2009年7月 6日 (月)

コテージガーデン・ステファニーの初夏2

6月26日の栃木県那須烏山市のコテージガーデン・ステファニーへ行ってきました。タチフアオイ、ダリアや百合が咲きだしていました。オミナエシも咲きかけていました。

藤原家隆の家集「壬二集」から。

      むら雨の

    風にぞなびく

      あふひ草

    向ふ日かげは

    うすぐもりつつ

(意)村雨を吹き寄せる風になびく、葵草。その花が顔を向けている太陽の光は、雨雲にうっすらと覆われてゆく。

あふひ草とタチアオイの事です。タチアオイはトルコ原産種と東ヨーロッパ原産種の雑種とも言われています。背丈は2メートル程になります。昔は「唐葵(からあふひ)とも呼ばれ、枕草子に『唐葵、日の影にしがたひてかたぶくこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ』とあります。日本への伝来の時期は分かりませんが平安初期には日本に伝来してきていたのだと思います。遣唐使が中国から薬草として種を持ち帰って来た可能性が高いと思います。我が家の駐車場にも鳥が持って来たのか何時の間にかにタチアオイが咲いています。

昨夜は、保守王国の静岡県の県知事選挙で民主系候補が僅差で自民系候補を上まわって勝ちました。民主系が二つに割れての勝利です。これは国政に強烈な一発となりました。川勝新知事は極右の考え方を持った学者です。極右の思想をもった学者を民主党が担ぎ出したところが面白いと言えば面白いですが、何か納得が出来ません。しかし、自民党へのダメ出しと見れば今週末の都議会議員選挙への影響は測り知れないでしょう。これで麻生降ろしが本格的に動き出し、来週は自民党内は麻生降ろしで大騒ぎとなり、自民党の新総裁が総理大臣となってマスメディアを上手く使って任期満了選挙となるでしょう。自民党大混乱を国民がどのように判断するかは投票行動で現れるでしょう。麻生総理はバチカンでローマ法皇と会見するのが最後の大きなイベントとなるでしょう。クリスチャンの麻生総理にとって日本の総理大臣としてローマ法皇との会見することは非常に大切なことなのでしょう。日本国民にとってはまったく関係ありません!

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2009年7月 5日 (日)

鎌倉 海蔵寺

6月12日の鎌倉の海蔵寺です。北鎌倉の長寿寺を過ぎて右折して亀ヶ谷坂切り通しを抜けて海蔵寺へ入りました。長寿寺は以前は非公開でしたが最近日時時間限定で公開されるようになりました。この日も特別公開でしたので入ってきましたがデジタル一眼禁止で普通のデジカメはOKなのが不思議な感じがしました。庭園などは非常に綺麗でした。海蔵寺は花の寺とも呼ばれる花が綺麗な寺院です。最後の写真は海蔵寺の山門前の鎌倉十井の一つ「底脱の井」(そこぬけのい)です。「千代能(ちよの)がいただく桶の底ぬけて 水もたまらねは月もやどらず 如大禅尼」と刻まれた石碑が建っています。安達泰盛の娘千代能(一説には上杉の尼)が参禅した時に、この井戸の水を汲むと桶の底が抜けてしまった。この時、心の中にあった煩悩が氷解し、悟りの境地に達したというのである。海蔵寺は建長五年(1253)に鎌倉幕府6代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道知禅師)が願主となって、七堂伽藍の大寺を建立したが元弘三年(1333)5月、鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまった。室町時代の応永元年(1394)になって、関東菅領・足利氏満の命により執事の山内上杉憲定が再興。薬師如来を本尊とする大寺で盛時には谷戸一帯に塔頭が立ち並ぶ程でしたが、今はことごとく廃絶してしまいました。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mm&28mmソフトF2.8です。

竹風和歌抄から宗尊親王の歌。

      虎とのみ

    用ゐられしは

      昔にて

    今はねずみの

    あなう世の中

(意)虎とばかりに畏れられる地位に置かれたのは昔のことで、今は鼠が穴に潜むように逼塞している。ああ無情な世の中よ。

宗尊親王は後嵯峨天皇の皇子で鎌倉幕府の第5代執権北条時頼の懇願により初めて皇族出身の鎌倉幕府第6代将軍として建長四年(1252)鎌倉へ下向しました。文永三年(1266)に鎌倉幕府に対して謀反を企てたと濡れ衣を着せられ都へ返されてしまいました。明確な理由は分かりませんが北条氏への不満が御家人達に多かったためと思われます。都へ入るときに輿に乗せられ都へ背中を向けて入京させられたそうで、何か大きな理由があったのかも知れません。父親の後嵯峨天皇は鎌倉幕府への遠慮から宗尊親王を義絶までしました。この歌は鎌倉から返されて都で逼塞していた時の歌です。鎌倉幕府の将軍は4代・5代は五摂家の一つ九条家から送られてきましたので摂家将軍と呼ばれましたが、2人とも謀反の疑いで都へ追放されました。6代目の宗尊親王が初めての皇族将軍でした。鎌倉時代は御家人達と結び付いた北条氏内部の権力闘争も激しく、また北条氏を打倒しようとする御家人達の動きも激しかったのですが、次々と北条得宗家に攻め滅ばされました。少しでも疑われると予防的にすぐに理由をつけて殺される恐ろしい時代でした。攻め滅ぼされた御家人等の荘園は攻め滅ぼすのに功績のあった者達の分け取りでした。そのために北条氏は勢力を伸ばし領地を増やしてこられたのです。それが御家人達の不満となり後醍醐天皇の建武の新政へ、そして足利尊氏の室町幕府へと続くのです。

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2009年7月 4日 (土)

野尻湖畔

6月6日の長野県信濃町の野尻湖畔と信濃町の柏原です。柏原は小林一茶が生まれて死んだ場所です。小丸公園に俳諧寺や小林一茶の墓があります。野尻湖はバス釣りで賑わっていますが静かな湖です。形が芙蓉の花に似ていることから芙蓉湖とも呼ばれています。ナンマンゾウの骨が出土することでも有名で骨と一緒に旧石器時代の石器も一緒に発見されました。旧石器時代にナンマンゾウを仕留めて食べ物にした旧石器人が野尻湖周辺に住んでいたのでしょう。野尻湖は天然湖としては長野県で諏訪湖に次いで2番目の面積です。今は営業を止めましたが野尻湖を見晴らせる一番の場所に野尻湖ホテルがありました。美智子妃殿下が一時体調を崩されたときに極秘で野尻湖ホテルに長期間滞在をしていたのが最近公表されました。当時は我々には知らされずお茶を飲みに寄る人達は黒服を着た男達に追い返されました。私達も追い返されたことがあります。当時皇太子だった今の天皇も度々お忍びで野尻湖ホテルへ来ていたそうです。しかしこの秘密は完璧に守られていて最近この事実が明らかにされました。野尻湖は軽井沢が俗化してきたので自然の宝庫ともいえる野尻湖畔にカナダ人宣教師たちが1920年に軽井沢から野尻湖畔へ移ってきました。昔は山の軽井沢・湖の野尻湖・海の高山(宮城県七里ヶ浜)と呼ばれ日本三大外国人避暑地として有名で毎年夏の休みに外国人達が集まって仕事の情報や家族の情報交換をしたと言われています。通信手段が無い時代は貴重な顔を合わせる場だったのでしょう。現在、国際村として多くの外国人の方や日本人の方が夏を野尻湖畔の北斜面で過ごします。野尻湖畔の南傾斜には野尻湖グリーンタウンがあり多くの日本人の別荘があります。我が家の別荘も野尻湖グリーンタウン内にあります。40年ほど前までは別荘から左下に野尻湖が見え、左から飯綱山・黒姫山・妙高山の三山が正面に見えましたが、今は樹木が生い茂り殆ど見えなくなってしまいました。野尻湖畔は夏の日中は非常に暑く夕方から急激に温度が下がってきます。冬は豪雪地帯ですので一晩で1メートル程積もる事もあります。昔12月24日の夜から粉雪が降り始めホワイトクリスマスだと喜んでいたのですが、25日朝に自宅へ帰ろうと思い外を見たところ車が一晩で雪に完全に埋まってしまい、管理センターへ車の引き出しと道路の除雪を依頼しましたが、車を引き出せたのは夕方になってからでした。秋の紅葉は素晴らしく本当に綺麗ですが、なかなか紅葉のタイミングが合いません。野生生物も沢山います。この日も別荘の家の前の道路で隣人と立ち話をしていたところ30メートルほどの先の道路でキツネがビックリした顔をして此方を見ていました。リスも野鼠も狸も沢山住んでいます。家の中に野鼠が入ってきてドングリなどを置いて行きます。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

 やせ蛙(がへる) まけるな一茶 これにあり

 雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る

 われと来て 遊べや親の ない雀

 名月を 取ってくれろと なく子哉

 ふるさとや 寄るもさはるも 茨(ばら)の花

 故郷は 蠅まで人を 刺しにけり

小林一茶の俳句です。最後の二句は故郷の柏原に帰ってきた一茶の会う人達はことごとくトゲのある茨の花のようなもので、誰ひとり自分を暖かく迎えてはくれない、また故郷の蠅まで私を刺すほど冷たいと詠ったものです。

小林一茶はあまり評判の良くない人だったようで、父親の遺産を継母と弟との間で12年間も揉め続け51歳の時に話し合いでやっと解決をしました。52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳で亡くなってしまいました。一茶はひとりぽっちになりましたが、再びゆきと結婚をしたのですが半年で逃げられてしまいました。その後再々婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました。自分の娘のような女性を好んで何度か妻として迎えたのですが逃げられたりしてあまり幸せではなかったようです。地元では父親の遺産争いや女性を好む事から評判は非常に悪かったようです。助平爺と呼ばれていたそうです。小林一茶の日記には異常とも思われる毎夜のようなHの回数をまめに記録しています。2番目の妻ゆきは飯山藩の武家の娘で62歳の一茶と38歳のゆきとの結婚でした。日記によると初夜では5回交合すと記録され、あまりの一茶の強精に妻は逃げ出したと言われています。男ですから見栄を張っているのなら分かりますが、見栄ではなかったようです。

