初めて見ました。今回、桐生川へは初めて行きましたが道が狭いのですれ違いが大変でした。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mmとペンタックス55-300mmです。スローシャッターは三脚を渋々と持ち出しました。1/30秒までは手撮りです。

一気に冷え込んできましたね!昨日、タイヤをノーマルからスタッドレスに替えてきました。ノーマルタイヤは2輪にスリップマークが出てきたので来春には新しいタイヤを履かないといけないようです。デフレですからタイヤも安くなっているようです。車は来年の1月で3年目に入るので来年3月に乗り換えるか、来春に新しいノーマルタイヤを買って2年ほど走るかが問題です。その場合は来年11月にスタッドレスも買い替えないといけません。2年間で5万キロ以上走るので4年間だと10万キロを超えてしまいます。これでも最近は昔に比べて走らなくなっているのです。スタッドレスに替えると高速道路でスピードを出せなくなります。それだけ安全運転になりますが、何となく不満!です。もうそろそろ年の事を考えないといけないですね。

千載集から藤原清輔(きよすけ)の歌。

      更(ふ)けにける

    我が世の秋ぞ

      あはれなる

    かたぶく月は

    またも出でなむ

(意)老けてしまった私の人生の秋は悲しいものだ。西へ傾く月は、再び東から昇るだろうけれど。

藤原清輔は藤原氏の六条家の出で六条藤家とも呼ばれています。和歌の家系で歌道家としては藤原俊成(藤原定家の父)の御子左家を凌ぎました。

昨日のニュースによると、社民連代表を務めた前参院議員の田英夫氏が13日に亡くなりました。若い人たちは聞きなれない名前かも知れませんが、TBSの報道番組ニュースコープのニュースキャスターから社会党の参議院議員となり2007年に引退しました。彼の反戦・反権力の思想は多くの人に影響を残しました。反権力だったため自民党などから多くの圧力を受けながら自分の思想信条を貫きとおした人です。ベトナム戦争当時、アメリカが勝っているとの一般マスコミの報道に対し直接ハノイを訪れアメリカが負けていると真実を報道したため当時の佐藤政権から圧力を受けました。惜しい人が亡くなったと思います。自民党政権時代は多くの反戦・反権力のマスコミ人が圧力を受けました。今のマスコミには真実を報道する勇気のあるマスコミ人が果たして何人いるでしょうか?むかし私は小さなテレビ局の総務課長をしていた事がありました。当時、郵政省からテレビ局へ天下ってきた元官僚の役員から私の言う事を聞かないと放送免許を取り上げると言われた事があります。大喧嘩になって放送免許を取り上げられるものなら取り上げてみろ。恥をかくのは郵政省だと言いきってやりました。郵政省の局長に言いつけてやると言ってましたがその後音沙汰なしでした。免許事業には必ず官僚が免許に付属して天下ってきます。どの大手報道機関も天下りを受け入れているはずです。また政府関連の広告宣伝費もマスコミの営業的には大きいのです。ここにマスコミは免許とお金で圧力を受けやすい体質があるのです。その間をかいくぐって真実を報道するのは大変な勇気が必要とされるのです。

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2009年11月17日 (火)

上野公園の芸術の秋

11月10日に上野公園内の東京都美術館で開催されている「冷泉家時雨亭叢書完結記念 冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」へ行ってきました。内容が内容だけに割合空いていました。やはり和歌などに興味がないと面白くないと思います。私には興味津々でした。平安時代から代々続く正倉院みたいなものでしょう。この御文庫に大切に保存されてきた古文書が残っていたので色々な歴史的な出来事の背景が分かって来たのです。また和歌の家として朝廷から勅撰和歌集の編纂を何時命じられても対応できるように古来からの歴史的な歌詠み達の家集を集めて保存してきたのです。古来から勅撰和歌集には同じ歌を勅撰和歌集に載せてはならない決まりがありました。今回は前期でしたが後期の展示も是非行きたいと思っています。

上野公園には昔とは違ってテント村が昼間にはほとんど見る事が出来ませんでした。代わりに寝る道具などを持ったテント村の住人達がベンチに座っているのを多く見かけました。お昼の炊き出しを待っている人達でしょうか並んで座っている人達がいました。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mmです。

昨日、直嶋正行経済産業相が7~9月期の国内総生産(GDP)速報値の公表前に開かれた経済関係者との懇談会で、発表前のGDP数値を漏らしてしまった大ポカをしてしまいました。長らく野党ボケだったので、まだ与党閣僚として自覚が足りないのでしょう。今朝のニュースなどで政府発表前に数字が漏れたのに株価にほとんど影響が無かったことにビックリしたようなコメントがありました。昨日、私も車の運転中にニュースを聴いてさぞかし株価が動いたかと日経平均株価を調べたら20円程度しか上がっていませんでした。10年ほど前にも一度あったらしいですが、その時には一気に500円程上がったそうです。日本は世界から見捨てられ始めているのかもしれませんね。何か不思議な感じです。よほど景気が冷え込んでいるのでしょうね。師走を控えて景気の先行きが不安ですね。どうなるのでしょう?

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国立西洋美術館で古代ローマ帝国の遺産展をやっていました。古代ローマにも興味があるので寄って来ました。その後で西洋美術館の常設展を見て来ました。ここの美術館は珍しく写真撮影を禁止されていません。当然フラッシュやシャッター音は禁止です。ここの常設展は松方コレクションを核としています。私の大好きな作品が数点あります。

K7pt9079カルロ・ドルチェ「悲しみの聖母」
この作品はとにかく美しいです。この作品の前では
ため息が出てしまいます。1655年頃の作品です。







K7pt9084 マリー=ガブリエル・カペ「自画像」
この作品はロココ風の色気を感じます。
フランス革命が迫っていた18世紀には女流画家
がフランスで生まれてきました。他に女性の社会
参加が増えてきた時代でもあります。
この絵からは健康的な若い女性の色気を感じます。
自画像ですのでカペは可愛い女性だったのでしょうね。