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2009年7月 3日 (金)

原市沼の古代蓮1

7月1日に埼玉県の伊奈町と上尾市の境にある原市沼の古代蓮へ行ってきました。昨年も7月1日に原市沼へ行っています。ここの古代蓮は行田の古代蓮から種を貰って来て地元などのボランティアの方達によって栽培育成されています。年々規模が拡大してきました。ここは徳川家康が関東入部以来譜代として関東代官頭(後の関東郡代)として関八州の幕府領における徴税・行政・司法を統括した代官で警察権も持っていた伊奈忠次の領地でした。原市沼は初代伊奈忠次の居城の小室陣屋(伊奈陣屋)の隣にある沼でした。伊奈陣屋は1万石で埼玉県の伊奈町と鴻巣市に領地をもつ大名の居城でしたが関東郡代として30万石の天領(幕府領)を支配する要職で、城構えは数万石大名並みの構えだったようです。防衛拠点として南と南東側の昔からあった大きな沼と湿地帯を利用したようです。このあたりは昔から戦後までレンコンを採るために蓮が植えられていました。その後、レンコンの採取は終わってしまい荒れた湿地帯でした。原市沼の復活と保存のために行田で発見された古代蓮の種を分けてもらいボタンティアの手で何度もの失敗を乗り越えて現在の広大な古代蓮畑となりました。カメラはオリンパスE-3とズイコーレンズ14-54mm&50-200mm&50mmマクロ&x2テレコン&ペンタックス28mmソフトF2.8です。ペンタックスのソフトレンズはオリンパス用のアタッチメントを着けています。MFになりますので距離の合わせ方が難しいです。

万葉集から読み人知らずの歌。

 み佩(はかし)を 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に
 溜(た)まれる水の ゆくへなみ 我がする時に 逢ふべしと
 逢ひたる君を な寐(い)ねそと 母聞こせども
 我が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底
 我れは忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに

(意)剣の池の蓮の葉にたまっている水が、どちらにあふれていくか分からないように、私は先の見通しがつかず迷っていた時に、逢えるだろうと占いに出たのです。愛しい方なのに、お母さんは、あの人に身を任せて共寝などしてはいけないと言いますが、でも、清澄池の底が深いように深く思い、決して忘れはしない、直接逢うまでは。

万葉長歌です。この恋の行方はどうなったでしょうね。この歌が詠われた時は既に共寝をした後なのかもしれません。母親が反対するところをみるとトンデモナイ男なのかもしれません。万葉集には意外と直接的な歌があります。

政治はレベルの低い話になってきていますね。口先だけ男の世界になってきたようですね。それは置いておいて、それより一昨日の社会保険庁の記者発表無年金者の1割約3万人が受給資格ありにはビックリさせられましたね。朝日新聞の記事です。
http://www.asahi.com/national/update/0702/TKY200907010424.html
安倍元総理は何て言いまっしたっけ?厚生労働大臣の舛添は何って言いましたっけ?官房長官候補?幹事長候補?みんな口先男ですね!最近、私も物忘れが激しくって直ぐに忘れてしまうのですが。昨日の年金積立金管理運用独立行政法人の記者発表の年金積立金08年度の損失が9兆6670億円にも金額が大きすぎてビックリさせられました!それでも誰かは運用で儲けているのでしょうね。誰でしょうね?
http://www.asahi.com/national/update/0701/TKY200907010284.html
年金は本当に大丈夫なのでしょうかね?

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2009年7月 2日 (木)

行田市 古代蓮の里2

6月19日の埼玉県行田市の古代蓮の里と小埼沼(おさきぬま)です。小埼沼とは現在は本当に小さな池となっていますが、古代の万葉の時代は大きな沼で巨大な埼玉沼の一部だったのかも知れません。昭和50年ごろまでは小針沼と呼ばれる沼があったようです。宝暦3年(1753)に忍城主、阿部正因によって建立された碑が建っています。碑の内容はこの場所が小埼沼に違いないとの内容です。小埼沼については諸説があり現在でも確定はされていません。羽生市尾崎(利根川右岸)や岩槻市尾ヶ崎新田(綾瀬川左岸)等が小埼沼の候補地として挙げられています。しかしこの行田の小埼沼は武蔵国造家だった笠原氏のさきたま古墳群から東に2.5キロ程の地にあり古代の埼玉の津(さきたまのつ)と呼ばれた利根川か埼玉沼の河港の近辺にあったと思われます。

行田は戦国末期に有名になった成田氏の居城で豊臣秀吉の小田原征伐の時に別働隊として石田三成に2万7千の兵を指揮させて群馬県方面から小田原城へ向けて攻め込ませたのですが、忍城の強硬な抵抗により石田三成は忍城で止められてしまいました。忍城を水攻めしたのですが、逆に堤を切られたために寄せ手に多くの犠牲者を出してしまいました。浅野長政等の援軍を得て3万数千の軍勢で攻め立てました。忍城の主力は城主の成田氏長とともに小田原城に立て籠もっていたため、城主一族の成田長親を大将として留守部隊と近在の農兵の3千数百だけの籠城となりました。攻防戦は長引き小田原城が開城しても戦い続け、城主の開城を命ずる手紙が届くことにより開城しました。小田原の北条氏方の城で一番最後に豊臣秀吉に降った城でした。城主の成田氏長は小田原城に籠城する前から徳川家康に降伏の意思を示していたようですが、忍城に籠城していた成田長親等の坂東武者の意地が最後まで強硬に抵抗させたのかも知れません。籠城の大将だった成田長親は一族の中でも最も無能と見られていた人物のようで、小田原城へ籠城していた城主の成田氏長は忍城は適当に戦って降伏するものと思って主力部隊を率いて小田原へ行ったようです。しかし意外や意外、成田長親は短期間のうちに弱小と見られた籠城の兵士たちを一つにまとめ上げ最強の兵士に仕立てあげてしまいました。石田三成の力攻めにも負けず、水攻めにも屈しませんでした。成田氏長の戦後は会津の蒲生氏郷(がもううじさと)に預けられ客将として伊達政宗の勢力と対峙し蒲生氏の危機を救ったこともありました。会津時代に成田氏へ付けられた蒲生氏の与力が伊達氏に内通し戦となり、その戦いで女性ながら武勇を表した娘の甲斐姫が後に豊臣秀吉の側室となり、下野烏山城2万石に取り立てられ大名となりました。忍城の籠城戦を戦った成田長親は烏山まで付いて行きましたが、烏山で城主の成田氏長と理由は分かりませんが大喧嘩をして屋敷に引き籠りました。城主の氏長は処理に手古摺り、結果は城主が謝ることで収めました。やはり忍城の戦いぶりが一時は不利益になりましたが、後に強固で強力な武士団の御蔭で大名に復帰できたので城主といえども功名のあった一族を無視できなかったのでしょう。成田氏はその後は徳川家に仕え、氏長の弟である長忠が継ましたが次の後継争いから改易とされました。

江戸時代の忍城主であった阿部正因が小埼沼に建てた碑に記されている万葉集から2首。

 埼玉(さきたま)の 津に居る船の 風をいたみ

   綱は絶ゆとも 言な絶えそね (読み人知らず)

(意)埼玉の津に繋いである船の舫い綱が、風が烈しくて切れるようなことがあっても、あなたからの便りは絶えないで欲しい。

この歌は男から女に贈った歌なのか女から男に贈った歌なのかが分かりません。古代は男から女への通い婚でした。女から男に贈った歌のように見えます。

 埼玉(さきたま)の 小埼(おさき)の沼に 鴨ぞ羽根きる

  己が尾に ふる置ける霜を 払ふとにあらし (高橋虫麻呂)

(意)埼玉の小埼の沼で、鴨が羽ばたいてしぶきを飛ばす。自分の尾に降り置いた霜を掃いのけようとするのらしい。

この歌は577577の旋頭歌です。高橋連虫麻呂は経歴がはっきりしていませんが藤原宇合(うまかい)の個人的な部下だったと思われます。藤原宇合が常陸守として赴任した時に随行していったようで常陸風土記の編纂に関わったとも言われています。主に旅先での歌が多く宮廷歌人とは全く違う詠い方のようです。この歌も古代の武蔵国にあった21郡の一つ埼玉郡(さきたまぐんorさきたまのこおり)の役所に高橋連虫麻呂が公務で訪れたときに郡役人の求めに応じて詠われたようです。古代の埼玉郡の役所はどこにあったか分かっていません。

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小埼沼

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2009年7月 1日 (水)

加須市 浮野の里

6月19日に埼玉県加須市の多門寺の浮野の里へ行ってきました。浮野の里は国土交通省土地・水資源局の全国「水の郷」百選に認定されています。関東地方の平野部は昔から河川の氾濫に悩まされた土地です。私の父の実家は加須市にありますが昔はどの家でも必ず家の中に小舟が一艘置いてありました。父の実家に遊びに行くと子供心になぜ舟が天井からぶら下げられているのかが不思議でした。利根川と荒川は度々洪水をおこし田畑を流し江戸市中まで水浸しにした洪水は度々ありました。明治になっても洪水は治まらず明治43年の大洪水は8月1日から大雨が降り続き10日には暴風雨となり利根川・荒川の両河川の堤防が決壊し埼玉県の平野部は完全に水没し、東京にも流れ込み泥海の中で舟でしか交通の手段がない時期が続きました。東京で水が完全に上がったのは12月になってからと伝えられています。昭和22年のキヤスリン台風襲来は空前の大洪水となり、利根川東村の堤防決壊のため大洪水となりました。また翌年の昭和23年のアイオン台風により再び大洪水となりました。これらの洪水を教訓として日本政府は利根川・荒川の河川の改修に力を注ぎ続けてきました。現在は洪水になる事はありませんが20年ほど前に荒川の水位が警戒水位を超えたときがあり、あと少しで浦和市内に荒川の水が入ってくるところでした。現在は埼玉県の南部地域に荒川の遊水池が設けられ都内の洪水を防ぐ色々な手立てが考えられています。しかし、大自然を相手では完全とは言えないと思います。