K7pt9087 ウイリアム=アドロフ・ブーグロー「少女」
あまり有名な作品ではないようですが可愛い少女です。








K7pt9099 ペーテル・パウル・ ルーベンス「眠る二人の子供」
この二人の子供はルーペンスの姪と甥です。



K7pt9088_2 エミール=オーギュスト・カリョリス=デュラン
「母と子」(フェード夫人と子供たち)
実の娘と孫達を描いた作品です。







この他にも沢山すばらしい作品が展示されていて時間が経つのを忘れてしまいます。

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2009年11月16日 (月)

日光東照宮の秋3

11月2日の雨と風の中の日光東照宮です。日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康を御祭神におまつりした神社です。徳川家康は、元和2年4月17日に駿府城(静岡県静岡市)で75歳で亡くなり直ちに久能山に神葬されました。そして遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。久能山には久能城がありましたが、廃城とされその地に久能山東照宮が創建されました。日光に移された家康の遺骸は日光に葬られ最初は東照社と呼ばれていましたが、のちに朝廷より宮号を賜り、東照宮となりました。日光東照宮の地はもともと二荒山(ふたらさん)神社が鎮座し日光を神域とされていました。二荒山神社はもともと下野国一宮で由緒正しい神社でした。神域は伊勢神宮に次いで日本で2番目に広い神域です。宇都宮にも二荒山神社があり、これは宇都宮二荒山神社と呼ばれています。宇都宮二荒山神社は名門の豪族宇都宮氏から宮司が出ていて日光の二荒山神社とは別な動きをしていたようです。しかし延喜式神名帳(927年)には宇都宮二荒山神社が大社とされていたようです。日光東照宮が日光の二荒山神社の中に久能山から移ってくるについては必ず何かの大きな問題が起きていたはずなのですが!多分、日光二荒山神社は徳川幕府の強圧的なそして金銭的な懐柔策により場所を東照宮に譲ったのだと思います。日光二荒山神社は後北条氏に加担したため豊臣秀吉より領地を没収され非常に困窮していたそうです。その後を継いだ徳川政権は当然社領を復活させ厚く遇したに違いがありません。

宇都宮景綱の家集「沙弥蓮愉集」から。

      秋の色も

    まだふかからぬ

      もみぢ葉の

    うすくれなゐに

    ふる時雨かな

(意)秋めいた色もまだ深くない紅葉の薄紅。時雨がそこに降り注いで薄紅に添えようとするかのようだ。

詞書に「宇都宮社の九月九日まつりの時よみ侍る」とあります。宇都宮二荒山神社のお祭りを詠ったものでしょう。祖父の宇都宮頼綱は藤原定家と親交がありました。宇都宮頼綱は畠山重忠の変に北条氏に従い畠山重忠を討つのに功をあげましたが、畠山重忠に同心したとの疑いと舅にあたる北条時政と牧氏の陰謀に加担したとして誅伐を命ぜられました。宇都宮頼綱は直ちに出家して実信房蓮生(じっしんぼうれんじょう)と名乗り鎌倉へ出頭し無実を訴えました。訴えが認められると京都の小倉山の山荘に隠棲をしました。引退しても下野国の大豪族の宇都宮氏の棟梁だったので隠棲資金は潤沢で京都の大寺院の修復などの資金元になったり、歌会を催したりして風雅な生活を送っていました。また伊予守護職になったりして隠棲してから楽しく過ごしたようです。藤原定家の選んだ小倉百人一首は宇都宮頼綱(蓮生)が京の別荘小倉山荘に隠棲していた時に、定家に古今の歌人の代表作の色紙染筆の制作を依頼し、その作品の和歌98首をその襖絵として飾ったことに始まると言われ、その事から小倉山荘の名前から小倉百人一首と呼ばれるのです。当時、藤原定家は和歌の家としてだけではなく広く芸術のプロデュースもしていたようです。宇都宮頼綱は宇都宮歌壇を京都歌壇・鎌倉歌壇と並び日本三大歌壇と呼ばれる礎を築きました。

11/14のZakuZaku(産経新聞)のWeb版に田中角栄元総理と鳩山総理の気になる記事が載っていました。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20091114/plt0911141350002-n2.htm
可能性は高いのです。日本の少し古い政治家は田中角栄事件以来アメリカが怖くなっているのです。アメリカに逆らうとローキード事件の時のように秘密文書が偶然に郵便局の配達ミスを誘うと言われているのです。属国日本が勝手な事をするのを許さないのでしょうね。アメリカは国益のためには反アメリカと判断すると潰しにかかります。それが国際紛争が絶えない根本原因の一つなのです。その事をアメリカ自体が理解していないので、世界中から嫌われるのです。9.11テロのアルカイダも元々はCIAの下部機関でした。北朝鮮やイランの核はアメリカへの恐怖から作られたものです。中国の核は台湾海峡から本土の中国共産党が台湾を侵攻するのを防ぐためにアメリカが核を使って中国共産党を牽制した事から中国共産党はすべてに優先して核開発をしたのです。最近の研究では中国は核開発の為に6千万人が餓死したとも言われているのです。当時の中国の人口は6億人でした。信じられますか!国民の10人に1人が餓死しても国(?)を守るために核開発をしたのです。北朝鮮も同じです。平和ボケしてきた日本人には理解不能でしょう。また自己中心のアメリカにも理解は不能でしょう。これから日本をどのようにして守るかは非常に難しい問題です。アメリカ抜きには考えられないでしょう。いかに上手にアメリカと付き合うかがこれからの日本の政治家にとって頭の痛い問題となります。安っぽい愛国主義やいい加減な御都合主義では日本を維持出来なくなるでしょう。自己主張が出来ない国家は世界中から馬鹿にされます。日本は世界に向けて堂々と主張できる平和憲法を持っていて、過剰すぎるほどの屈指の防衛力を持っています。これからの日本は軸足をアメリカから他に移す事を真剣に考えないといけないでしょう。アメリカからは裏切りと見られるかも知れませんが。

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2009年11月15日 (日)