太平記によると源平時代に源氏の長者であった源頼政が鵺(ぬえ)退治の功あって褒美を賜る時、源頼政がかねてから菖蒲(あやめ)の前という女官に思いを寄せていることを知っていた鳥羽院が、ちょいとしたいたずらをしました。12名の美しい女官に同じ衣装を着せて薄絹の陰に並ばせ、いづれが菖蒲の前であるかを見極めたら菖蒲の前を源頼政へ与えようと申し出ました。しかし、美人ばかりで見分けがつかず困っている源頼政を見て女官が「水かさが増せば浅香の沼の菖蒲も見分けにくいこともあるでしょう。」と言ったところ、頼政はこれは難儀な事と言うかわりに、歌で答えました。

      五月雨に

   沢辺の真薦(まこも)

     水越えて

   いづれあやめと

   引きぞわづらふ

同席していた近衛関白がいたく感じ取って菖蒲の前の袖を引いて「これがそちの妻じゃ」と教えたとのお話です。源頼政は菖蒲の前を連れて屋敷に帰ったのです。このお話から「いずれアヤメかカイツバタ」の語源と言われています。この歌の意味は「五月雨に水が増えてしまってどれが菖蒲だか分からなくなってしまいました」との意味です。「引きぞわづらふ」は織物の模様のあや目の何処の糸を引けばいいのか分からないとの意味です。

この歌は源平盛衰記では 
   五月雨に 沼の石垣 水こえて
     
いづれあやめ 引きぞわづらう
となっています。「いずれあやめかかきつばた」が正しいのか「いずれあやめかかきつばた」?皆さんはどちらで覚えていますか。私は「いずれあやめかかきつばた」です。源頼政が平家打倒の兵を挙げ宇治で敗死した後、菖蒲の前は伊豆まで逃げ延び尼になったと伝えられています。菖蒲の前の伝説は日本各地で語られています。

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2009年6月30日 (火)

コテージガーデン・ステファニーの初夏1

6月26日に栃木県那須烏山市のコテージガーデン・ステファニーへ行ってきました。花がかなり入れ替わっていました。前回の春の花のような艶やかさはありませんが初夏の花が綺麗に咲きだしていました。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ミノルタ100mmソフトF2.8です。

新古今集から二条院讃岐の歌。

      五月雨の

    雲まの月の

      はれゆくを

    しばし待ちける

    時鳥かな

(意)梅雨時の雨がやんで、ほととぎすが鳴いた。雲の切れ間にあった月が輝きだすのを暫く待っていたのだろうか。

詞書に「建仁元年三月歌合」とあるのは後鳥羽院が主催し藤原俊成が判者となった通称「新宮撰歌合」で判者の藤原俊成に高い評価を受けた歌です。

昨日、日本郵政の西川社長が再任されました。日本郵政は調べれば調べるほどおかしな話で何か大きな闇が後ろに隠されていると思います。郵便の分割の方法や倒産したアメリカのリーマンとの深いかかわりや三井住友グループとの深い関係そして小泉構造改革の本丸の財界人との深い関係など経団連など経済団体を巻き込んだ大スキャンダルがあるのではないかと考えさせられます。そもそも関係した人たちにとって一番美味しい郵便貯金のお金は今どうなっているのでしょうか?今どのくらい残っているのでしょうか?世間で言われている三井住友グループと小泉・竹中との闇が本当にあるとすれば、いずれは必ず解明されると思います。小泉個人としては郵政省に郵政大臣の時に恥をかかされた恨みを晴らすのが目的で、小泉はただ竹中を使っていたアメリカの誰かに乗せられただけかもしれません。これから先は日本郵政の中の不満分子や正直者たちの内部告発を待つか、民主党主軸の新政権で検察と国税を使って関係者の個人資産を徹底的に調べるしかないと思います。前回の郵政選挙で小泉郵政改革に反対して刺客候補を立てられ落選した城内みのる氏のHPに郵政民営化をめぐる話は「改革派」対「抵抗勢力」の戦いではなくて、たった一握りの「売国派」対「国益擁護派」の戦いだったと書いています。まさに彼の言う通りだと思います。今回は頑張って当選して自民党に復党してほしいと思います。城内みのるは先見性のあるこれからの日本を背負える政治家の一人だと思います。これからの日本はお笑い芸人の政治家ではなく真面目に日本を考え知識と一本筋の通った考え方を持った政治家が与野党に沢山いることが大切なことだと思います。

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2009年6月29日 (月)

北鎌倉 円覚寺2

6月12日の北鎌倉の円覚寺です。円覚寺は北鎌倉駅を出てすぐの場所にあります。円覚寺を通り過ぎて真っすぐ道なりに歩いて左折してしばらく歩くと紫陽花で有名な明月院があります。円覚寺は鎌倉五山の第2位に位置する寺院で鎌倉幕府第8代執権北条時宗が2度に渡る元寇の役での両軍の戦死者を弔うために創建された寺院です。なかなか緑が濃くて花が絶えない寺院です。私は北鎌倉の寺院では円覚寺と浄智寺が好きです。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mmです。

玉葉集から北条貞時の歌。

      窓ちかき

    竹の葉風も

      春めきて

    ちよの声ある

    やどの鶯

(意)窓近く生える竹の葉を吹く風も春らしくのどかで、我が家の庭の鶯が「ちよ、ちよ」と長久の春を言祝(ことほ)ぐかの声で鳴く。

1284年北条貞時は鎌倉幕府第8代執権北条時宗の嫡男で時宗が早世したので14歳で第9代執権の地位を継ぎました。執権についた翌年に北条得宗家(北条氏の本家)の家来(郎党)である内管領(執事)の平頼綱が幕政を我が物とし1285年の霜月騒動により御家人筆頭の安達泰盛ら一党を攻め滅ぼし、執事の平頼綱に幕府の実権を握られてしまいました。1293年鎌倉大地震の大混乱に乗じて、執権北条貞時は平頼綱の屋敷を襲って全滅させ実権を取り返しました。その後の得宗家の執事は平頼綱の従兄の長崎光綱が継ました。鎌倉時代は御家人同士は同格でした。それぞれの御家人は郎党を持ち、その郎党は郎党を持っていました。北条得宗家は巨大だったので得宗家の筆頭郎党が執事として家政を取り仕切り、また御内人とも呼ばれる北条得宗家直属の家来(郎党)達が執権の側近として幕政にも口を挟み実権を持ちやすかったのです。鎌倉幕府直属の御家人達と勢力を伸ばしてきた得宗家の家来達との間の権力闘争の結果が、後の後醍醐天皇による倒幕運動から建武の新政へと流れて行くのです。第9代執権の北条貞時の時に後の建武の新政への種を播いた事になったのかもしれません。得宗家並びに北条一門や御家人の郎党は御家人になれない厳しいしきたりがありました。また御家人は御家人を家来には出来ないしきたりもありました。

腐敗した権力は必ず新しい勢力に倒され、新しい勢力は権力を握ると必ず腐敗して、また新しい勢力に滅ぼされるのです。太古の昔から権力の交代は利権を誰が握るかです。これからの日本にも当てはまりますね。昔は沢山の血を流す事で権力の交代は行われました。今の日本は平和ですね。マスメディアを握ったものが勝ちます!

昨夜は横須賀市で大変な事が起きましたね。33歳の新人市長が自公民推薦の現職市長を破って当選しました。小泉元総理のお膝元でまさかと思っていました。何か日本の中で起こっているのでしょうね。自民党も公明党も民主党も日本の全政党が国民の信頼を失いつつあるのかも知れません。チャンスと芸能界のお笑いタレントがこれからどんどん政界に出てくるかもしれません。マスメディアも面白がって取り上げるのでますますTV画面に登場してくることになり、まじめに政治を志している人達が割を食うことになると心配です。このままだと日本の政治はお笑い芸人と世襲議員と経験不足な若者に席巻されるかもしれません。それを歓迎する訳の分かっていない人達が増えているのかもしれません。しかし、新横須賀市長の今後の活躍に期待したいですね。自分の信じることには妥協しないで話し合いで相手を説得出来る市長になってほしいです。鎌倉市は横須賀市と市境は接していませんがほぼ隣と言っても良い市です。

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2009年6月28日 (日)

大宮第2公園の紫陽花

6月22日のさいたま市大宮第2公園の紫陽花です。ネジ花もたくさん咲いていました。やはり紫陽花は梅雨の花ですね。雨は降っていませんでしたが曇り空でした。シトシト雨に紫陽花はよく合う花です。今年の梅雨は風も強く男性的ですね。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mm&28mmソフトF2.8&タムロン90mmマクロです。昨日ペンタックスの新しいデジカメ一眼のK-7が発売されました。評判は良いようです。オリンパスからも今週にオリンパスペンのデジカメ版が発売されます。これも面白そうです!両方とも悩ましいですね!