小諸城址 懐古園の秋2

10月30日の長野県小諸市の小諸城址です。ここは隣の上田城とはかなり感じが違うように思います。小諸城のほうがシットリとした感じです。やはり日比谷公園を設計した本多静六博士の設計による公園だからでしょうか?小諸佐久地方は東信州から関東平野へ攻め込む時に使う峠である碓氷峠と内山峠と十石峠を防御する重要な地点です。武田信玄もこの3つの峠を使って関東へ攻め込みました。小諸佐久地方は戦国時代から関東防衛の重要拠点でした。幕末には佐久市の龍岡に幕府老中・陸軍総裁だった松平乗謨(のりかた)が築いた洋式の龍岡城があります。この城は函館の五稜郭を小型化したもので防御と攻撃の両方ができる戦闘用の城で日本では五稜郭の城は龍岡と函館だけです。松平乗謨は徳川幕府の中心人物の一人でしたが最後に幕府と決別し名前を大給恒(おぎゅう ゆずる)と改め北越戦争では新政府側として藩をあげて出兵しました。明治政府では主に叙勲勲章制度を取り仕切り、日本赤十字社の前身の「博愛社」の創設に力を置き、日本赤十字社をつくり育てた人」と言われています。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mmです。

島崎藤村の「千曲川旅情の詩」

 昨日またかくてありけり
 今日もまたかくてありなむ
 この命なにを齷齪(あくせく)
 明日をのみ思ひわづらふ

 いくたびか榮枯の夢の
 消え殘る谷に下りて
 河波のいざよふ見れば
 砂まじり水卷き歸る

 嗚呼古城なにをか語り
 岸の波なにをか答ふ
 過(いに)し世を靜かに思へ
 百年(もゝとせ)もきのふのごとし

 千曲川柳霞みて
 春淺く水流れたり
 たゞひとり岩をめぐりて
 この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ

この歌は「小諸なる古城のほとり」と対になった歌です。小諸なる古城のほとり・・・で歌い始める有名な歌は後に「千曲川旅情の歌」と題されました。

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2009年11月14日 (土)

古峯神社の秋

11月24日の栃木県鹿沼市の古峯神社です。古峰ではなく古峯が正しいようです。この神社は1300年前からこの地、栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原(こぶがはら)に鎮座しているそうです。日本武尊をお祭りしている神社です。古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人の修行の場となり、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し日光開山をしました。この神社は別名「天狗の社」と呼ばれています。天狗は神のお使いとして、崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難を取り除いてくれる(災厄消除・開運)偉大なる威力の持主として広く根深い民間信仰を集めています。この神社の中に古峯園と言う25,000坪の回遊式日本庭園がありモミジが有名なところです。最後の写真は石造りの天狗の面です。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

オバマ大統領と鳩山首相の首脳会議では細部については公開されていませんが沖縄の基地の問題はかなり突っ込んで話し合われたはずです。沖縄の基地の問題に限らず、日本にあるアメリカ軍基地はの問題は政権が変わったのですから時間をかけて見直すべきでしょうね。しかし国際的なルールから時間は日本の時間ではなくアメリカの時間も見ないといけないでしょうね。原則はお互いに前政権の取り決めは尊守するものだと思います。そもそも沖縄からアメリカ軍の基地が無くなると一番困るのは沖縄県民でしょう。日本政府のアメリカへの思いやり予算が逆流して一部が沖縄県に流れてきているのです。沖縄の不動産価格が日本の過疎の県より大幅に高いのにはその様な裏の理由があるのです。公務員より基地で働く方が高待遇で賃金も高いのです。また飛行場の移設も沖縄県内の建設土木業業者を救済する意味もあるのです。そのために沖縄のジュゴンは見捨てられるのです。沖縄経済はアメリカ軍基地なくしては成り立ちません。長期に渡り自民党政権が続き、見直す事が出来なかったのがすべての原因です。やはり政権交代は必要だったのです。日本のマスコミは今まで沖縄の現実を報道してきたのでしょうか?非常に疑問です。沖縄の問題は根底に太平洋戦争で唯一陸上戦が行われアメリカ軍により軍事的に占領された歴史があります。歴代の日本政府もアメリカに遠慮し、また沖縄県民に対し後ろめたい感情を持っていたのです。

思いやり予算とは1978年に金丸信防衛庁長官(当時)が日米地位協定さえも無視してふみきったもので、米軍基地整備費に加え、1987年から5年ごとの思いやり協定で基地従業員の基本給や光熱水料などへも対象を広げ、いまや米軍給与以外のほぼすべての経費を日本が負担し、負担額も当初は62億円だったものが今年度は2,000億円以上に膨れ上がっています。アメリカと軍事同盟を結んでいる国は沢山ありますが、思いやり予算などと言うものをアメリカに出しているのは日本だけです。そもそも日米地位協定24条は、「合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費は合衆国が負担する」と明記しています。この思いやり予算について、私は金丸氏が逮捕される数日前に金丸氏にパレロワイヤルビルの部屋で直接二人だけで会って1時間半ほど色々と話した事があります。私が一番最後に金丸氏に逢った一般人だったそうです。その時に新党構想などの話の中で思いやり予算の事が話題になりました。金丸氏は「番犬にも餌をやらなきゃならん」と日本を守るコストだと言っていました。金丸氏もこれほど金額が膨れ上がるとは想像していなかったと思います。5年ごとに見直すと言う事は当時の日本政府にも無理した法解釈だったのでしょう。日米地位協定の本旨に戻す事は日本政府の強固な決断があれば可能です。国際法上も問題はありません!はっきりと結論を言えば日本の政治家達がアメリカにはめられた田中角栄元総理の二の舞になる事を恐れなければ出来る話です。その点が私の言っている日本にはプロの政治家は要らないの一つの根拠です。プロの政治家は利権と結び付く可能性が高くなり官僚に取り込まれる可能性が高いのです。これからは右翼の安っぽいナショナリズムではなく、新しいナショナリズムが生まれてくるのでしょう。

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2009年11月13日 (金)

長野県中野市 一本木公園のバラ園1

10月31日の長野県中野市の一本木公園のバラ園です。中野市は日本中に沢山同じ中野の名前の町があるので区別の為に信州中野と一般的には呼ばれています。ここのバラ園は綺麗です。難を言えば平坦すぎるかもしれません。バラも美しいですが紅葉も素晴らしい公園です。ここの公園の5月下旬から6月上旬の春バラの季節は570種類1,200株のバラが一斉に咲きだし、素晴らしいバラの競演となります。カメラはペンタックスK-7&シグマ18-200mm&ペンタックスレンズ55-300mm&タムロン90mmマクロです。ソフトフォーカスはカメラ内部のデジタル・フィールターです。

中野市は作曲家の中山晋平(旧新野村)や唱歌「故郷(ふるさと)」や「おぼろ月夜」の作詞者・高野辰之博士(旧豊田村)の出身地でもあり、詩情豊かなふるさとの情景が多く残っている地域です。高野辰之博士の作詞の情景は常に故郷の豊田村の情景が頭の残り、それを詩にしたのです。まだ中野市の郊外には北信州の美しい風景が多く残されています。故郷を持っている人は幸せですね!