源俊頼の家集の散木奇歌集から。

      あぢさゐの

    花のよひらに

      もる月を

    影もさながら

    をる身ともがな

(意)今宵、月の光はあじさいの繁みを洩れ、池の水面に四枚の花びらのように映っている。その影を、そのまま折り取ることができたらよいのに。

「よひら」とは4枚の花弁(額)で咲く紫陽花の事で宵にもかけた言葉です。

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2009年6月27日 (土)

コテージガーデン・ステファニー3回目の3

6月3日のコテージガーデン・ステファニーです。オーナーの話によると7月になると全く違う庭になっているそうです。今でもいろいろな花が咲いているそうですが、これからは様相が一変するそうです。これは楽しみですね!カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ100mmマクロ&ミノルタ500mmF8です。

新古今集から素性法師の歌。

      をしめども

    とまらぬ春も

      あるものを

    言はぬにきたる

    夏衣かな

(意)いくら惜しんでも止まらずに去ってしまう春もあるのに、呼びもしない夏がやって来て夏衣を着ることだ。

素性法師は桓武天皇の孫の遍昭の子供です。僧籍に入る前の名前は良岑玄利(よしみねのはるとし)で古今集では36首が入集していて、古今集の中で第4位の数です。

政界が荒れてきましたね。東国原宮崎県知事は何を言っているのでしょう?ハッキリ言えば県知事は合わなかったので国政に出たい。県知事の椅子はそこが空いていたから座っただけで、本心は国会議員になりたかった。そのために色々な理屈をこねているとしか見えません。そもそもあれだけ東京へ出てきて、芸能界にいたときよりメディアへの露出が増えていては県政なんか出来るはずがありません。県知事選挙を戦った対立候補を副知事にしてすべて副知事に任せているのでしょう。早く国政に出て目立ちたいのでしょうね。彼の実績は宮崎県産品のセールスだけでしょう。口では色々と言っていますが本当に分かって言っているのか疑問です。衆議院議員になれば一兵卒です。相変わらずテレビに出て目立ちたがるだけでしょうが県知事で恰好をつけて勝手な事を言っている方が効果はあります。内閣改造で1カ月ほど総務大臣を務めるプランが出ているようですが、レッテルが欲しいだけなのでしょう。この際自民党は内閣改造を断行して大臣は全員を芸能界から選んだらいいと思います。しかし自民党の国会議員の人材の枯渇にはビックリさせられますね。橋下府知事もやはり芸能人ですね。以前も書いたことがありますが、私は彼は好きではありません。しかし今回の彼が国の付け回しを暴いたことは素晴らしいことだと評価します。しかし、そのまんま東と橋下知事を利用しているマスメディアもオカシイです。お互いさまなのかも知れませんが目立ちたがり屋さんなのでしょう。所詮、彼ら芸能人上がりの政治家は自民党の別働隊です。古い自民党体質の延命に協力しているのでしょう。芸能人も政治家もレベルが落ちているのでしょうね。

自民党の国会議員の圧倒的多数で選ばれた麻生総裁の首を支持率が悪いからと挿げ替えようとするのは意味がわかりません。私は政権交代を繰り返すことが日本の政治を良くすると思っています。やはり政権交代を繰り返すことで政治に透明性が生まれると思います。長期政権は業界と官界との癒着を生みます。今は自民党を下野させることが一番近道だと思っています。今回、検察審査会の決定を見て、検察は西松建設だけを追起訴しました。二階大臣側は相変わらず不起訴です。これでは検察審査会の決定に十分に答えていません。再び検察審査会で検察の動きが拒否されると裁判所が弁護士を指名して訴追の手続きに入ることになります。これは検察の恥ですね!与謝野大臣への迂回献金を検察はどうするのでしょう?鳩山民主党代表にも政治資金の問題が出ています。他の国会議員にも色々と出ています。国会議員は事務を秘書に任せていますので細かいところは知らないと思いますが、小沢前民主党代表の秘書を即日逮捕した勢いがあったのなら他の国会議員にも手をつけるべきでしょう。

あまりニュースになっていませんが、北朝鮮の船舶に対して貨物検査特別措置法案の原案が与党と政府の間で出来たようです。これは国連安全保障理事会の制裁決議1874を受けての法制定の準備ですが、内容的には非常に危険な内容となっています。領海内の船舶の検査は海上保安庁が担当し、自衛隊は情報収集や発見した貨物の判定(鑑別)などを担当するとされていますが、「検査忌避罪」(仮称)を設け、禁輸物資を積んでいる可能性のある船舶の船長が検査を拒んだ場合の処罰も可能とするものです。船長が検査を拒んだ場合は、日本の港湾に向かうよう「回航命令」を出し、正当な理由がなく命令を拒否したり、港湾での検査を拒否した場合は処罰できるとなるようです。相手が抵抗し攻撃してきた場合には海上保安庁の艦船の護衛としてついて行く海上自衛隊の艦船が正当防衛として攻撃できる道を残したものになると思います。これは間違いなく戦争になります。非常に危険な事で、戦争の覚悟が無ければこの法律は作れません。北朝鮮との戦争は日本国内でのゲリラ戦を覚悟しないといけません。日本に沢山住んでいる北朝鮮の人達をスパイとして看做さなければならない不幸な事になるかもしれません。そもそもアメリカ自体も及び腰の北朝鮮船舶の検査です。日本は後ろに他の多くの国が付いて来てくれると信じて後ろを見たら誰も付いてこない事態を考えて行動しないといけませんね。その覚悟を国民に求めないといけない事態になります。

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2009年6月26日 (金)

行田市 古代蓮の里1

6月19日に埼玉県行田市にある古代蓮の里へ行ってきました。蓮が咲き出したとの話を聞いて加須市の浮野里から行田市の水城公園(忍城址)経由で古代蓮の里へ行きました。古代蓮の里は咲き始めで花の数は少なかったですが綺麗でした。7月にならないと本格的には咲かないと思います。しかし今年は例年より早いですね。行田市の古代蓮の里は世界中の41種類の蓮を集めています。最後の5枚は行田蓮(古代蓮)です。蓮の花は日の出とともに咲き始め昼ごろにはほとんどの花が閉じてしまいます。写真に撮るとすれば9時頃が一番多く咲いている時間だと思います。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ100mmソフトF2.8&500mmF8です。

古今集から遍昭(照)の歌。

      はちす葉の

    にごりにしまぬ

      心もて

    なにかは露を

    玉とあざむく

(意)蓮は濁った泥水に染まらぬ心で美しい花を咲かせるが、なぜ葉の上の露を玉と欺いて見せるのか。

行田の古代蓮は昭和48年に行田市小針地区の公共事業の造成工事中に掘り出した土の中に古代蓮の種があったようで造成中に出来た池から突然に数十個の蓮の花が咲きだし、日本アイソトープ協会で年代測定の結果1300年前の蓮と証明されたものです。考古学上の研究から1300~3000年前の蓮の花と言われています。古代はこのあたりは旧東京湾へ注ぐ多くの河川と大湿地帯が混在したと想定され埼玉沼(さきたまのぬま)と呼ばれる大きな沼が存在していて埼玉津(さきたまのつ)と呼ばれる河港がこのあたりにあったと想定されています。私の想像ですが埼玉沼の南限は今のさいたま市から川口にかけての見沼地区も範囲に入るのではないかと思います。つまり大昔は行田あたりまで東京湾が入り込んでいて、時代とともに海岸線が後退し、残された低地が湿地帯としての埼玉沼が残ったのかもしれません。簡単に言うと埼玉県行田市から埼玉県川口市あたりまでの低地帯が埼玉沼だったのではないかと思います。行田市には埼玉(さきたま)古墳群があり、この古墳群は武蔵国造家の笠原一族の墓ではないかと言われています。この中の将軍山古墳石室には、千葉県富津市で採取された「房州石」が使われていて、古墳までの約120キロを陸路で運ぶことは不可能で船で埼玉津まで運んで、それから陸路を古墳群まで引いて行ったのだと思われます。古代から太平洋戦争前までの関東内陸の交通手段としては船が中心だと思われます。埼玉古墳群の稲荷山古墳から発掘された鉄剣X線で調べたところ鉄剣の両面に115文字の金象嵌の漢字が出てきました。115字の研究からワカタケル大王(雄略天皇)の統治が北関東周辺まで及んでいたことが分かりました。現在この金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)は国宝に指定されていて現物は国に召し上げられ国立博物館に保管されていると思われます。埼玉県にはレプリカが展示されています。埼玉県は国宝に指定された当初から返還を働きかけていますが無視されています。

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2009年6月25日 (木)

4月の我が家の庭

4月の我が家の庭です。以前紹介した5月の庭とかなり違っていて艶やかさはありませんね。それなりに可愛い花が咲いていました。ワンちゃんはルイ君です。

 春暁(しゅんぎょう) 孟浩然

 春眠不覚暁 しゅんみん あかつきをおぼえず
 処処聞啼鳥 しょしょ ていちょうをきく
 夜来風雨声 やらいふううのこえ
 花落知多少 はなおつること しるたしょう

(意)
春の眠りは、気持ちがよくて、朝になるのも気がつかないほど。
あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえる。
昨夜から雨が激しかった。
花がどれだけ散っただろうか。

この漢詩は有名ですね。しゅんみんあかつきをおぼえず。素晴らしい歌です。

自民党がメルトダウンを起こしているように感じます。自民党の国会議員の中でも立派な人も沢山います。例をあげるとすれば自民党の尾辻秀久参議院議員会長だと思います。彼は民主党の山本孝史参議院議員(2007年12月22日がんで死去)とともにがん対策基本法の制定に尽力し、2008年1月23日の参議院本会議において尾辻議員の山本参議院議員の涙ながらの哀悼演説は歴史に残る名哀悼演説として憲政史上に残ると思います(衆議院では追悼演説で参議院は哀悼演説です)。通常追悼・哀悼演説は近隣の選挙区の対立政党の議員が行うのが通常ですが、今回は亡くなる前の山本議員の指名で尾辻議員が行いました。今回の政府の骨太方針の社会保障費自然増の2200億円抑制方針に最後まで反対を唱え続け、与謝野大臣との会談後に与謝野大臣より抑制をしない方針の表明を受けました。大物政治家ではないとの評価ですが、戦争で父親がソロモン諸島沖の戦いで駆逐艦夕霧の艦長として戦死した後、苦労をして家族を守り育ててきた苦労人です。「谷間に光をあてる」との政治信条が弱者に光を当てようとする意思が強く感じられ、意思だけでなく実際に谷間に光を当てる政治活動をして来ました。民主党や社民党など野党とのパイプも太く、まともな話し合いのできる政治家のようで自民党内では孤立気味のようですが野党の中では評価が非常に高い政治家です。

また彼の今年1月30日の参議院本会議での代表質問も歴史に残る名演説だと思います。その内容は驚くべきもので、自民党参議院議員会長として自民党の執行部の一人でありながら野党より手厳しい質問を麻生総理にぶつけたのです。その内容の要約は

政府の規制改革会議と経済財政諮問会議の廃止を主張し「少なくとも結果の責任を取らねばならない」「市場原理主義を唱えたが、それが間違いだったことは今回の世界の不況が証明した。その責任は重い」とし、両会議の廃止を求めた。「野に下ることは恥ずかしいことではない。恥ずべきは政権にあらんとして、いたずらに迎合すること。総理、毅然(きぜん)としてお進みください」

与党の普通の政治家では言えないことです。つまり小泉・竹中路線を止めろと与党の自民党参議院議員会長が本会議で麻生総理大臣に迫ったのです。失敗の責任は取るべきだと勇気のある政治家でしか言えない事だと思います。この代表質問の後で安倍元総理大臣と山本一太議員が尾辻参議院会長を懲罰にかけろと大騒ぎをしたそうです。やはりバカな小心小物議員とマトモな議員との差は歴然ですね。参議院の廃止の意見がありますが、尾辻議員を見ると参議院は日本の良識だと感じます。彼は麦わら帽子に長靴履いて田圃にいればそのまま通用するような感じの人です。

まだ日本の自民党には人物は沢山いるのです。日本のためにならないバカ議員は早く落選すればいいのです。日本のことを本気で考えている与野党議員にもっと頑張ってほしいと思います。

与謝野大臣に小沢前民主党代表と全く同じ迂回献金の問題が発覚しました。金額も大きいです。検察は困っているでしょうね。大見得を切って小沢の秘書を逮捕したのです。今回も与謝野大臣の資金担当秘書を逮捕しないと、検察審査会で不起訴不当と判断された二階大臣のケースもあり検察としては言い逃れができないですね。ここで与謝野大臣の秘書を逮捕しないと政治的判断で小沢の秘書を逮捕した事になります。もともと反対が多かったと言われる検察内部で再び揉めるでしょうね。政権交代があれば検察幹部の更迭は必至でしょう。あるいは新政権に忠誠を誓って自民党の旧悪を暴くように方針転換が出来るか?しばらく寝たふりをして自民党に政権が戻るまで待つか?政界再編までジッと待つか?どっちにしろ国民のための検察とは程遠いですね!検察といえども所詮役人ですからね!

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2009年6月24日 (水)

黒姫山と御鹿池

6月7日の北信州の黒姫山と御鹿池です。御鹿池は黒姫の黒姫童話館から歩いて御鹿湿原を過ぎたところにあり黒姫童話館から10分ほどです。御鹿湿原は5月初めごろは湿原に咲く黄色いリュウキンカとその上に咲く白いコブシの花が綺麗なところです。両方の花が一緒に咲く時になかなか出合えません。今頃は花はあまりありませんが山野草が咲いています。ルイ君とマリアンちゃんはこの草原が大好きです。グリーンの曳き綱がルイ君でピンクがマリアンちゃんです。マリアンちゃんは走り回る事が大好きで、走り出すと簡単には止まりません。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmGです。

山家集から西行法師の歌。

      風さそふ

    花のゆくへは

      知らねども

    惜しむ心は

    身にとまりけり

(意)風が誘って散らす花の行方は知らないけれども、その花を惜しむ心の行方は知っている。それは我が身に帰って来て、ずっと留まっているのだ。

さて、郵政は西川社長の続投に決まりました。今後、旧郵政の持っていた国民の財産はどうなるでしょうね。バナナのたたき売りはこれだけ問題にされては出来ないでしょうね。なぜ自民党の選挙対策副委員長の菅代議士が郵政の社長人事の前面の出てくるのでしょう。皆さん考えた事がありますか?ここからは私の想像ですが、多分この裏には自民党の選挙資金が絡んでいるのだと思います。毎回総選挙の時に銀行がシンジケートを組んで自民党に巨額の資金を貸し付けています。それも無担保無保証です。金利の利率も分かりません。あるいは金利がゼロの可能性のほうが高いでしょう。実際は経団連など経営者の諸団体が裏保障しているようです。少し古い話になりますが、93年の総選挙で都市銀行8行から総額100億円を選挙資金として「無担保、無保証」で借り入れました。将来の企業献金を返済にあてることが融資条件で、当時の経団連の平岩会長が「経団連が返済に協力する」との念書を銀行側に示したとされています。不思議な話でしょう。これは銀行の融資の形態を取っているので政治献金とは別な物です。しかし一般の融資とはかなり違っていて実質的には融資とは全く違う融資と名を借りた違法政治献金です。将来の政治献金を担保にした融資とも見えます。検察は絶対手をつけません。金融庁もこの融資には目をつぶります。無担保無保証で100億円では皆さんが苦労して銀行から融資を受けるときにとは全く違うものです。自民党の借入金はどのように返済され金利はどうなっているのかは秘中の秘です。何か今回の郵政の話は何か非常に臭いませんか?当然今回の選挙資金貸し付けのシンジケートの幹事銀行は三井住友銀行となるでしょう。なぜ菅選挙対策副委員長が日本郵政の人事にしゃしゃり出てくるのでしょうかね?普通であれば菅選挙対策副委員長は全国を飛んで回っているはずですね。今頃、銀行は西川社長の続投で安心して自民党に貸せると思っているかもしれませんが、自民党が総選挙で負けたときには不良債権になりかねませんね。また財界からの政治資金のスキャンダルが噴出する可能性もあります。それでも銀行が選挙資金を無担保無保証で融資するのは西川社長の郵政の財産の切り売りで最悪の場合は十分に取り返せると思っているとしか考えられません。検察は常に政権党の走狗です。政権が代われば何が起きるか分かりません。それにしても郵政の財産を特定企業に切り売りすればこのくらいのお金はどこからか湧いてくるのでしょうかね。国民の財産が特定政党のために切り売りされているとしたら大変な事ですね。政権が代われば検察も手をつけないと収まらないでしょう。今の自民党は西川社長でないと選挙資金が出てこないので必死になっていたのかも知れません。国民には見えないところで何かが行われているのです!よ~く考えて見ていないと騙されますよ!

昨日の宮崎県知事のそのまんま東と古賀自民党選挙対策委員長の話はお笑いですね!自民党も足元を見られ恥をかきに宮崎県へ行ったようなものです。宮崎県知事は本心としては一日も早く国政に出たいでしょうがね。

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2009年6月23日 (火)

北鎌倉 浄智寺

6月12日に北鎌倉の浄智寺へ行ってきました。浄智寺は東慶寺の隣にありますが、円覚寺や東慶寺の様に混んでいないので私の好きな寺院の一つです。浄智寺は鎌倉五山第4位の寺院です。鎌倉幕府第5代執権北条時頼の3男の北条宗政の菩提を弔うために宗政の嫡男の北条師時(第10代執権)の創建と言われていますが、実際は宗政の同母兄の第8代執権北条時宗の創建と言われています。創建当時の規模は非常に大きく円覚寺とほぼ同程度と言われています。境内入口に鎌倉十井のひとつ甘露の井があります。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mm&28mmソフトF2.8です。

権礼門院右京太夫集から建礼門院右京太夫の歌。

      中々に

    花の姿は

      よそに見て

    あふひとまでは

    かけじとぞおもふ

(意)花のように美しいあの方の御姿は、かえって私などには無縁なものと拝見して、葵の名に因む『逢ふ日』までは心にかけて願うまいと思います。

あふひは立ち葵の事です。建礼門院右京太夫は素晴らしい歌を詠いますね。勅撰和歌集にあまり載っていないのが不思議です。イラクのジャニダール遺跡で七万年前のネアンデルタール人の骨の胸の上にタチアオイ・ノコギリソウ・ヤグルマソウ・マオウ・キオン等の花の花粉が見つかっています。死者に花を手向ける風習がネアンデルタール人にもあったのですね。またこの遺跡には生まれながらにして片手のない40歳ほどの男性の骨も見つかっています。ネアンデルタール人も集団生活の中で片手のない弱者を守りながら生活をしていたのだと思われます。当時は40歳と言えば長寿の部類です。

昨日の朝日新聞に「地域経済、景気「後退」が7割占める 朝日新聞社調べ」との記事が載っています。

http://www.asahi.com/business/update/0621/TKY200906210111.html

まったく政府の景気の底入れ宣言の大本営発表には困ったものです。選挙目当てでしょうがどちらにしても総選挙後は一段と景気の悪化がくる可能性があると思います。これからの景気は上がったり下がったりの連続でしょう。今年の12月は中小企業の倒産が増える可能性が大きいです。自民党が下野した後の政権は自民党・公明党のいい加減な政策の尻拭いに終始するでしょう。ブッシュ馬鹿大統領の尻拭いをしているオバマ大統領と同じですね。今回の補正予算も一番喜んでいるのは銀行かもしれません。公共工事が増えていますね。道路が工事だらけです。しかし今回の補正予算の金はほとんど1回転しかしません。簡単に言うと、どこの土建業者も借金漬けです。ほとんど全身が借金の水の中で水が口元まで来ていて、つま先立ちをして呼吸をやっとしている状態です。借金はほとんどが金融機関からの借入金です。土建業者にお金が入ると自動的に銀行の口座に入り借金から引かれます。それで終わりです。景気は一時的に少し回復をします。次はどうなるのでしょう?次に銀行は情け容赦なく借金多い回復の可能性のない会社を預金金利と貸付金利の大きな差で出した利益から計上した貸し倒れ引当金の範囲内で順番に潰してきます。それは総選挙後からただちに始まります。日本中のほとんどの中小企業は同じパターンです。これほど借金が日本中に溢れていては銀行からは簡単に融資は出てきません。つまり1回転しかしないのです。普通は1年に数回転します。1千億円が3回転すれば3千億円の資金が市場に出回るのです。これが本当は景気を刺激するのですが、これほどの不況だと1回転しかしません。選挙目当ての経済政策は必ず破綻します。残るのは国民に負担をかける膨大に膨らんだ借金だけです。小泉改革の最大の失敗は福祉などの弱者を守るべき行政サービスや国民生活の安定に必要な雇用から切っていったことにあるのです。その前に切るべきものがあったでしょうに。そのいい例が今年4月からの母子加算の廃止です。何度も言っていますが弱者の政党と言っている公明党は与党の一員として何をしたのでしょうか?つまり声なき声の弱者から切り捨てて行く考え方です。昔の政治家や官僚には政府や各自治体の行政の根底に行政サービスの考え方がありました。行政サービスは国民・県民・市民の生活を守るために絶対必要なもので赤字になるから税金で賄う物との考え方がありました。日本の将来を考えるのは政治家と官僚の仕事でしょう!与党の政権基盤だけが一時的に太るだけの経済投資は必ず失敗するのは歴史が証明しています。そこには将来へのロマンがないのです。日本の失われた10年の教訓が官僚と自民党・公明党の政治家達には分かっていないのでしょう。失われた10年は100年も前の話ではなく僅か10数年前の話ですよ!このままだと新たな失われた20年になるかも知れません。