故郷(ふるさと)   高野辰之 作詞

 兎追ひし かの山
 小鮒(こぶな)釣りし かの川
 夢は今も めぐりて
 忘れがたき 故郷(ふるさと)

 如何(いか)にいます 父母
 恙(つつが)なしや 友がき
 雨に風に つけても
 思ひ出(い)づる 故郷

 志(こころざし)を はたして
 いつの日にか 帰らん
 山は青き 故郷
 水は清き 故郷

この歌は北朝鮮拉致被害者家族連絡会が集会の終わりに必ずみんなで歌う曲だそうです。胸にジンときますね!私がむかし香港に駐在している時に領事が日本の若い女性が何人も香港で神隠しにあっていると言っていました。行方不明になった経緯などを聞いたところ不思議なことだらけでした。当時はサウジアラビアの王族のハレムに売られたのではないかと言われていました。いま考えると犯人は北朝鮮かもしれませんね。当時、私の会社の子会社の船会社が日本と北朝鮮の交易をほぼ独占していました。その船で香港から北朝鮮へ運ばれていたのかもしれません。当時、北朝鮮から香港へ寄港した船の船長が前回北朝鮮へ行ったときに次に来る時は魚探を持って来いと言われたが、どうしたらいいと言ってきました。私は禁輸品を北朝鮮へ持っていっては絶対にダメと持ち込みを禁止しました。北朝鮮はいまでも朝鮮戦争を続けているのです。事実、朝鮮戦争は終わっていません。休戦状態が続いているのです。北朝鮮・イラク・アフガンみんなアメリカが戦争を始め勝手に苦しんでいるのになぜ日本が巻き込まれなければいけないのでしょうか?

今日はアメリカの大統領が日本で日米首脳会議が行われます。北朝鮮が国際社会に入ってきて東アジアに紛争の起きる問題が無くなったとしたら、日本国内のアメリカ軍基地はいらなくなりますね。当然、アメリカ軍への思いやり予算も要らなくなるわけです。その時アメリカは日本無しには世界中のアメリカ軍の維持が出来なくなりますね。アメリカのキャッシュ・ディスペンサーが無くなるわけです。いまこそアメリカの駐留なしの日米安全保障を真剣に考えておくべき時期かもしれません。やはり日本の平和憲法を前面に出してオーストラリアやニュージーランドとの関係を深める必要もありますね。当然、中東やアジア諸国とも独自の友好関係を築いていかないといけません。やはり鳩山首相はその点を読んでいるのでしょうか?

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2009年11月12日 (木)

日光東照宮の秋2

11月2日の日光東照宮です。雨は降り止みません。だんだん強くなって風も出てきました。雨に強いオリンパスのE-3ならば雨の中でも平気なんですが、ソニーのα900を持ち出しましたので何となく不安です。一応防塵防滴仕様のはずですが、やはりオリンパスの悪条件下での強さには敵わないと思います。三猿も撮ってきました。見ざる・言わざる・聞かざるです。三猿の話は8世紀に天台宗の教えとして漢語の「不見、不聞、不言」を訳したものとの説があります。古代から世界中に同じような話があります。埼玉県の秩父神社には日光の三猿と反対の「よく見て・よく聞いて・よく話す」と言う三猿(お元気三猿)の彫り物が本殿西側にあるそうです。秩父神社の本殿は徳川家康が寄進したもので、日光東照宮のモデルだったと言われています。

万葉集から大津皇子と石川郎女(いしかわのいらつめ)の相聞の歌。

  あしひきの 山のしづくに 妹待つと

     我立ち濡れぬ 山のしづくに   大津皇子

(意)あなたを待つと、山の木々の下に佇んで、私は雫に濡れてしまったよ。山の木々から滴り落ちる雫に。

  我(あ)を待つと 君が濡れけむ 足引の

     山のしづくに ならましものを   石川郎女

(意)私を待ってくださって、あなたがお濡れになった。その山の雫になれたらよいのに。

万葉集に石川女郎(いしかわのいらつめ)と呼ばれた大津皇子の侍女の歌が載っています。同一人物かも知れませんが万葉集では別人となっています。大津皇子は悲劇の皇子です。何度かブログに書いていますが、。『懐風藻』によれば身体容貌ともに優れていた皇子で父の天武天皇(大海人皇子)が亡くなると兄の皇太子であった草壁皇子の母親である叔母の讚良皇女(持統天皇)により反乱の罪を着せられ殺されました。あまりにも優秀で貴族達の注目を集めたために予防的に殺されたのでしょう。

夕刊フジのインターネット版です。http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20091111/plt0911111618003-n2.htm

読売新聞のインターネット版です。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091111-OYT1T00809.htm

昨日から国家予算の仕分けが始まりました。公開されて非常に面白いですね。今まで闇の中で行われてきた予算配分の一端が国民の前に露わになってきているのです。マスコミの馬鹿は財務省支配の仕分けと言っていますが、本当にマスコミは馬鹿ですね。自分たちが今まで自民党政権下で闇の予算配分に加担してきたのでしょう。今までの予算の配分は自民党の族議員の利権確保の絶対命題の中で緊縮財政の財務省x予算分捕り手前勝手に使える予算獲得各省庁との戦いだったのです。民主党の議員は野党で全く関与できなかったのです。今回一般の有識者を含めた民主党と財務省連合軍で官僚の聖域に切り込んでいるのです。財務省主導でもとりあえず良いと思います。国民に見せなかった闇が一部でも明らかになれば今後の政治に間違いなく良い意味で反映されます。細かいところが分からない国会議員だけでできる筈はありません。皆の力を結集して良い方向へ向かえばいいのです。必要なら官僚の力を使うのも良いでしょう。予算配分に関しては財務省は常に緊縮派です。しかし、今回の事業仕分は議論の時間が足りないことは明らかです。これからはもっと時間を取って官僚と仕分人との論議を期待したいと思います。まず無血革命の初めの第一歩でしょう。政治は民主党政権になって確実に変わってきています。一般国民には分からないかも知れませんが政府委員の人選等にその事が極端に表れています。

「事業仕訳」というのは、構想日本という政策シンクタンクが長年続けてきた改革の手法で、民主党政権になって早速取り入れたことで注目されるようになったものです。これまで多くの(?)地方自治団体で地道に行われてきていました。市民感覚を取り入れるのは地方の方が進んでいるかもしれません。

はっきり言って小沢幹事長は馬鹿ですね!古い政治家なのでしょう。いまだに昔の田中派の発想で政治ができると思っているのです。確かに政治は当選してきた政治家の多数決で決するものです。しかしそれはもう古いのではないでしょうか!今回の事業仕分人に選ばれた人は国会議員でなくても十分に知識を振るえます。外国人が入っても構わないと思います。古い国会議員には市民感覚あるいは国民感覚は分からなくなっている人が多いと思います。新人議員の方がその点は優れている人が多いのではないでしょうか。今回の民主党政権でも分かると思いますが、今後の政治家は有能でなくては務まりません。軍隊のように飯の数だけでは政治家は政治家を続ける事は出来なくなるのです。政治屋は段々と淘汰されてくるでしょう。国会議員にも任期によっての定年制が必要になると思います。年齢ではなく在任期間での定年制です。官僚にとってこれからはいい加減な事が出来なくなります。国会議員も勉強に勉強の連続でしょう。当然な事が今まで行われてこなかったのでしょう。官僚と国会議員のガチンコ勝負!面白くなりますね。これからの国会・地方議員は大変な知識と先見性を求められます。馬鹿には務まらなくなるでしょう。

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2009年11月11日 (水)

日光 裏見の滝

10月28日の日光の裏見の滝です。ちょうど山伏や信者が集まって祭礼の日でした。裏見の滝では昔から5月と10月の28日には荒澤不動尊護摩供が行われているそうです。この滝は大谷川の支流荒沢川の上流にある滝で滝の後ろ側に不動明王が鎮座していますので裏見の滝の名前がついたのだと思います。画像の中ほどの紅白の幕のある写真に不動明王が小さく写っています。この滝は滝修行の地で幅の広い滝の下で山伏修業が行われるそうです。日光には開山勝道上人以来、1,200年にわたり山岳信仰と修験者の修養が伝えられてきました。そして、その広大な地域に多くの神仏が祀られ現代まで続けられています。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&トキナー19-35mmです。

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2009年11月10日 (火)

軽井沢 雲場池の紅葉2

10月30日の軽井沢の雲場池です。真っ赤に焼けたような水面に映るモミジは雲場池の横を流れる御膳水の流れです。カメラはペンタックスK-7とシグマレンズ18-200mm&ペンタックスレンズ55-300mmです。

古今集から凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)の歌。 

      風吹けば

    落つるもみぢ葉

      水きよみ

    散らぬ影さへ

    底に見えつつ

(意)風が吹くたびに落ちる紅葉、水が澄んでいるので、まだ散らずに残っている葉の姿までも底に映っている。

詞書に「池のほとりにて、もみぢのちるをよめる」とあります。散った紅葉は水面に、まだ散らない紅葉は水底に映って見えると昔は考えていたのでしょう。

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2009年11月 9日 (月)

伊奈町町制施行記念公園の秋バラ2

昨日は群馬県の桐生川上流へ行ってきました。まだ少し早かったです。今週半ば頃から綺麗になるでしょう。気温が下がらないとどうなる事やら!来週には桐生川の上流の画像をアップできると思います。

10月21日の埼玉県伊奈町のバラ園です。カメラはソニーα900とソニー70-300mmG&ミノルタ100mmF2.8ソフトです。

風雅集から藤原(京極)為子の歌。

      時ありて

    花も紅葉も

      ひとさかり

    あはれに月の

    いつもかはらぬ

(意)花も紅葉も、それぞれの季節があって、盛りはひとときだ。ところがあわれ深いことに、月はいつも変わらぬ姿で空にある。

京極為子は京極派和歌の創始者で主導者の京極為兼の姉です。藤原定家の曾孫です。京極派の和歌は玉葉集・風雅集に主に表されています。政治的な観点から二条派和歌に圧倒され、長らく評価が低かったのですが近代になり多くの研究者により再び評価されてきました。現代では岩佐美代子氏の研究でその歌風等の研究が進みました。私はこの歌風が繊細で好きです。藤原定家の家系は孫の代に二条家・京極家・冷泉家の三家に分かれそれぞれが和歌の家となりました。最初に京極家が断絶し、後に二条家も断絶しました。現代まで残ったのは冷泉家の上冷泉家と下冷泉家だけです。上冷泉家は京都の屋敷の御文庫の中に冷泉家時雨亭文庫(れいぜいけしぐれていぶんこ)を平安時代から現代まで保存していて、国宝・重文等多数の文化遺産を現代まで伝えました。この文庫のおかげで平安時代の歴史で分からなかった事実や、失われていた色々な家集の写本等が多数発見されました。下冷泉家は室町時代は将軍家に厚く遇され豊臣秀吉かも厚遇を受けましたが江戸時代になり幕府からは上冷泉家が下冷泉家に代わり厚く遇されました。