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2009年6月22日 (月)

ところざわの ゆり園2

6月17日に埼玉県所沢市の西武の百合園へ行ってきました。正式名称は「ところざわの ゆり園」のようです。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&70-300mmG&ミノルタ100mmソフトF2.8です。いま咲いている百合はスカシユリです。球根は百合根として食用になります。花弁が重ならないので透けるのでスカシユリと呼ばれます。江戸時代にエゾスカシユリとイワトユリを主として交雑育成された品種だそうです。百合はシーボルトが江戸時代末期に長崎から持ち帰ったカノコユリがヨーロッパで高価な値段で取引され一気にヨーロッパの園芸の中心となりました。それを溯ること130年前にオランダの長崎出島の商館付きの医師エンゲルベルト・ケンペルの著書「日本誌」によってカノコユリはヨーロッパに紹介されていました。当時イギリスで発行されたボタニカル・ レジスターには「もし,美しさにお いて最高のものがあるとすれば,それは間違 いもなく,このかのこゆりである」と絶賛されていました。薔薇も百合も幕末の日本の長崎出島からヨーロッパに渡ったものからヨーロッパの在来種と掛け合わされて新種の薔薇や百合が生まれたのです。

万葉集から大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌。

      夏の野の

    繁みに咲ける

      姫百合の

    知らえぬ恋は

    苦しきものを

(意)夏の野の繁みにひっそりと咲いている姫百合のように、人に知られない恋は苦しいものだなあ。

原文は夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽です。続後拾遺集に第4句を「しられぬ恋は」となっています。万葉集の誤記ではないかと言われていますが、万葉時代は「しらえぬ恋は」の語法が正しかったのではないかと思います。日本語も時代とともに変わってくるのでしょうね。姫百合とは一般的に近畿以西に咲く赤またはオレンジ色の百合を指しますが、ここの姫百合とは可愛とか可憐な百合の意味だと思います。

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2009年6月21日 (日)

軽井沢 雲場池(くもばいけ)

5月6日の長野県軽井沢の雲場池です。この池はホテル鹿島ノ森の敷地内に湧く御膳水を源とする小川を堰き止めて出来たものです。御膳とは明治天皇が軽井沢を訪れたときにこの水で入れたお茶を飲んだ事で御膳水の名前が生まれました。我が家のワンちゃんたちは最初楽しそうに歩いていたのですが、雲場池に近づくと2匹とも急に怯え出して前に進まなくなりました。何か異様な臭いを嗅ぎつけたようで車に帰ろうとします。ひょっとして熊の臭いでもしたのかもしれません。2匹は雲場池へ向かう道の途中から駐車場の車に物凄い勢いで逃げ帰って行きました。最近は軽井沢の別荘地に夜になると熊が出るそうです。

万葉集から大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌。

      青山を

    横ぎる雲の

      いちしろく

    我と笑(ゑ)まして

    人に知らゆな

(意)青々とした山を横切る白い雲のようにはっきりと私に笑顔を見せて、人には知られないようにね。

大伴坂上郎女は大伴旅人の異母妹で大伴家持の母親代わりでした。異母兄大伴宿奈麻呂の妻となり、坂上大嬢・二嬢を生みました。娘の坂上大嬢は大伴家持の正妻となりました。万葉集の編纂にも係わったと言われている女流歌人です。

一昨日、西松建設社長の公判がありました。マスコミの記事は若い記者が書くのでピントがずれています。天の声は誰が出すのでしょう?ほとんどのケースは談合をする業者の取りまとめ役が混乱を避けるために天の声として出す事が多いのです。水戸黄門の印籠のようなもので天の声が出ればみんなが恐れ入る日本のしきたりなのです。政治家や首長はそれに乗るのが普通で自らが天の声を出すのはかなりヤバイ事となります。ましてや野党の政治家が天の声を出すなんて聞いたことがありませんし、あるはずがありません。そんなことをしたら与党の政治家からの指示で警察や検察がすぐに動きます。業者は馬鹿ではありませんので野党の政治家へは政治資金規正法のお付き合い程度にします。今度の西松建設は巨額の海外からの裏金が何処かへ消えています。大部分は自民党の政治家へ消えているでしょうが、意外と業者の私腹を肥やすために使われるケースが多いのです。その場合に政治家の名前が使われます。業者の会社内では裏金の使途の真偽を糺す人は絶対いません。昔はクラブのママのパパは意外とこれら業者の人が多かったのです!政治家がパパのケースもありますがね!その場合は業者へどこどこのクラブを使ってくれと言うだけです。業者も大手を振って遊べます。これらは会社のお金の流用なので業務上横領罪で間違いなく実刑となります。検察の言うとおりに証言すれば執行猶予です。皆さんは実刑を選びますか執行猶予を選びますか?業務上横領罪なら懲役10年以下で執行猶予は付きません。日本には司法取引は存在しませんが検察は司法取引を常態的に被疑者との間で行っています。司法取引は明らかな違法行為です。しかし検察も被疑者もお互いに利益があるので黙っているのです。小沢サイドは政治資金規正法に違反しないように正直に申告しただけです。正直に申告しないと警察・検察がすぐに飛んできます。そこが小沢の盲点だったのです。

確かに5月の司法改正で検察もいい加減なことができなくなりました。検察も検察審査会の判断で今までほど二階大臣をいい加減には処理できません。小沢の秘書の裁判は選挙後でしょうね。これは腕利きの弁護士なら一審は間違いなく無罪に出来ると思います。しかし高裁・最高裁は有罪になるでしょう。私は弁護士ではありませんから詳しくは分かりませんが、裁判の過程で西松建設の不明資金を暴くことができるかもしれません。取り調べ検察官が西松建設の関係者から聴取した検察官面前調書(検面調書)のなかで法廷に出さなかった検察にとって都合の悪い調書を証拠申請して裁判所が入手するととんでもない事実が出てくるでしょう。一番ヤバイ資金の流れが出てくるかもしれません。腕利きのロス事件で有名な弘中弁護士あたりなら取り調べ検事と西松建設の関係者を証人喚問すれば矛盾が沢山出て来ると思います。私も以前、知人の裁判で弘中弁護士が取り調べ検事を証人喚問して徹底的に絞り上げたのを傍聴したことがありました。知人は一審無罪となりました。皆さん少しは勉強になりましたか?これは日本的なシステムのほんの一部です。後が怖いのでしばらく黙っているつもりですが!

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2009年6月20日 (土)

北鎌倉 円覚寺1

6月12日に北鎌倉の円覚寺へ行ってきました。円覚寺は鎌倉五山の第2番目の寺院です。円覚寺は鎌倉幕府第8代執権北条時宗の発願により開基は南宋の臨済宗の僧で元からの亡命者の無学祖元です。元寇の戦死者を敵味方の区別なく弔うために創建された寺院です。現在も19の塔頭が残されています。

新後撰集から北条貞時の歌。

      逢ふまでの

    しるべぞいまは

      たどらるる

    心のかよふ

    道はあれども

(意)どうやってあの人との逢瀬を遂げたのか、そこまでの道しるべが今になって思い返される。心の通う道は夢の中にあるのだけれども、本当に逢うことは難い。

北条貞時は鎌倉幕府第9代執権です。第8代執権北条時宗の嫡男で、母のために東慶寺を創建しました。

エコポイントの効果が確実に現われているようです。しかし、みなさんここで一つ考えてください!エコポイント制度で消費は増えていますが、この制度が終わった時はどうなるか皆さん考えたことがありますか?多分消費は最悪となると思います。その時どうするのでしょうか?ケ・セラ・セラなのでしょうか?エコロジーとは公害を出さないで環境への負荷を減らし自然と親しみ自然を大事にするはずです。太陽光発電などで炭酸ガスの排出量を減らすことのはずです。出来るだけ自動車に乗らないで自転車や電車で動くことのはずですが!いつの間にかにエコロジーがエコノミーに変えられてしまったようです。先日国会を通った補正予算は大きなチャンスだったはずですが選挙目当てのバラ撒きになってしまいました。非常に残念なことで私達の子供たちに負担だけ残すことになりました。

ケ・セラ・セラはドリス・デイが映画「知りすぎていた男」で唄った名曲です。和訳すると「なるようになるさ」でしょうか。アカデミー主題歌賞を受賞しました。主演はジェームス・スチュアートとドリス・デイです。若い人は知らないでしょうが私の世代はみなさん知っているはず?です。この歌の英語は非常に簡単ですので和訳は載せません。

When I was just a little girl
I asked my mother what will be
Will I be pretty, will I be rich
here's what she said to me

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
Will we have rainbows day after day
Here's what my sweetheart said

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

Now I have children of my own
They asked their mother, what will be
Will I be handdsome, will I be rich
I tell them tenderly