「冷泉家時雨亭叢書完結記念 冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」 が上野の東京都美術館(原則月曜日は休館です)で現在前期が催されています。私も行きたいのですが半端な混み方ではないでしょうね!上冷泉家で享保(1716~1735)の時代から伝わる香(八千代)を昨夜焚いてみました。名前は中御門天皇が八千代と名付けたそうです。なにか古臭い香りでした。

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2009年11月 8日 (日)

日光東照宮の秋1

11月2日の日光東照宮です。天気予報では午後3時以降から雨との予報でしたが、早朝から雨が降り続きました。しかもかなり強い雨で風も出てきました。結局、この日は夜まで止まずの雨でした。傘を左手で持ち右手でカメラを構えての苦労の作です。本当はC-PLを付けるとモミジの葉の雨のテカリが消えて綺麗な色になるのですが、そんな事は言っていられない状態で非常に疲れました。カメラとレンズも濡れてしまうのでタオルをカメラのストラップに結わえてカメラを覆いながらの移動でした。カメラのバックは雨が浸透してカメラバックの中のレンズも濡れてしまいました。小雨ならシットリとした紅葉を撮れるのですがとにかく撮ることに集中しました。これほどの雨の中で写真を撮るのは久しぶりでした。東照宮の紅葉は非常に素晴らしかったです。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

アメリカでアフガンへ派兵される精神科の軍医が銃を発砲して沢山のアメリカ軍兵士が死傷しました。アメリカは混乱しているのでしょうね。そもそもブッシュの馬鹿がアフガンやイラクに軍事干渉して世界中の混乱の元にしてしまったのです。小泉の馬鹿も同調しました。アメリカは自分でまいた種は自分で刈り取ればいいのです。日本はアメリカの馬鹿な行動を助ける必要はありません。アメリカはアフガンからソ連の様に撤退するしかないでしょう。ベトナムもフランスが維持できなくて撤退した後に、アメリカが入って行き、結果多くの犠牲者を出して逃げ出しました。アフガンもイラクも同じ事の繰り返しでしょう。アメリカの馬鹿な行動に日本は付き合う必要はありません。イラクもアフガンも馬鹿がアメリカ大統領でなければ馬鹿な介入はしなかったでしょう。イラクなどはイランの押さえにアメリカがサダム・フセインを後援していたのです。サダム・フセインを滅ぼした結果抑えのなくなったイランが勝手なことを始めたのです。アフガンはテロリストと言われているのアルカイダをタリバーンが匿っていると侵攻しました。結果はアルカイーダほぼ全国を抑えてしまいました。アメリカのなすことすべてが失敗です。あまりにも単細胞な考え方です。失敗よりもっと悪い結果になっているのです。皆さんも自分の家族が理由もなくアメリカ兵に殺されたら復讐しようとするでしょう。そこがアメリカ国民は何度も繰り返しているのに理解できない不思議な国民なのです。

日本航空は破産の瀬戸際です。政府は救済しようとしています。これは無理でしょう。やはり一度倒産させて新しい会社を立ち上げていくしかないと思います。それが一番簡単で国民に損をさせない方法だと思います。異常に高い企業年金はゼロにして厚生年金だけにすればいいのです。倒産すれば企業年金はパーです。日本航空は一応ナショナルフラッグの会社で国家のメンツにかけても潰せないとの意識が政府にあるのでしょう。ナショナルフラグを全日空にして、新日航は日本国内だけに限定させればいいのです。自民党政権での無駄な地方空港は半分ほど閉鎖して無駄遣いのモニュメントとして残しておきましょう。新日航は大型ジェット機を売却して新たに小型飛行機をリースして営業再開させれば残された地方空港も生き残れます。日本航空の従業員も2~3割は雇用を続けられます。

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2009年11月 7日 (土)

小諸城址 懐古園の秋1

今日は二十四節気の立冬です。暦の上では今日から冬に入ります。もう冬なんてなにかオカシナ感じですね!今日から立春の前日までが暦の上では冬となります。七十二候だと五十五候目の立冬の初候となります。候とは二十四節気の各節気をそれぞれ3等分したものです。暦は難しいですね。ちなみに今日は旧暦では9月21日の大安です。ますます訳が分からなくなります!

10月30日に小諸城址へ行ってきました。小諸城は全国でも珍しい城下町より城のほうが低い土地に城が建てられた穴城です。この城はお濠を用いず谷と山と崖を防御の拠点としました。城の西側を流れる千曲川が天然のお濠と言えるかもしれません。カメラはペンタックスK-7とシグマ18-200mmです。

島崎藤村の有名な詩の「小諸なる古城のほとり」です。

 小諸なる古城のほとり
 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
 緑なすはこべは萌えず
 若草も籍(し)くによしなし
 しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
 日に溶けて淡雪流る

 あたゝかき光はあれど
 野に満つる香(かおり)も知らず
 浅くのみ春は霞みて
 麦の色わずかに青し
 旅人の群はいくつか
 畠中の道を急ぎぬ

 暮行けば浅間も見えず
 歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
 千曲川いざよう波の
 岸近き宿にのぼりつ
 濁(にご)り酒濁れる飲みて
 草枕しばし慰む

この歌は弘田龍太郎により曲がつけられ千曲川旅情の歌として広く歌われてきました。この詩は少し分かりにくいのですが、島崎藤村が明治38年に発行された詩集「落梅集」の中で「小諸なる古城のほとり」を冒頭に置き、続けて「千曲川旅情の詩」を後半として載せました。後に藤村自選の藤村詩抄に「千曲川旅情の歌一・二」として載せました。

小諸城は平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した木曽義仲の武将小室太郎光兼の築いた館が始まりとされています。その後、小諸佐久地方を治めていた大井氏の城となりましたが武田信玄に攻められて落城し武田家の武田信豊(信玄の甥)が小諸城に入りました。江戸時代には要衝の地であったので代々譜代大名が入りました。大正15年に日比谷公園を設計した有名な本多静六博士により公園として設計されました。

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2009年11月 6日 (金)