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

Que sera, sera

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2009年6月19日 (金)

5月の我が家の庭2

5月の我が家の庭です。今回はオリンパスE-3で撮りました。庭の真ん中は芝生です。パピオンのルイ君はノンビリとお散歩をしていますが、若いマリアンちゃんは走り回ってブッシュの中まで入り込んで小石を拾って来ます。その小石をベランダから下に落として遊んでいます。何が面白いのかよく分かりません!むかしカラスが我が家の庭で小石を落として遊んでいましたので、それを見て覚えたのかもしれません。5月に咲く花は綺麗です。毎年庭に咲いてくれる花に会えるのが楽しみです。

玉葉集から藤原為家の歌。

      恋しさも

    見まくほしさも

      君ならで

    または心に

    おぼえやはする

(意)恋しさも、顔見たさも、あなた以外の誰に対しても心に覚えることはありません。恋しく、逢いたいのはあなたただ一人なのです。

日本郵政の西川社長の続投に色々な意見が出ています。この中で異常なほどの熱心さで西川社長を推進している小泉・竹中達の裏側が見えてくるような記事が一昨日の夕刊フジのインターネット版に出ていました。これを読むと私があちらこちらで聞いていた色々な断片的な情報が結びつきます。それはとってもブログには書けません。しかしこの記事のもっと奥にアメリカの誰かがいるのかも知れません。民主党が政権を取れば当然暴くでしょうね!日本もアメリカで一時設置されていたような第三者による特別検察官制度を作り、法務省とは切り離した機関の常設のほうが今後は良いのかも知れません。

http://www.zakzak.co.jp/top/200906/t2009061741_all.html

夕刊フジと言っても馬鹿にしてはいけませんよ!産経新聞グループです。昨日別のニュースによると鳩山前総務大臣が事実上更迭された後の後任の佐藤総務大臣が西川社長に対し棚上げに当たる会長職への就任を打診したが意見が一致しなかったとの報道がなされていました。本当にブレてますね!鳩山大臣を更迭する必要がなかったと言うことです。

昨日、臓器移植法改正案のA案が衆議院を通過しました。色々な意見があると思いますが、私はこのA案が賛成多数で議決されてよかったと思います。私は脳死が人の死であると思っています。今回のこの法案は2段階の法案で第1段が人の死はどの時点かを脳死としています。第2段は脳死後の臓器移植を本人あるいは家族の判断で行えると言うことです。家族が脳死を死として受け入れなければそれも可とする考え方だと思います。今回は与野党とも党議拘束を外したところにポイントがあると思います。何とか早く参議院も通過してくれればいいと思います。その前に解散があると振り出しに戻ります。臓器移植で助かる子供達がいるのなら出来るだけ助けてやるべきだと思います。脳死は人の死ではないとの意見も当然あってしかるべきだと思います。それを否定はしません。ドナーカードをさっそく入手するつもりです。

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2009年6月18日 (木)

ところざわの ゆり園1 

6月17日に埼玉県所沢市の西武ドームとなりの「ところざわの ゆり園」へ行ってきました。毎年行っているのですが、このゆり園の正式名称は何なのでしょうね?よくわかりませんが入口に置いてあるパンフレットによれば「ところざわの ゆり園」です。昔はユネスコ村だった所で西武球場の道路を挟んだ反対側にあります。パンフレットには約3万㎡の自然林の中に50種類・約45万株のゆりの花と書かれています。今年は強い雨と雷が続いているためにほとんどの花に変な斑模様が入り、かなり痛んでいます。いま咲いている百合の花はマクロ撮影にはほとんど耐えられません。それほど連夜の豪雨で花が痛んでいます。そして例年より百合の花の丈が短いように思いました。今回はマクロレンズを持っていったのですが綺麗な花を探すのが大変でマクロレンズをカメラバックから一度も出しませんでした。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&70-300mmG&ミノルタ500mmF8&ミノルタ100mmソフトF2.8です。

万葉集から詠み人知らずの歌。

      道の辺の

    草深百合の

      花笑みに

    笑みしがからに

    妻と言ふべしや

(意)道のほとりの繁みに咲く百合の花のように、ちょっと微笑みかけたからといって、妻とは決めてかからないでください。

この歌は馴れ馴れしく言い寄ってくる男に対して女が詠いかけた歌だと思います。また別な読み方で男が女に詠ったとすれば「草深い中に咲く百合のようにあなたは微笑みかけてくれた、それだけであなたを私の妻と言ってもいいのだろうか」ともとれます。さてどちらでしょうね?

昨日の衆議院での党首討論を聞いて何か変な感じがしました。麻生総理に精彩というか気迫が抜けたように感じました。まさに鳩山総理に対した麻生野党総裁の感じでしたね。何かおかしいです!水面下で麻生降ろしが強く起きているように感じます。

検察審査会が裁判員制度の変更により今までと違って権威をもったようです。今年5月21日から法律が変わりました。私は知りませんでしたが検察が不起訴相当としたものを検察審査会が起訴相当の議決後に検察官が再度不起訴とした場合、審査会は再審査を実施。再び起訴相当を議決すれば、裁判所が指定する弁護士が検察に代り起訴する仕組みとなりました。つまり検察が不起訴としたものが検察審査会が2度起訴相当と議決すると裁判所が指定した弁護士により起訴することができるのです。いままで検察だけの専権事項だった起訴または不起訴の判断が検察審査会によりチェックされ2度目の起訴相当との判断で裁判所が起訴をすることができることとなります。検察も勝手なことができなくなりますね。さっそく自民党の二階大臣の西松建設からの政治献金を検察が不起訴としたことに対して昨日の検察審査会で起訴相当との判断がなされました。検察は再び捜査をして不起訴とした場合に再び検察審査会で起訴相当と判断されると裁判所が弁護士を指名して二階大臣の資金担当者だった泉信也自民党参院議員を起訴することになります。しかし、捜査の手足が無い弁護士に公判を維持できるかの問題は残りますね!

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2009年6月17日 (水)

小石川植物園の初夏2

5月31日に文京区にある東京大学大学院付属の小石川植物園へ行ってきました。小石川植物園は緑が綺麗です。ほどほどに手入れがされていて心が落ち着きます。この日も横浜へ行こうかと悩んだ結果、静かな緑の中を歩きたくなり途中で方向変換して小石川へ行ってきました。最後に雨が降ってきて小石川後楽園へ回れませんでしたが、元気を木々から貰ったような日になりました。植物園の中は広大なので静かでした。桜の木々の下で数組の小学生とPTAの方たちの集う姿を撮りました。こんな環境で遊べるのは羨ましいですね。桜の木に小熊の顔が浮き出ていました。カメラはオリンパスE-3です。

古今集から凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)の歌。 

      ほととぎす

    我とはなしに

      卯の花の

    うき世の中に

    鳴き渡るらむ

(意)ほととぎすは、私と同じ様に、憂き世にあって鳴き渡っているようだ。

「卯の花」とは「うき世」を導き出す枕詞です。「鳴き」は「泣き」で自分が泣くことです。

麻生政権の各新聞社やTV局の世論調査の結果が出そろいましたね。やはり軒並み下落で手の打ちようがなくなりました。多分小沢代表の政治資金の問題で秘書が逮捕されて麻生政権の支持率が上がったので再び郵政の問題で柳の下の2匹目のドジョウを狙ってくるでしょう。しかしこの郵便制度を悪用した男たちは悪い奴らですね!まだ不明な問題点が多いと思います。政治や官僚の発想をよく知る人から見ると不思議な事だらけです。逮捕された女性局長は御主人(厚生労働省の統括審議官)より出世が早いほどのやり手で、将来の次官候補とされた人が、こんなにヤバイ事には手を染めないものです。普通のキャリア官僚では考えられないことです。おまけに名前の挙がっている民主党の大物幹部は郵政族ではありません。また当時は逮捕された村木局長が障害保健福祉部企画課長として障害者自立支援法に奔走していた時期であり与党と民主党が国会でガチンコ勝負をしていた時期で、結果的に与党の強行採決で決着した時期でした。新聞紙上で民主党の大物幹部に便宜を図ったと書かれていますがその民主党の幹部が民主党の国会対策を左右するほどの力があったとは常識的に考えられないことです。新聞の報道は意図的に検察側から流された政治的な情報を新聞社が書いているだけです。可能性としては彼女が国政選挙に打って出るつもりで民主党へ貸しを作ったとも考えられますが、民主党が絶対反対を貫いた障害者自立支援法を率先して国会通過を図った当時の課長をすんなりと候補者とはしないと思いますし、省内の次官レースで頑張るほうが利益があります。なにか大阪地検の動きも東京地検と同じように民主党幹部を狙った動きとも思えますが、それにしても少しおかしな感じもします。かなり無理をしないといけませんね。昨日、女性局長の元上司だった元障害保健福祉部長の自宅が家宅捜索されましたが、本人は逮捕されていません。不思議な事です。最近検察のすることは不思議なことが多いです。ここで6月12日の共同通信の記事を引用します。大阪地裁(植野聡裁判長)は11日、郵便制度悪用事件で大阪地検特捜部が再逮捕した障害者団体「白山会」会長守田義国容疑者(69)の拘置延長について、「捜査に疑問を感じる」といったん認めた期間の延長を取り消し、3日間短縮する決定をした。弁護人が10日に「懇意の国会議員に依頼をした経緯ばかり連日調べられ、別件捜査だ」と延長取り消しを求め、準抗告していた。植野裁判長は決定理由で「証拠隠滅や逃亡の恐れがある」と拘置の必要性は認めた。その上で「(議員との関係は)郵便法違反事件の処分を決める際に解明が必要な事情とは認められない」と指摘。さらに「捜査の在り方に疑問を感じる。拘置は無限定に許されるものではない」とした。この記事を皆さんはどのように読みますか!地裁の裁判長は大阪地検の捜査方法に疑問を呈しているのでしょうか?

私の想像ですが障害者割引郵便制度の悪用は昔から行われていたのかもしれません。当然与野党の国会議員で郵政・労働行政に影響力を持つ族議員が黒幕でしょう。誰だかはわかりません。麻生総理には大阪地検の捜査の動きを当然に官房副長官(事務)から情報が上がっているでしょう。検察は違法ですが誰を立件するかの決定をすることが出来ます。それをチェックできる機能が国会にはありません。それだけ変な事が起きやすいのです。解散総選挙が近づくと訳のわからない動きが増えます。いい加減にしてほしいですね。政策で勝負をしてほしいものです。麻生政権はいつまで持つのか分からなくなりました。解散総選挙は別の人の手で行う可能性も強くなったと思います。郵政省のスキャンダルでも支持率の回復には程遠いと思います。麻生総理を選んだ与党の責任は大きいと思います。サミット花道論が当然出てくると思いますが、それを跳ね返す力はもうすでに麻生総理からは失われています。都議選と同一選挙を言い出した自民党幹部は麻生降ろしのための筋道論かもしれません。都議選挙で負けたらアンタ終わりだよと言っているのでしょう。多くの政治評論家は自民・民主伯仲と言っていますが選挙を知らない政治評論家だと思います。小選挙区選挙は1票でも多く取った候補者の総取りです。簡単に言えば全選挙区で50.01%の得票で勝ったとすると300対0となる理屈です。中選挙区選挙なら伯仲でしょう。前回の郵政選挙も全選挙区を冷静に読めば自民党と民主党の得票の差はあまりありませんでした。それがあの自民党圧勝となったのです。選挙は怖いものなのです。

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2009年6月16日 (火)

戸隠の鏡池

6月7日の長野県戸隠にある鏡池です。いつもはカメラマンが鈴生りの様になりますが、少しシーズンがずれているので空いていました。もっとも朝と言っても6時半過ぎで少し遅すぎでした。やはり今のシーズン朝霧が湧いてくれないと良い写真にはなりません。レンゲツツジとキレンゲツツジが綺麗に咲いていました。戸隠の戸隠古道沿いに「孝子稚児の塔」があります。これは江戸時代に書かれた本朝孝子伝の24のお話の一つとして載っているお話で「昔、夫婦に子供が生まれないので養子をもらった夫婦がいて、妻が外出中に妻宛ての手紙が届きましたが、字の読めない夫は訝しく思い養子の子供に手紙を読ませましたが、様子を知ってその子供は夫が不信を持たないように読み替え夫婦を丸く収めました。その子が夭折したので里人がその孝行を称えて供養塔を建てました」と記録されています。カメラはソニーα900です。

玉葉集から西園寺実兼(さいおんじさねかぬ)

      花鳥の

    あかぬわかれに

      春暮れて

    けさよりむかふ

    夏山の色

(意)花や鳥との名残惜しい別れのうちに春は過ぎ去って、今朝から心新たに夏山の新緑の色に向き合うのだ。

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2009年6月15日 (月)

大宮第2公園の花菖蒲と紫陽花

6月8日にさいたま市の大宮第2公園の花菖蒲園と紫陽花園へ行ってきました。花菖蒲はかなり咲き進んできていました。紫陽花はこれから少し色が濃くなってくると思います。紫陽花の花言葉は「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」「元気な女性」「あなたは美しいが冷淡だ」「無情」「浮気」「自慢家」「変節」「あなたは冷たい」と色々とあります。花の色が変わってくるので七変化のようです。最初は緑から白色になり、それから青や赤、白等に変わっていきます。本来の「紫陽花」とは、唐の詩人の白居易が命名した別の紫の花(ライラックと言われています)のことで、平安時代の言語学者だった源順(みなもとのしたごう)が今のあじさいにこの漢字である紫陽花をあてたため誤用がひろまったそうです。中国では「八仙花」または「綉球花」とも呼ぶそうです。源順は平安時代中期の日本最初の辞典である和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)を20代で編纂しました。和名類聚抄は国語辞典と漢和辞典と百科事典を合わせたような辞典です。また歌人としても有名で和歌の中で言葉遊びをする面白い貴族でした。また有名な「竹取物語」の作者の一人とも言われています。カメラはソニーα900とVario-Sonnar24-70mm&ソニー70-300mmG&ミノルタ500mm&ミノルタ100mmソフトF2.8です。

古今集から読み人知らずの歌。

      時鳥(ほととぎす)

    なくやさ月の

      あやめ草

    あやめもしらぬ

    恋もするかな

(意)ほととぎすが鳴く五月、その五月のあやめ草、その「あやめ」《文目(あやめ)・・物事の分別の付かない状態》という名のように、筋目も分からなくなるような恋をする私。

古代では陰暦の5月は田植えの季節で男女が逢うことを禁忌する風習があったようです。やはり労働力としての若い男女が夜に逢うことは翌朝の田仕事に影響があったのかも知れません。あるいは神様の怒りを買わないようにでしょうか。しかし若い人達に恋人と逢ってはダメと言っても無理ですね!

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2009年6月14日 (日)

北鎌倉 東慶寺

6月12日に東慶寺へ行ってきました。北鎌倉全体が混んでいました。紫陽花で有名な明月院へはそばにも寄れませんでした。東慶寺も普通の数倍の人出でした。東慶寺へはイワタバコと特別公開されているイワガラミを撮りに行ってきました。イワタバコは北鎌倉の寺院では数が少ないですが結構咲いています。しかし、東慶寺のイワタバコはスケールが違います。残念ながら少し旬を過ぎていました。15~18枚目のイワガラミは不思議な花で、一見すると白い額紫陽花の花のようです。ユキノシタ科の植物で、一本の木(17枚目)から気根を出して崖や大木に絡みついて這い上ります。普段は入れない本殿の裏の崖一面に咲いています。これは6月前半の時間限定で一般公開されていました。今年は今日までの公開です。花はツルアジサイに似ています。木の実は蝋梅の実です。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mm&28mmソフトレンズです。

東慶寺は鎌倉幕府第9代執権の北条貞時の開基により建てられました。初代の住職は第8代執権北条時宗の正室だった覚山尼で貞時の母でした。それ以降は明治36年まで代々尼寺として続きましたが、現在は男性の住職の寺院となっています。20世の住職は豊臣秀頼の息女が尼となり住職を務めました。江戸時代は駆け込み寺(縁切寺)として有名となり江戸幕府公認の縁切法による縁切寺でした。他に江戸時代の縁切寺としては上野国新田郷の満徳寺と言う尼寺があり、満徳寺は大阪夏の陣で大阪城から無事救出された徳川家康の孫娘の千姫が一時この寺院に身を置いて豊臣秀頼との縁を切った後に再嫁した寺院でもありました。この2寺の管轄は日本全土におよび天領であろうと藩領であろうと区別はありませんでした。新田郷は徳川氏の発祥の地である新田氏の一族である得川(世良田)氏の土地として江戸幕府にとっては聖地に当たりました。江戸時代はこの得川の地の百姓は年貢を免除され脇差を帯びることを許され、大名行列にも土下座をしなくても良い許しを幕府から受けていました。徳川氏は松平を名乗る前は得川氏を名乗っていたと言われています。この2寺に駆け込んだ女性は幕府により安全を保障されました。寺院の門前で夫側に捕らわれることもあったので身に着けていた物を一つでも門内に投げ込めば安全を保障されました。女性が駆け込んでも離婚の成立とならないで、まず寺院側から調停を申し立てられます。この調停権は寺社奉行により担保されていて呼び出しに応じないと夫側は罰せられました。場合によっては親戚や町役人まで罪を負わされる時もありました。従って町役人の手引書には縁切寺から呼び出し状が送付された時は開封しないで呼び出し状と三行半(離婚状)を添えて返却する事が明記されていました。しかし江戸から鎌倉まで旅をする事は当時の女性にとっては大変なことだったと思います。普通は下の歌のような事になっていたのかも知れません。

新古今集から小侍従の歌。

      つらきをも

    恨みぬ我に

      ならふなよ

    憂き身を知らぬ

    人もこそあれ

(意)あなたの冷淡さを恨まない私が普通だと思わない方がよい。身の上をわきまえない人も、世の中にはいるのだから。私は辛い境遇に生まれついた身だから我慢するけれど、ほかの女の人はそうはゆきませんよ。

何か恐ろしい歌ですね。背筋が寒くなります。小侍従は多くの貴族たちと浮名を流しました。この歌を詠った相手は誰でしょうか?小侍従に啖呵を切られてビックリしたでしょうね!しかし面白い歌ですね。

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2009年6月13日 (土)

5月の我が家の庭1

5月の我が家の庭です。今年は白いクレマチスの咲き方が少しずれ、ピンクの薔薇との組み合わせが上手くいきませんでした。私は庭に水撒きを時々しているだけです。カメラは前半がソニーα900で後半がペンタックスのK20Dです。最近のデジカメ一眼の写りにはあまり性能に差があるとは思えません。それよりもゴミ取りと手ぶれ補正が重要だと思います。次回はオリンパスE-3編です。やはりE-3も良い写りです。

拾遺集から清原元輔(もとすけ)の歌。

      春は惜し

    時鳥(ほととぎす)はた

      聞かまほし

    思ひわづらふ

    しづごころかな

(意)春が去り行くのは惜しい。と言って、時鳥の声はやはり聞きたい。あれこれと思い煩い、落ち着かない心の中の沈着平静な気持ちだ。

昨日、北鎌倉へ行ってきました。紫陽花で有名な明月院は11時で早くも2時間待ちだったそうで、今年もそばにも寄れませんでした。地元の人に聞くと一昨日は1時間待ちだったそうです。北鎌倉で10時過ぎに電車を降りたのですが、もう既に駅から明月院へ狭い道を多くの人がラッシュアワーの時のように歩いていました。昔はこんなに混んでいなかったのですがね!呆れた事です。多分、紫陽花を見るより人の波を見るだけになっていたでし