軽井沢 雲場池の紅葉1

10月30日に旧軽井沢の別荘地帯を抜けて雲場池へ行ってきました。雲場池は背の高い木々に囲まれているので割合に波が立ちにくいので新緑の季節は美しい緑が、紅葉の季節には美しいモミジが静かな池の面に鏡のように映ります。また雲場池に隣接する別荘地の庭を流れる小川にも紅葉が綺麗に映ります。この小川は御膳水と呼ばれ雲場池の上手の「ホテル鹿島の森」を水源地とし、この水が一部せき止められて雲場池となっています。紅葉の季節の旧軽井沢は見事なモミジの紅葉で彩られています。旧軽井沢は建築規制があり広い敷地に別荘が建っていて、地面は見事な苔で覆われ、その上に紅葉した葉が落ちています。軽井沢も数年前のミニバブルの直前には売り別荘の看板だらけでした。いまは売り別荘の看板はほとんど見る事ができません。その時に買っておけば良かったと後悔しています。カメラはペンタックスK-7とシグマレンズ18-200mm&ペンタックスレンズ55-300mmです。

古今集から素性法師の歌。

      もみぢ葉の

    ながれてとまる

      湊には

    紅深き

    浪やたつらむ

(意)川に散り落ちたもみじ葉が流れて行き着く先の湊には、深い紅色の波が立つことでしょう。

詞書に「二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢ流れたるかたを画けりけるを」とあります。つまり二条の后が皇太子の后だった時に部屋に置かれる屏風絵に添えられた歌です。二条の后は陽成天皇の生母で古今和歌集が編纂された時は東光寺の座主善祐との密通を理由に皇太后を廃されていました。

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2009年11月 5日 (木)

奥日光 中禅寺金谷ホテルの紅葉

10月28日に日光の中禅寺湖畔にある中禅寺金谷ホテルの裏庭の紅葉を撮りに行ってきました。ここの紅葉は表庭も裏庭も素晴らしいです。表庭はほとんど終わっていましたが裏庭は綺麗に紅葉していました。前回日光の中禅寺湖畔を歩いた時にここへ回りたかったのですが時間がなくて行けませんでした。その時ならば前庭の綺麗な紅葉も見られたと思い少し残念でした。最後の4枚はいろは坂の下りの終点近くの山の紅葉です。いろは坂の上から下近くまで紅葉はほとんど終わりかけていました。

後撰集から紀貫之の歌。

      秋の月

    ひかりさやけみ

      紅葉ばの

    おつる影さへ

    見えわたるかな

(意)秋の月の光が鮮明なので、紅葉した葉の落ちる姿さえ隅々まで見える。

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2009年11月 4日 (水)

熱海 アカオハーブ&ローズガーデンの秋バラ2

10月17日の熱海市のアカオリゾートのハーブ&ローズガーデンです。ここの春バラは素晴らしいです。今年の秋はあまり出来がよくありませんでした。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mm&ミノルタ100mmマクロ&ミノルタ100mmソフトです。

古今集から紀貫之の歌。

      秋の野に

    乱れて咲ける

      花の色の

    ちぐさにものを

    思ふころかな

(意)秋の野に乱れ咲いている花の色はいろいろだけれども、それとおなじように千草の様にいろいろと思い乱れる私の気持ちだ。

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2009年11月 3日 (火)

忍野の秋

昨日は、日光の天気予報では15時ごろまで曇りマークでしたので日光東照宮へ行ってきました。しかし、朝から雨で、それもかなりの雨となり風も出てきました。それにもかかわらずいっぱいの観光客でした。さすがに団体客が多く個人客は少なかったです。東照宮の内部に入るのは久しぶりでした。日光山の紅葉は見頃で見事でした。強い雨でしたので、かなり無理をした写真となり、どこを撮っても傘が入ってしまいます。雨のしっとりとした写真には程遠い写真になってしまいました。こんな凄い雨になるのなら持っていくカメラはE-3にすべきでしたがソニーα900を持ち出しました。カメラとレンズは今朝もまだ陰干しをしています。

10月17日に山梨県の忍野へ行ってきました。まだ秋には早かったですが、八海庭園「彦兵衛屋敷」には綺麗な秋が来ていました。八海庭園は入場料は200円です。料金箱に入れて入園します。この日は生憎の曇りで厚い雲で富士山は見えませんでした。晴れていれば八海庭園の奥に富士山が見えるのですが、今回は残念でした。最初の4枚は忍野の街にある承天禅寺です。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

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2009年11月 2日 (月)

伊奈町町制施行記念公園の秋バラ1

昨日、野尻湖から帰ってきました。一人だったので飛んで回って来ました。撮った画像は三日間で軽く千枚を超えました。先日10月28日に日光と古峰神社へ再び行ってきました。その写真もほぼ千枚ほどです。合計二千枚の整理が出来ていません。これからボチボチとブログにアップしたいと思います。会社の決算も一息がついたので少し安心です。今朝もどこかへ出かける予定です。

10月21日の埼玉県伊奈町の町制施行記念公園の秋バラです。今年の秋の伊奈のバラ園はこれで2回目ですが、たいぶ花が咲きだしていました。秋のバラは小さいものなのですが今年の花は普通より少し小さいですね。伊奈町は当初はさいたま市と合併するはずでしたが、町独自の考え方から合併から離脱しました。伊奈町は在来線と東北・長野新幹線の線路により3つに分割されました。埼玉県の革新県政は大宮以南上野駅まで新幹線を通す見返りに埼京線を通勤新線として新設する事と、鉄道の駅のなかった伊奈町に新幹線に併設してモノレールを引く事、それと全新幹線の列車大宮停車を条件にして政府と国鉄と地域住民と交渉し、その条件を呑ませる事に成功しました。大宮全列車停車は今はなし崩しにされてしまっています。国民の利便のためには仕方がない事だと思います。カメラはソニーα900とソニー70-300mmG&ミノルタ100mmF2.8ソフトです。

古今集から紀貫之の歌。

      露ならぬ

    心を花に

      おきそめて

    風吹くごとに

    物思ひぞつく

(意)花に置いた露は風が吹けば散ってしまいますが、露のように真面目な私の気持ちを、花のような美しい貴女に置き始めてからというもの、貴女の風の噂を聞くたびに、悩ましい思いに取り付かれるのです。

この歌は現代語に訳するのが非常に難しい歌です。そのまま読んだほうが意味が良く分かると思います。もともとは桜の花を詠ったのだと思いますがバラのように綺麗な花に置き換えても良いと思います。

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2009年11月 1日 (日)

黒部渓谷

10月13日の黒部渓谷です。富山県黒部市の宇奈月温泉から黒部渓谷鉄道のトロッコ列車に乗って鐘釣まで往復しました。紅葉には少し早すぎましたが、景色はなかなか良かったです。帰りは雨が少し降ってきました。トロッコは窓の付いた列車もありますが私達の乗ったトロッコは窓なしでしたので外側に座った人達は少し濡れてしまいました。それだけに走るトロッコから景色を写真に撮ることができました。黒部川の川の色が印象的でした。鐘釣では河原に温泉が湧き出ていて皆さんが足湯を使っていました。カメラはペンタックスK-7とシグマレンズ18-200mmです。

万葉集から大伴池主の歌。

      落ち激(たぎ)

    片貝川(かたかひがわ)の

      絶えぬごと

    今見る人も

    止まず通はむ

(意)激しく流れ下る片貝川の水が絶えないように、いま立山を見る人は将来も止むことなく通い続けるだろう。

この歌は前に書いた大伴家持の立山賦に答えた大伴池主の詠った長歌と返歌2首のうちの最後の返歌です。

大伴池主は大伴一族です。経歴などはよくわかっていませんが、大伴家持が越中守で越中に駐在していた時に部下として次官級で越中国衙にいた事が分かっています。この歌も同じ役所で上司の大伴家持が詠った立山賦を受けての歌です。大伴池主は藤原仲麻呂(のちの恵美押勝)に対して反乱を起し女帝の孝謙天皇を廃位しようとした橘奈良麻呂の乱の同調者として逮捕され入獄した事までは分かっていますが、処刑されたとは記録に残されていません。多分、獄内で病死したのだと思われます。

片貝川は立山連峰の北側の毛勝三山を水源とし、北側に黒部川が流れ南側に片貝川が流れています。

宇奈月温泉事件は法律を勉強した人は必ず目にする民法判例百選の1番目の判例です。私は商学部でしたのでこの事件は勉強した事がありませんが、その後、社会人になりこの事件の判決を読んだ事がありました。この温泉を舞台にした民事の判決で権利の濫用の文言が明確に規定されました。権利について勉強をするには大変良い教材だと思います。

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2009年10月31日 (土)

奥日光 中禅寺湖畔の紅葉3

10月16日の中禅寺湖畔の紅葉です。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ500mmです。

古今集から読み人知らずの歌。

      秋は来(き)ぬ

    紅葉は宿に

      降りしきぬ

    道ふみわけて

    とふ人はなし

(意)秋はやって来た。紅葉は我が家の庭にしきりに降り敷いているが、道を踏み分けて訪れて来る人はいない。

何か悲しい感じがしますね。誰もがいずれ定年を迎え、静かな余生を送る時がきます。まだまだ私は頑張っています!

奥日光にはクラッシク音楽がよく合います。以前、ブログにも書いたことがありますが私は奥日光で写真を撮る時はフォーレのピアノ四・五重奏を聴きながら写真を撮ることが多いです。今回はなぜかバッハの無伴奏チェロ組曲やヴァイオリンとチェンバロのためのソナタを聴きました。フォーレは今回は少し合わなく感じました。今回は持ち出しませんでしたがシベリウスの静かな透明感のあるピアノ曲も静かな湖には良く合うでしょうね。景色によって気分によっても音楽も変わります。先日行った立山黒部アルペンルートの室堂は目の前に雄大な立山連峰を望みラベルの管弦楽曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」が良く合います。

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2009年10月30日 (金)

渡良瀬遊水地の朝焼け

10月28日に渡良瀬遊水地へ朝焼けを撮りに行きました。ここのところ空振り続きでやっと太陽が出て来ました。むかしは2回に1回は見事な太陽を見る事が出来たのですが、最近は4回に1回ぐらい太陽が出てくれれば良い方です。やはり気候が変わって来たのでしょうか。昔はもっと寒かったです。最近は色に透明感がありません。むかしは漆黒の闇から少しづつ濃いブルーに変わり、だんだん赤味がさして来る色の変化を楽しめましたが、最近は朝焼けの色が悪く、太陽が顔をのぞかせる前に一度色の変化が止まり、一瞬シラケルようになってから太陽が昇り始めます。

渡良瀬遊水地は足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ無毒化するために作られた渡良瀬川下流に人工的に作られた遊水地です。1903年の政府の調査委員会の提案で設置され、政府により栃木県下都賀郡谷中村全域を買収してこの地に鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画を立てたものです。表向きの理由は治水対策がうたわれていますが実際は鉱毒の無害化の為です。現在でも渡良瀬遊水地の土壌には多くの鉱毒物質が含まれていて100年経っても無害化は出来ていないそうです。鉱毒を無害化するために葦が一面に生えているのでしょうか?

以前、上海の廃棄物処理場を見に行った事があります。上海の郊外の沿岸に野晒のように一般廃棄物と産業廃棄物が混在して捨てられていました。そこからは黒い液体が川になり海に向かって流れ出していて異臭が漂っていました。上海政府の担当の局長に聞いたところ中国政府の決めた法律通りに処理をしていて何ら問題はないとの答えでした。そのために海との境に葦を植えてあるとの答えでした。葦は有害成分を中和するとの答えに唖然とした記憶があります。その先には日本向けのウナギと上海ガニの養魚場がありました。それがやがて日本海へ流れ込みます。それ以来暫くは大好きなウナギは食べられなかった時期がありました。日本でも同じような一般・産業廃棄物処理場の現場を何度か見たことがあります。その下流の川では骨の曲がった魚を見たことがあり、井戸水を飲料としている地域住民に聞き取りをしたところ、最近変な子供が生まれると言っていました。恐ろしい話です。早速、当時環境庁の担当室長と話をしたのですが迷惑がられたようでした。多分全国に隠された公害事件は沢山あるのだと思います。関係者がそろって口をつぐめば闇から闇です。

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